君達が日陰者である時の方が国民や日本は幸せなのだ・・・西郷隆盛の本名は「西郷隆永」だったって知ってます?

2015年09月23日

「日本人」とは違う「ニホンジン」が日本国を貶める

 日本に帰化した全ての方々を論う訳ではないが、どうも日本人とは違う「ニホンジン」がこの国の脚を引っ張ってる様に感じてしまう。尤もそれは国内に巣食う左翼どもも同じで、やはり彼らも日本人に非ず、ニホンジンというのが正しい。

 凡そ、我が国の歴史の中でこれ程までに堕落した時代があっただろうか。何故にこの様な混濁の世になってしまったのか。いつの頃からか「グローバルの時代」だとか、やれ「友愛」だとか「親善」だとか「世界ではこうだ」とか、実に曖昧な次元で愚策が講じられ、国民もそれを当然であるかの様に受け容れて来た。

 例えば「観光立国」やシナ人留学生の優遇政策、在日特権など、問題先送りでキチンと突き詰めた議論が成されることなく、安っぽいムードだけで実行された。

「外国人地方参政権問題」や「夫婦別姓」「男女共同参画社会」などでも同じで、内閣府や総理府に巣食う左翼の策謀にまんまと嵌ってしまった結果でもある。

 国際化社会というのは、先ずは自国の文化や歴史を学び、それを基に諸外国の文化を重んじることであるが、我が国は「譲歩」や相手に合わせることを友好だと勘違いしている。特に中共や南北朝鮮との交流は異常としか言い様がない。

 シナ人の人間性は「死んでも非を認めない(死不認錯)」というのが特徴であるという。日本人も、自己正当化の為の反論というのはもっと必要であるとは思うが、間違いを改めることを憚ることがあってはならない。シナに於いては、詭弁や計略の芸術は非常に発達している。これを「詭計多端(きけいたたん)」という。

 大分前のことではあるが、評論家の金美齢が、こうしたシナ人の特異性をブログで紹介していたことがあった。(ここから引用)

 私の夫が50年前のある体験を話してくれたことがある。
 そのとき彼は台湾大学の一年生、田舎のぽっと出だった。
 学寮の食堂で、混雑に紛れて、一人の(中国人)学生が料理一皿を掠め取った。
 「ちょっと待った。君は賄い費を払っていない」
 学寮自治会の賄い委員がこれを見咎めた。
 同様の事件が頻発していたので警戒していたのだ。
 「勝手に料理を持っていって、皆が迷惑しているんだ。
 台湾大学の学生ともあろうものが・・・
 むかし日本時代ならこんなこと絶対に起こらんぞ」
 と台湾人の委員が言い始めた時、
 それまで黙ったままだったシナ(中国)人が突然逆襲に転じた。
 「何だと!台湾は昔も今も中国のものだ。
 『日本時代』とはどういう意味だ。お前は漢奸だ!中華民族の面汚しだ!」
 ここぞとばかりまくし立てるシナ(中国)人の前に、
 台湾人の方は唖然として言葉もでない。
 タダ食いの件はもうどこかへ飛んでいってしまい、
 この偉大なる中華民族の愛国者は昂然と方を聳やかせて、
 食堂から出て行ったのだという。
 こうした議論のすり替え(移花接木)は
 シナ(中国)人の最も得意とするところだ。(引用終了)

 こうした人間性は小中華の朝鮮然り。日本に帰化した方々を批判するつもりはないが、DNAとか育った環境というのはそう簡単には変わらないものだ。

 シナ人と付き合う上でこうした「死不認錯」「移花接木」「信口開河」といった、支那人の本性を理解することは大事なことだと思われますが、如何でしょう。

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cordial8317 at 10:07│Comments(0)

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