2022年01月29日
橋下徹の発信力はヒトラーの扇動と似てるっちゃ似てるわな(笑)
「大阪都構想」が否決され、橋下徹が政界引退を表明したのは7年前だったか。引退してからコメンテーターとしてテレビに出ては持論を垂れ流している。スピーカーとしての橋下の、あの発信力というものは成否は別にして大したものだと思う。
菅直人が橋下徹を「主張は別として弁舌の巧みさでは第1次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす」などと投稿し話題になってるが、ヒトラーの様な迫力には欠けるが「弁舌の巧みさ」との喩えは言い得て妙。
大阪維新の会(日本維新の会)を創ったのは自民党大阪府連の議員だった松井一郎。政策の違いから自民党府連との仲違いから脱党し、維新の会の設立に至った。
華の無い松井は、橋下の弁舌の豊かさとカリスマを欲し維新の会のシャッポに祭り上げた。そういう意味では、菅直人と同じくヒトラーばりの橋下の「弁舌の巧みさ」を承知しており、立憲民主党に対しての抗議文は御粗末と言う他はない。
ヒトラー発言より、日本維新の会が支持を広げた理由について菅は「自治体の役人が優遇されているという維新の『役人天国』批判に低所得者層の人達が共鳴し支持を広げたとの分析が有力」との投稿での「低所得者層」発言の方が問題だろう。
橋下というのは問題が起きると敵対する勢力を作って、過激な言辞で注目させ世論を煽るというのがいつものパターン。コメンテーターとして保守派を装ったり、タカ派的言行や相手を揶揄する手法などを駆使しては国民を誑かしている。
橋下が訴えている政策は「靖國神社参拝反対」「国立戦没者追悼施設建立」「A級戦犯分祀論」「夫婦別姓(選択的夫婦別姓)推進」「戸籍法廃止」「外国人参政権付与」「沖縄独立」などなど、保守思想とは乖離した売国的なものばかり。
中でも「戸籍法廃止」について「日本の戸籍は差別助長のツール」「戸籍は要らない。マイナンバーで事足りる」「夫婦別姓の実現には戸籍を廃止するしかない」などと国民世論を誑かし「戸籍法廃止」の必要性を訴えている。
「現戸籍における本籍地や出生地の記載は被差別地域を確認すること以外に使い道がありません。本人の本籍地は簡単に変えることができますが、本人の出生地や先祖の本籍地・出生地は延々と付いてきます」との自説を垂れ流しては悦に入る。
「本籍地や出生地の記載は被差別地域を確認すること以外に使い道がない」とは妄想逞しいと言う他はない。「先祖の本籍地・出生地は延々と付いてきます」とは先祖の何が不都合なのか。要は、出自が怪しい先祖の過去を消したいだけだろう。
夫婦別姓を推進してる橋下徹は、夫婦別姓に代わる「選択的夫婦別姓」について、「反対する理由が分かりません。選択的なんですから同姓にしたいなら同姓にすればいい、別姓にしたいんだったら別姓にすればいい」と語って憚らない。
更にトーンを上げ、「反対する人は姓が変わる事によって家族の絆が失われるとかなんとかっていうのは、アホか!って言ってやりたい。なんで反対するのかさっぱり分からない」 と語ってるが、これぞ橋下御得意の論理の摩り替えである。
夫婦別姓(選択的夫婦別姓)推進派の屁理屈は付けたりに過ぎない理由で、最終的な目的は民法改正に止まらず我が国が世界に誇る「戸籍制度の廃止」である。
橋下は天皇について「日本独特の天皇制は僕は今後も維持すべきだと思う。ところが『日本の国柄の柱は天皇制だ』と強調する保守政治家・保守論客の連中に限って、本気で天皇制を維持しようとしているのか」と疑問を投げ掛けている。
共産党の造語である「天皇制」という言葉を使っていることでも、反天皇勢力に与していることが感じられる。天皇とは制度ではなく、天皇は天皇である。現憲法下での国事行為を行う制度が天皇制ならそこを正さねければならない。
弁護士だけに言葉を選んではいるが、橋下こそ究極の天皇制廃止論者であり、こうした似非保守に騙されている国民は少なくない。橋下は大衆迎合主義者であると共に自己顕示欲の塊とも言うべき人種と言った方が分かり易いか。
「大阪維新」や「日本維新」を叫ぶ橋下は、自民党政権時代から続く古い政治体制を打ち破ろうという意気込みは立派にも思えるが、どうしても育ちの悪さから「野心」とか「野望」にしか感じないのは出生の怪しさと人となりの所為だろう。
陋習を打ち破らんとするのは大いに結構なことだが、日本の国體や国柄が壊れかねない愚策を掲げて「維新」などとは実に痴がましい。恰も惨憺たる現体制を打破し、新たな政治体制を確立するかの様な言動をするが連中に保守思想はない。
尊皇精神に乏しく、保守したいのは現体制下での政治家の椅子だけだ。 我が国では長い歴史の中で、尊皇を掲げ、陋習を打ち破らんと維新の大業が成し遂げられた。それが「大化の改新」「建武の中興(新政)」「明治維新」である。
維新とは「維れ新なり」。日本維新の会が軽々しく使い国民を言い拵えているが、右顧左眄の自己保身に狂奔する政治家どもが痴がましくも口に出すものではない。
維新の精神とは、藤田東湖が訓える、「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」であり、維新者を自負する者は肝に銘ぜよ。
陋習を打破し、改革を推し進めようとすると必ず邪魔をする者が現れるものだ。何故なら、既得権者にとって改革を放置すれば、忽ち自分の立つ基盤を失ってしまうから抵抗するのが常。それらを蹴散らして前へ進んでこそ改革者である。
