2015年06月02日
ああ人栄え国亡ぶ 盲(めしい)たる民世に踊る 治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり
新聞に目を通すと、相変わらず自衛隊員のリスクが語られている。気になったことがあったので地元紙の読者の欄に投稿してみたがどうせボツだろう(苦笑)
警察予備隊から1822名が、東日本大震災でも多くの自衛隊員が殉職し、高度のストレスから自殺者も相次ぎ、今までで1851名の方が亡くなっている。
何故に「戦争法案」と国民を誑かし、何故に海外派兵のみのリスクを語るのか。これでは片手落ちではないか。この「片手落ち」は禁止用語だ。盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)なんてのは死語。
古い映画の「座頭市」や「眠狂四郎」なんてのは、放送禁止用語が飛び交ってて実に面白い。昔から使われて来た言葉を、新興であるマスコミが勝手に申し合わせた放送禁止用語を、国民に強要することこそ驕りであり、逆差別だと思う。
一方では「表現の自由」や「言論の自由」を叫びながら、一方では言論そのものを規制するとはダブルスタンダート(二重基準)以外の何ものでもない。
先日、NHKの朝の番組で、市原節子が「まんが日本昔話」の山姥(やまんば)の話しから、(山姥は)「片輪(かたわ)」になった人や「毛唐(けとう)」ではないのかと自説を語るも、直ぐにアナウンサーが謝罪することとなった。
こうした表現は差別を助長するというが、こんな言葉が差別を助長するとはとても思えない。単にくだらない申し合わせであり、部落解放同盟の難癖に屈してるだけに過ぎない。差別さえ容認する明るい社会こそが差別そのものを無くす。
沖縄戦での集団自決命令に関し、大江健三郎の自著「沖縄ノート」が軍命令の証拠に採用され、摩訶不思議な判決が下されているが、この「沖縄ノート」に書かれている差別表記には部落解放同盟もマスコミも沈黙し続けている。
「沖縄ノート」で大江は、沖縄での「自殺者」を虐殺だとし、「25年ぶりの屠殺者と生き残りの再会」と、自殺者を「屠殺者」だと準えている。「屠殺(とさつ)」も「屠殺人(者)」も「屠殺場」も差別表記として、放送禁止用語になっている。
大江のこの差別表記に対しては、マスコミも部落解放同盟も依然として沈黙し黙殺を決込んでいる。 普段のクダらん差別表現を大騒ぎするのなら、「沖縄ノート」も同じ様に、差別表現の最たるものとして糾弾すべきではないのか。 これもまた左翼勢力や売国マスコミに因る「片手落ち」の最たるものだろう。
1987年には「沖縄ノート」と同じ、岩波書店が出版した「報道写真家」の中の「戦場という異常な状況下では、牛や豚などの家畜の虐殺と同じになる」という記述が部落解放同盟から差別表記と騒がれて、直ぐに回収処分となっている。
「沖縄ノート」は摩訶不思議なことに誰からも糾弾されず、岩波書店も回収するどころかアホな裁判官が、これを証拠に、「軍による集団自決命令はあった」として摩訶不思議な判決を出した。 大江のみ「神格化」される理由は何なのか?
