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2021年12月07日

ミャンマーの民主化はそう容易な道程ではない

 ミャンマーの民主化指導者アウンサン・スー・チーが「扇動罪」などの罪で禁錮4年の刑(即日禁錮2年に減刑)に処せられた。汚職や国家機密法違反容疑で訴追されており、最大で禁錮100年を超える刑を言い渡される可能性があるという。

 国際人権団体のアムネスティ・インターナショナルは、スー・チーの訴追はでっち上げだとして「裁判所の滑稽で腐敗した判決は軍のクーデター以来殺害され、数千人が逮捕されてきた恣意的な処罰の破滅的な過程の一部だ」と抗議している。

 ASEANA(東南アジア諸国連合)人権に関する国会議員の会(APHR)も過去に「裁判の結果に騙される者はいない」と表明し、「クーデターの日以来、スー・チーや他に拘束された国会議員に対する訴追は、軍事政権が違法な権力掌握を正当化する為の言い訳に過ぎないことが明らかになっている」との声明を出している。

 2011年に民政移管後初の総選挙が行われ、スー・チー率いる最大野党・国民民主連盟(NLD)が改選議席の80%を獲得した。だが「選挙結果は不正だ」としてクーデターを起こし、ウィン・ミン大統領とスー・チーら政権幹部を拘束した。

 スー・チーを民主化の象徴と讃えて発足したミャンマーだったが、民主化は10年足らずで軍事政権に逆戻り。ミャンマー国民にとっては軍事政権も裏で中国共産党が蠢いているミャンマーの内情は誰がトップに就こうが大して変わらない。

 ミャンマーというと身近に感じないが、ビルマというと映画や小説の「ビルマの竪琴」などを思い浮かべ、どことなく身近に感じる人は多いのではなかろうか。

「ビルマの竪琴」は、大東亜戦争末期のビルマを舞台に僧となって戦死した同胞らを弔うことを選んだ水島上等兵の姿を通して、人類愛と戦争を描いた映画である。

 当時、イギリス軍の拠点となっていたインパールを占領する為に、日本軍が決行した作戦が「インパール作戦」。戦後の価値観で「史上最悪の作戦」「無為無策の戦術」と批判されているこの戦いでは16万人の日本兵が亡くなっている。

 米英を始め、マスコミの多くはミャンマー軍事政権を非難し、スー・チーを民主化運動指導者と持ち上げて「スー・チーこそがミャンマーの救世主」であるかの様な報道が目立つが、ミャンマー(ビルマ)の歴史はそんな単純に語れるものではない。

 十五世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れがアジア諸国にも押し寄せ、アジア諸国の殆どが次々と欧米帝国主義の植民地として蚕食された。

 国王が支配し、歴史を有するビルマも英国の植民地となった。英国は国王をインドに流し、王子を殺し、王女はインド兵に与え王家を絶やした。国王が住んだ城を監獄に造り替え、インド人や華僑を入れ多民族多宗教国家に変えた。

 改変されたビルマは、インド人が金融を、華僑が商売を、山岳民族が軍と警察を握り、ビルマ人は最下層の農奴にされた。 英国にズタズタにされたビルマは、第二次大戦後戦後、独立を快復すると英国的なものを全てを排除したのは当然のこと。

 アウンサン(スー・チーの父)の暗殺もその一つだった。犯行は元首相のウ・ソーとされているが、英国が仕組んだものだということは歴史的事実でもある。

 奴隷制度や残虐行為が明るみに出れば、アジアでの残虐行為は日本ではなく白人国家だったということが世界にバレてしまうことに危惧した欧米は踵を返しビルマ非難を始めた。その工作に利用されたのがアウンサンの娘のスー・チーだった。

 英国人に父親を殺され、反英国の象徴になると思われたスー・チーを英国に連れ出して教育し洗脳した。そして英国人の男性と結婚させ、手懐けることに成功した。

 スー・チーは英国に忠誠を誓い、英国に背く祖国を非難し、国内の「植民地支配の糾弾事業」を潰し、ビルマ政府を「軍事政権だ」と非難し続けた。そんな、スー・チーの功績が何故か認められノーベル平和賞を受賞することとなった。

 90年代、極貧に喘ぐビルマは中国共産党政府に支援を乞うた。当時、議長だったタンシュエは中共への擦り寄りに反対する国内良識派を追放し実権を握る。その後、雪崩の様に入り込んだ支那人が金融も商売も独占し国内は支那化して行った。

 民生移管に向けた総選挙では、中国共産党に国を売ったタンシュエ一派全員が予想通り全員当選。その後に行われた選挙は、世界のマスコミも注視していたこともあり公平な選挙が行われたが、ミャンマーの民主化はそう容易な道程ではない。

 明治19(1886)年、ビルマを視察した明治の陸軍軍人で情報将校でもあった福島安正は、ミャンマーの人々が英国の支配下で奴隷の如く酷使され、気侭に鞭打ちされ射殺されている光景を目の当りにし同じアジア人として義憤に駆られたという。

 明治19年といえば日清戦争が起きる10年程前のこと。欧米列強がアジアを侵略し、我らと同じアジア人の悲劇を眼前にして危機感を抱いてたことが想像出来る。正しく、日清・日露、大東亜戦争は避けて通れぬ歴史的必然だったと再認識する。

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cordial8317 at 04:14│Comments(0)

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