2022年09月27日
徒然なるまゝにその日暮らしというのも楽ではない(笑)
最近は右翼活動家としての政治批評や右翼思想のブログよりも、食べ歩きのブログやライフワークの地元ネタのブログ方が好評なのはチョッと複雑だよなぁ。
政治の問題というのは一般人には余り興味もないし、同じ様な内容の記事をしょっちゅうアップしてると、「 近くの坊さんえらくない」とか「遠きは花の香、近きは糞の香」との喩え通り、厭きられるのも確か。この際、有料会員にするかな(笑)
相変わらず算段に余念がないが、講演依頼や原稿依頼も無く、暇を持て余してるから精精ブログの更新が関の山。今じゃ、活動家というより貧乏ブロガーだな。
我が国の収入(歳入)を家計に喩えればこうだ。年収は約500万(歳入約50兆)円。生活費は年に1000万(100兆)円。借入金は1億円(1000兆円)余り。その借入(国債)の利息は払っているが、利息分をまた(国債発行)借り入れる悪循環。
年収が500万なら借金の1億円くらいは大した額ではないと思うのは愚生だけだろうか。愚生の場合、震災以降、年収が100万円も満たない年が続いている。
「出れば出銭」というし、付き合いはなるべく最小限にしているが、それでも借金に借金が殖え年間約3~500万円程の赤字になる。この儘ではギリシャの二の舞だが、そんなギリシャにも支援の手が差し伸べられたのだから悲観はしていない(笑)
震災前には結構あった借金も減り、どうにか返済に目途が立ったと思いきや、震災で先行きが怪しくなった。 それでも、僅かな支援者がいるから未だ救われている。
まぁ、マジメに働いて返すのが一番だし、働いてた方が余計なことを考えないで済むので気は楽だとは自覚しているが、その簡単なこと(仕事)が中々出来ない。
都合の好い右翼人には成りたくないと思っているし、単なるプライドだろうが、浪人としてもホンモノで在りたいと思っている。 今の時代、何の職業でもそうだが、「らしい」人やプロ意識とか職人気質が乏しくなってしまった様に感じる。
サラリーマンでも公務員でも議員でも、或いは、パートのおばちゃんでも誰でも報酬を貰えばプロだ。 だが「雇われている」というより「働いてやっている」という意識が強く、それに加えて単なる時間潰しで就職している者も少なくない。
給料とは、昔でいう俸禄であり、侍(さぶら)うという自覚もない。「侍う」とは「仕える」という意味。侍とは主君に仕える身であり、主君がいない侍は素浪人。
自分の夢がありながら目先の生活に困窮したものなら夢を諦めてしまう。或いは、分不相応な生活を望んで、結果、目先の「食える」「高給」な職業を選択する。
「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うのならば、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練や艱難に耐えながら必死に生きれば好いが、今の時代、夢なんぞ二の次で、アルバイト程度で食えてしまうから始末が悪い。
これではプロやホンモノは育たない。 目先の仕事や食えることを優先するというのは、それは自分自身への誤魔化しであり、プロやホンモノへの侮辱でもある。
駐車場の管理人をしてる元極左の高齢者を知ってるが、働けるのに生活保護を受給してる元赤軍派で後期高齢者左翼の足立正生なんてのはプロとは言い難い。
ボクサー・辰吉丈一郎を20年間追いかけた、「ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年」というドキュメンタリー映画を観たことがあるだろうか。辰吉も今や48歳。
原則的に日本人ボクサーの「定年」は37歳だそうだ。その歳を疾うに過ぎても尚、現役に拘る辰吉の思いと魅力がインタビューに拠って引き出されて行く。
この映画について、某雑誌のインタビューに応える辰吉の言葉が実に好い。
〈現在の収入は?〉
辰吉:全く無い。無収入。
〈無収入? 生活は?〉
辰吉:いうても僕、3回も世界チャンピオンになってますから(笑)。ファイトマネーを無駄遣いして来なかったし、リングに立って稼いでいる訳ではない以上は、貯金を下ろして生活するしかないでしょ?