「反日」「自虐史観」では、バカ左翼の連中は共闘するということだろう。違うというのなら、朝日新聞や岩波書店、部落解放同盟らの所感を聞きたいものだ。
要は、自分達の都合の悪いことには目を瞑り、自分達に都合の好いことは何でも利用して大袈裟に騒ぎ立てるというのが左翼やマスコミの常套手段でもある。都合の悪いことは聞こえないふりをして、自分への悪口だけには敏感に反応することを、昔は「聾の早耳(つんぼのははみみ)」といったのを知ってるだろうか(笑)
三上卓作詞・作曲の「昭和維新の歌」の三番に、「ああ人栄え国亡ぶ 盲(めしい)たる民世に踊る 治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり」という詩がある。正に、一億総国民がマスコミや左翼の煽動に因って「聾桟敷(つんぼさじき)」に追い遣られて、「明き盲(あきめくら)」にされつつある。呵呵
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
警察予備隊から1822名が、東日本大震災でも多くの自衛隊員が殉職し、高度のストレスから自殺者も相次ぎ、今までで1851名の方が亡くなっている。
何故に「戦争法案」と国民を誑かし、何故に海外派兵のみのリスクを語るのか。これでは片手落ちではないか。この「片手落ち」は禁止用語だ。盲(めくら)、唖(おし)、吃(ども)り、跛(びっこ)、聾(つんぼ)なんてのは死語。
古い映画の「座頭市」や「眠狂四郎」なんてのは、放送禁止用語が飛び交ってて実に面白い。昔から使われて来た言葉を、新興であるマスコミが勝手に申し合わせた放送禁止用語を、国民に強要することこそ驕りであり、逆差別だと思う。
一方では「表現の自由」や「言論の自由」を叫びながら、一方では言論そのものを規制するとはダブルスタンダート(二重基準)以外の何ものでもない。
先日、NHKの朝の番組で、市原節子が「まんが日本昔話」の山姥(やまんば)の話しから、(山姥は)「片輪(かたわ)」になった人や「毛唐(けとう)」ではないのかと自説を語るも、直ぐにアナウンサーが謝罪することとなった。
こうした表現は差別を助長するというが、こんな言葉が差別を助長するとはとても思えない。単にくだらない申し合わせであり、部落解放同盟の難癖に屈してるだけに過ぎない。差別さえ容認する明るい社会こそが差別そのものを無くす。
沖縄戦での集団自決命令に関し、大江健三郎の自著「沖縄ノート」が軍命令の証拠に採用され、摩訶不思議な判決が下されているが、この「沖縄ノート」に書かれている差別表記には部落解放同盟もマスコミも沈黙し続けている。
「沖縄ノート」で大江は、沖縄での「自殺者」を虐殺だとし、「25年ぶりの屠殺者と生き残りの再会」と、自殺者を「屠殺者」だと準えている。「屠殺(とさつ)」も「屠殺人(者)」も「屠殺場」も差別表記として、放送禁止用語になっている。
大江のこの差別表記に対しては、マスコミも部落解放同盟も依然として沈黙し黙殺を決込んでいる。 普段のクダらん差別表現を大騒ぎするのなら、「沖縄ノート」も同じ様に、差別表現の最たるものとして糾弾すべきではないのか。 これもまた左翼勢力や売国マスコミに因る「片手落ち」の最たるものだろう。
1987年には「沖縄ノート」と同じ、岩波書店が出版した「報道写真家」の中の「戦場という異常な状況下では、牛や豚などの家畜の虐殺と同じになる」という記述が部落解放同盟から差別表記と騒がれて、直ぐに回収処分となっている。
「沖縄ノート」は摩訶不思議なことに誰からも糾弾されず、岩波書店も回収するどころかアホな裁判官が、これを証拠に、「軍による集団自決命令はあった」として摩訶不思議な判決を出した。 大江のみ「神格化」される理由は何なのか?
「反日」「自虐史観」では、バカ左翼の連中は共闘するということだろう。違うというのなら、朝日新聞や岩波書店、部落解放同盟らの所感を聞きたいものだ。
要は、自分達の都合の悪いことには目を瞑り、自分達に都合の好いことは何でも利用して大袈裟に騒ぎ立てるというのが左翼やマスコミの常套手段でもある。都合の悪いことは聞こえないふりをして、自分への悪口だけには敏感に反応することを、昔は「聾の早耳(つんぼのははみみ)」といったのを知ってるだろうか(笑)
三上卓作詞・作曲の「昭和維新の歌」の三番に、「ああ人栄え国亡ぶ 盲(めしい)たる民世に踊る 治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり」という詩がある。正に、一億総国民がマスコミや左翼の煽動に因って「聾桟敷(つんぼさじき)」に追い遣られて、「明き盲(あきめくら)」にされつつある。呵呵
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cordial8317 at 06:46│Comments(0)
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