2021年02月14日
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候・・・
地震もドカ~ンとくれば驚きもするが、東日本大震災の震度6強を経験してるから震度4や5程度ではそんなには驚きもしない。昨夜も熟睡していたら地震が起きた。どうせ直ぐに治まるだろうと思っていたら、揺れは1分程続いただろうか。
「災難は忘れた頃にやって来る」とはよく言ったもので、10年ぶりの震度6強に恐怖を覚える。強烈な横揺れだったので本棚から本や書類が飛び出し物が散乱してた。兎に角、震度6は尋常な揺れではないので、恐怖から命を意識すると思います。
熟睡中に起こされて眠い中、部屋の状況を確認する。用心の為にバケツに水を汲んでるのだが強烈な揺れで周りが水浸しに。散乱した本や物などを片付けながら、10年前の様な地震はもう来ないと高を括っていた自分の甘さを反省した。
地震情報をテレビで流す震度3や4程度の小さな地震に驚いてたら、強烈な地震が来たらパニックになると思う。何事も用心することは大事だが、小さな揺れに一喜一憂することなく、いつどこでも平常心で自然体でいることの方が大事。
因みに「自然体」という言葉があるが、その意味は、自由気儘とか自分勝手、自分本位ということではなく相手や状況に合わせること。自然の流れに任すこと。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」とは、良寛和尚の金言であるが正しく。
災難に遭ってしまうということは誰でも起こり得ることで、それが何処でいつ起きるかは分からない。起こってしまった災難を取り消すことは出来ない。日頃から、災難や事故に備えて警戒を怠らず、自然体で生活することが大事だ。
災難に慌てふためいたりしてしまうと、パニックから過った対処をして災難を大きくしてしまうこともある。小さなことで慌てたり驚いたりしてばかりいれば、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時には冷静な判断は出来まい。
昨夜の地震でも東日本大震災の教訓なんぞ忘れ去って、パニックからか深夜にも拘らず市内のガソリンスタンドには行列が出来て、コンビニからは水が無くなったというニュースが流れていたが、こうした行為は余り感心しない。
起こってしまった不幸には「こういう時もある」と受け容れることも大事。何より「なるようにしかならないものだ」という開き直りも時には必要となる。
逆境やピンチになると人間というのは潜在能力を発揮する。だが、その逆境やピンチから逃れようとする人は意外に多く、それだけ人間というのは弱い生き物でもあるのだ。だが、果して、どうにもならない運命などあるのだろうか。
「一休さん」で有名な一休宗純は、忌の際に、弟子達に「自分が死んだ後、どうにもならないことがあったら、これを開けなさい」と遺言状を渡したという。
やがて、彼の死後、弟子の中で大変困ったことが起こった。弟子達は師に救いを求めようとその遺言状を開けてみることにした。その遺言状には一言だけ、「大丈夫、なんとかなる!」と綴ってあったという。
どうにもならない様なことなんてないもの。自分でそう思ってしまっているだけで、その悩みも実はそれほど大したことではなく、なんとかなるものなのだ。
将来のことや、未だ起こりもしないことを一々気を病んでこじんまり生きて行くよりも今を本気で懸命に生きるべきで、「一日一生」とはそういうことである。
※コメントは会員のみにさせて頂いておりますが、コメント入力希望の方はパスワードを教えますのでmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
「災難は忘れた頃にやって来る」とはよく言ったもので、10年ぶりの震度6強に恐怖を覚える。強烈な横揺れだったので本棚から本や書類が飛び出し物が散乱してた。兎に角、震度6は尋常な揺れではないので、恐怖から命を意識すると思います。
熟睡中に起こされて眠い中、部屋の状況を確認する。用心の為にバケツに水を汲んでるのだが強烈な揺れで周りが水浸しに。散乱した本や物などを片付けながら、10年前の様な地震はもう来ないと高を括っていた自分の甘さを反省した。
地震情報をテレビで流す震度3や4程度の小さな地震に驚いてたら、強烈な地震が来たらパニックになると思う。何事も用心することは大事だが、小さな揺れに一喜一憂することなく、いつどこでも平常心で自然体でいることの方が大事。
因みに「自然体」という言葉があるが、その意味は、自由気儘とか自分勝手、自分本位ということではなく相手や状況に合わせること。自然の流れに任すこと。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」とは、良寛和尚の金言であるが正しく。
災難に遭ってしまうということは誰でも起こり得ることで、それが何処でいつ起きるかは分からない。起こってしまった災難を取り消すことは出来ない。日頃から、災難や事故に備えて警戒を怠らず、自然体で生活することが大事だ。
災難に慌てふためいたりしてしまうと、パニックから過った対処をして災難を大きくしてしまうこともある。小さなことで慌てたり驚いたりしてばかりいれば、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時には冷静な判断は出来まい。
昨夜の地震でも東日本大震災の教訓なんぞ忘れ去って、パニックからか深夜にも拘らず市内のガソリンスタンドには行列が出来て、コンビニからは水が無くなったというニュースが流れていたが、こうした行為は余り感心しない。
起こってしまった不幸には「こういう時もある」と受け容れることも大事。何より「なるようにしかならないものだ」という開き直りも時には必要となる。
逆境やピンチになると人間というのは潜在能力を発揮する。だが、その逆境やピンチから逃れようとする人は意外に多く、それだけ人間というのは弱い生き物でもあるのだ。だが、果して、どうにもならない運命などあるのだろうか。
「一休さん」で有名な一休宗純は、忌の際に、弟子達に「自分が死んだ後、どうにもならないことがあったら、これを開けなさい」と遺言状を渡したという。
やがて、彼の死後、弟子の中で大変困ったことが起こった。弟子達は師に救いを求めようとその遺言状を開けてみることにした。その遺言状には一言だけ、「大丈夫、なんとかなる!」と綴ってあったという。
どうにもならない様なことなんてないもの。自分でそう思ってしまっているだけで、その悩みも実はそれほど大したことではなく、なんとかなるものなのだ。
将来のことや、未だ起こりもしないことを一々気を病んでこじんまり生きて行くよりも今を本気で懸命に生きるべきで、「一日一生」とはそういうことである。
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cordial8317 at 07:18│Comments(0)
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