〈過去には、数千万単位のCM出演を断ったとの伝説もあります〉
辰吉:うん。だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで。ボクサーがCMって違うと思うんで。小銭ならいいですよ? でも、何千万というお金を稼いではダメだと思った。
〈後悔は?〉
辰吉:一切ない。
〈世間からは「もう十分だろ」との声も届いていると思うのですが?〉
辰吉:まがいものというのか、ひねくれているというのか。デビューの頃から僕は、普通が嫌やったんですよ。
紛い物ではないこれぞホンモノだろう。捻くれている様にも見えるが、「普通が嫌だった」というこの気持ちと男の痩せ我慢は愚生は大いに共感出来るものだ。
テレビを見れば、プロのスポーツ選手や大相撲の力士やメダリストらがタレントの如くに出演し、CMなんて当たり前の時代にあって、「だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで」とは中々言えた言葉ではない。これぞプロ中のプロだと思う。
自分の生き方がありながら目先のカネに飛び付いて、本業ではない仕事で食えることを優先するというのはプロとしての覚悟が乏しい証拠。斯く在りたいものだ。
ボクサーだろうが、サラリーマンだろうが、パートの主婦だろうが、どんな仕事に就いて様が、右翼だろうが、あっちにコロコロ、こっちにコロコロと、要領の好い生き方をしてるヤツよりも、愚生はこうした信念のある削げ者が好きだ。
愚生が右翼に入った昭和50年代というのは右翼ブームで、暴走族らが多く、マスコミには「インスタント右翼」などと揶揄された。愚生も何百何千の右翼を見て来たが殆ど残ることはなく、熱が醒めると去って行き、残ったのはホンの僅か。
その残った者がホンモノかというとそうでもない。最近はそんなインスタント右翼時代よりも気軽に出入り出来る様になったし、右翼とサラリーマン右翼との境もなくなった。こうした流れが好いことなのか、悪いのかは分からない。
既成右翼と自称・愛国者やネット右翼とのボーダーラインが無くなったのは確かだろう。それと比例して右翼は怖さが無くなったし、何より牙がなくなった。今の保守ブームが去れば、自称・愛国者らも去って行くのは火を見るより明らか。
政治の世界も同じで、結局はホンモノとホンモノのぶつかり合い。大衆はどちらにも動くし、大衆の意見というのはそういうもの。我が国の不幸は、滅私奉公を忘れ、次の選挙や保身のことばかりで、ホンモノの政治家がいないことに尽きる。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
政治の問題というのは一般人には余り興味もないし、同じ様な内容の記事をしょっちゅうアップしてると、「 近くの坊さんえらくない」とか「遠きは花の香、近きは糞の香」との喩え通り、厭きられるのも確か。この際、有料会員にするかな(笑)
相変わらず算段に余念がないが、講演依頼や原稿依頼も無く、暇を持て余してるから精精ブログの更新が関の山。今じゃ、活動家というより貧乏ブロガーだな。
我が国の収入(歳入)を家計に喩えればこうだ。年収は約500万(歳入約50兆)円。生活費は年に1000万(100兆)円。借入金は1億円(1000兆円)余り。その借入(国債)の利息は払っているが、利息分をまた(国債発行)借り入れる悪循環。
年収が500万なら借金の1億円くらいは大した額ではないと思うのは愚生だけだろうか。愚生の場合、震災以降、年収が100万円も満たない年が続いている。
「出れば出銭」というし、付き合いはなるべく最小限にしているが、それでも借金に借金が殖え年間約3~500万円程の赤字になる。この儘ではギリシャの二の舞だが、そんなギリシャにも支援の手が差し伸べられたのだから悲観はしていない(笑)
震災前には結構あった借金も減り、どうにか返済に目途が立ったと思いきや、震災で先行きが怪しくなった。 それでも、僅かな支援者がいるから未だ救われている。
まぁ、マジメに働いて返すのが一番だし、働いてた方が余計なことを考えないで済むので気は楽だとは自覚しているが、その簡単なこと(仕事)が中々出来ない。
都合の好い右翼人には成りたくないと思っているし、単なるプライドだろうが、浪人としてもホンモノで在りたいと思っている。 今の時代、何の職業でもそうだが、「らしい」人やプロ意識とか職人気質が乏しくなってしまった様に感じる。
