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2015年10月19日

嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか・・・

 今日は靖國神社秋季例大祭第二日祭。案内状には「出席」と応えていたが、今日は残念ながら出席することが叶わない。第二日祭に出席出来ない旨をブログに綴ったら、「靖國神社より大事な用って、ふ~ん」などというコメントが入ってた。

 どう見ても嫌味というか冷やかしだが、明治天皇の思し召しを無視して長州閥が創った靖國がそんなに大事なのだろうか。尤も終身正会員にならなきゃ例大祭には呼ばれないのだが、こういうコメントをくれたヤツは当然乍ら、終身正会員なんだろうなぁ。でなきゃこうしたコメントを書き込める訳がないもんな(笑)

 愚生が知ってる限りでは、終身正会員になってる右翼ってのは数えるしかいない。正会員にもなってない右翼も多いぞ。そういうのはどうなんだね、君?

 閑話休題。岩城光英、高市早苗両大臣が例大祭に合わせて靖國神社を詣でたことで、恒例の批判報道が成されているがいつもながら実に滑稽なことだ。

 靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社であることは誰もが知るところ。合祀対象は、三条実美の祭文の「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩」に限られている。

 戊辰の役では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「皇軍」及び「官軍」と「賊軍」が戦った訳ではない。「賊軍」とは、維新後、明治新政府が作った造語である。この三条公の祭文の原則がある限り 「賊軍」の汚名が消えることはない。

 愚生も大学入学以来、靖國神社には参拝しているが、先ず赴くのは「鎮霊社」。だが、例大祭の期間は閉門されている。「鎮霊社」は幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わって戦没したものの本殿に祀られていない御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る社である。

 安倍総理が本殿前に詣で知られる様になった。 御霊には慶応4年の戊辰戦争で会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊や二本松少年隊、西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。 こうした本殿と鎮霊社の並立状態は「死者の選別」であり、こうした死に対する差別的処置は日本人の持つ宗教観からも違和感を覚える。

 それはまた、所謂「A級戦犯分祀論」もまたそれらと同じ行為を実行しようとする企てであり、断じて赦されるものではない。 靖國神社側が宗教的な敬虔さを示す為に、こうしたカタチで「鎮霊社」を設けたことは高い評価を受けるべきであろう。

「朝敵」や「賊軍」とされ、死後も未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状は、真に「靖國」の意味が在るのかという疑問を生じてしまう一人でもある。

「嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか」という声は無くはないが、未だに「朝敵」とされた儘で放置し続けることが好いも思えない。 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道を重んじていた訳で、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず薩長の策謀で「朝敵」とされただけだ。

 孝明天皇から下賜された御宸翰が何よりの証だろう。 朝敵を別なカタチで祀ることと、朝敵も本殿に祀ることとどちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。「死者の選別」をした儘で好いとは思えない。未だに、所謂「A級戦犯分祀論」で世論を攪乱してるアホ政治家が後を絶えない。

 日本人でありながら英霊を「戦犯」と罵り、分祀さえすればそれで済むというのは靖國を軽んじる愚行でもある。「A級戦犯分祀論」問題は、「鎮霊社」の存在を議論することで、靖國神社を御創建遊ばされた明治天皇の思し召しが国民に知れ渡り、靖國の真の在り方を真剣に考える契機になることを願うばかり。

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cordial8317 at 06:48│Comments(0)

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