サラリーマンでも公務員でも議員でも、或いは、パートのおばちゃんでも誰でも報酬を貰えばプロだ。 だが「雇われている」というより「働いてやっている」という意識が強く、それに加えて単なる時間潰しで就職している者も少なくない。
給料とは、昔でいう俸禄であり、侍(さぶら)うという自覚もない。「侍う」とは「仕える」という意味。侍とは主君に仕える身であり、主君がいない侍は素浪人。
自分の夢がありながら目先の生活に困窮したものなら夢を諦めてしまう。或いは、分不相応な生活を望んで、結果、目先の「食える」「高給」な職業を選択する。
「好きなことをやり、それで食えるようになりたい」と思うのならば、それに向かい懸命に努力し、我慢し、試練や艱難に耐えながら必死に生きれば好いが、今の時代、夢なんぞ二の次で、アルバイト程度で食えてしまうから始末が悪い。
これではプロやホンモノは育たない。 目先の仕事や食えることを優先するというのは、それは自分自身への誤魔化しであり、プロやホンモノへの侮辱でもある。
駐車場の管理人をしてる元極左の高齢者を知ってるが、働けるのに生活保護を受給してる元赤軍派で後期高齢者左翼の足立正生なんてのはプロとは言い難い。
ボクサー・辰吉丈一郎を20年間追いかけた、「ジョーのあした-辰吉丈一郎との20年」というドキュメンタリー映画を観たことがあるだろうか。辰吉も今や48歳。
原則的に日本人ボクサーの「定年」は37歳だそうだ。その歳を疾うに過ぎても尚、現役に拘る辰吉の思いと魅力がインタビューに拠って引き出されて行く。
この映画について、某雑誌のインタビューに応える辰吉の言葉が実に好い。
〈現在の収入は?〉
辰吉:全く無い。無収入。
〈無収入? 生活は?〉
辰吉:いうても僕、3回も世界チャンピオンになってますから(笑)。ファイトマネーを無駄遣いして来なかったし、リングに立って稼いでいる訳ではない以上は、貯金を下ろして生活するしかないでしょ?
〈過去には、数千万単位のCM出演を断ったとの伝説もあります〉
辰吉:うん。だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで。ボクサーがCMって違うと思うんで。小銭ならいいですよ? でも、何千万というお金を稼いではダメだと思った。
〈後悔は?〉
辰吉:一切ない。
〈世間からは「もう十分だろ」との声も届いていると思うのですが?〉
辰吉:まがいものというのか、ひねくれているというのか。デビューの頃から僕は、普通が嫌やったんですよ。
紛い物ではないこれぞホンモノだろう。捻くれている様にも見えるが、「普通が嫌だった」というこの気持ちと男の痩せ我慢は愚生は大いに共感出来るものだ。
テレビを見れば、プロのスポーツ選手や大相撲の力士やメダリストらがタレントの如くに出演し、CMなんて当たり前の時代にあって、「だって僕、タレントじゃなくてボクサーなんで」とは中々言えた言葉ではない。これぞプロ中のプロだと思う。
自分の生き方がありながら目先のカネに飛び付いて、本業ではない仕事で食えることを優先するというのはプロとしての覚悟が乏しい証拠。斯く在りたいものだ。
ボクサーだろうが、サラリーマンだろうが、パートの主婦だろうが、どんな仕事に就いて様が、右翼だろうが、あっちにコロコロ、こっちにコロコロと、要領の好い生き方をしてるヤツよりも、愚生はこうした信念のある削げ者が好きだ。
愚生が右翼に入った昭和50年代というのは右翼ブームで、暴走族らが多く、マスコミには「インスタント右翼」などと揶揄された。愚生も何百何千の右翼を見て来たが殆ど残ることはなく、熱が醒めると去って行き、残ったのはホンの僅か。
その残った者がホンモノかというとそうでもない。最近はそんなインスタント右翼時代よりも気軽に出入り出来る様になったし、右翼とサラリーマン右翼との境もなくなった。こうした流れが好いことなのか、悪いのかは分からない。
既成右翼と自称・愛国者やネット右翼とのボーダーラインが無くなったのは確かだろう。それと比例して右翼は怖さが無くなったし、何より牙がなくなった。今の保守ブームが去れば、自称・愛国者らも去って行くのは火を見るより明らか。
政治の世界も同じで、結局はホンモノとホンモノのぶつかり合い。大衆はどちらにも動くし、大衆の意見というのはそういうもの。我が国の不幸は、滅私奉公を忘れ、次の選挙や保身のことばかりで、ホンモノの政治家がいないことに尽きる。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
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