橋下は菅発言に「ヒットラーへ重ね合わす批判は国際的には御法度。まあ今回は弁舌の巧みさということでお褒めの言葉と受け取っておくが。それよりも強い野党を本気で作る気があるなら、大阪では自民に圧勝している維新政治を謙虚に研究すべき」と反論しているが、菅らにはそうした苦言を受け入れる度量は無い。
「失言や暴言」「政策の矛盾」を正当化するあの橋下の弁舌の豊かさと論理を摩り替える技術は天性のものであり、魑魅魍魎の政治の世界では貴重かもな。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
菅直人が橋下徹を「主張は別として弁舌の巧みさでは第1次大戦後の混乱するドイツで政権を取った当時のヒットラーを思い起こす」などと投稿し話題になってるが、ヒトラーの様な迫力には欠けるが「弁舌の巧みさ」との喩えは言い得て妙。
大阪維新の会(日本維新の会)を創ったのは自民党大阪府連の議員だった松井一郎。政策の違いから自民党府連との仲違いから脱党し、維新の会の設立に至った。
華の無い松井は、橋下の弁舌の豊かさとカリスマを欲し維新の会のシャッポに祭り上げた。そういう意味では、菅直人と同じくヒトラーばりの橋下の「弁舌の巧みさ」を承知しており、立憲民主党に対しての抗議文は御粗末と言う他はない。
ヒトラー発言より、日本維新の会が支持を広げた理由について菅は「自治体の役人が優遇されているという維新の『役人天国』批判に低所得者層の人達が共鳴し支持を広げたとの分析が有力」との投稿での「低所得者層」発言の方が問題だろう。
橋下というのは問題が起きると敵対する勢力を作って、過激な言辞で注目させ世論を煽るというのがいつものパターン。コメンテーターとして保守派を装ったり、タカ派的言行や相手を揶揄する手法などを駆使しては国民を誑かしている。
橋下が訴えている政策は「靖國神社参拝反対」「国立戦没者追悼施設建立」「A級戦犯分祀論」「夫婦別姓(選択的夫婦別姓)推進」「戸籍法廃止」「外国人参政権付与」「沖縄独立」などなど、保守思想とは乖離した売国的なものばかり。
中でも「戸籍法廃止」について「日本の戸籍は差別助長のツール」「戸籍は要らない。マイナンバーで事足りる」「夫婦別姓の実現には戸籍を廃止するしかない」などと国民世論を誑かし「戸籍法廃止」の必要性を訴えている。
「現戸籍における本籍地や出生地の記載は被差別地域を確認すること以外に使い道がありません。本人の本籍地は簡単に変えることができますが、本人の出生地や先祖の本籍地・出生地は延々と付いてきます」との自説を垂れ流しては悦に入る。
「本籍地や出生地の記載は被差別地域を確認すること以外に使い道がない」とは妄想逞しいと言う他はない。「先祖の本籍地・出生地は延々と付いてきます」とは先祖の何が不都合なのか。要は、出自が怪しい先祖の過去を消したいだけだろう。
夫婦別姓を推進してる橋下徹は、夫婦別姓に代わる「選択的夫婦別姓」について、「反対する理由が分かりません。選択的なんですから同姓にしたいなら同姓にすればいい、別姓にしたいんだったら別姓にすればいい」と語って憚らない。
更にトーンを上げ、「反対する人は姓が変わる事によって家族の絆が失われるとかなんとかっていうのは、アホか!って言ってやりたい。なんで反対するのかさっぱり分からない」 と語ってるが、これぞ橋下御得意の論理の摩り替えである。
夫婦別姓(選択的夫婦別姓)推進派の屁理屈は付けたりに過ぎない理由で、最終的な目的は民法改正に止まらず我が国が世界に誇る「戸籍制度の廃止」である。
橋下は天皇について「日本独特の天皇制は僕は今後も維持すべきだと思う。ところが『日本の国柄の柱は天皇制だ』と強調する保守政治家・保守論客の連中に限って、本気で天皇制を維持しようとしているのか」と疑問を投げ掛けている。
共産党の造語である「天皇制」という言葉を使っていることでも、反天皇勢力に与していることが感じられる。天皇とは制度ではなく、天皇は天皇である。現憲法下での国事行為を行う制度が天皇制ならそこを正さねければならない。
弁護士だけに言葉を選んではいるが、橋下こそ究極の天皇制廃止論者であり、こうした似非保守に騙されている国民は少なくない。橋下は大衆迎合主義者であると共に自己顕示欲の塊とも言うべき人種と言った方が分かり易いか。
「大阪維新」や「日本維新」を叫ぶ橋下は、自民党政権時代から続く古い政治体制を打ち破ろうという意気込みは立派にも思えるが、どうしても育ちの悪さから「野心」とか「野望」にしか感じないのは出生の怪しさと人となりの所為だろう。
陋習を打ち破らんとするのは大いに結構なことだが、日本の国體や国柄が壊れかねない愚策を掲げて「維新」などとは実に痴がましい。恰も惨憺たる現体制を打破し、新たな政治体制を確立するかの様な言動をするが連中に保守思想はない。
尊皇精神に乏しく、保守したいのは現体制下での政治家の椅子だけだ。 我が国では長い歴史の中で、尊皇を掲げ、陋習を打ち破らんと維新の大業が成し遂げられた。それが「大化の改新」「建武の中興(新政)」「明治維新」である。
維新とは「維れ新なり」。日本維新の会が軽々しく使い国民を言い拵えているが、右顧左眄の自己保身に狂奔する政治家どもが痴がましくも口に出すものではない。
維新の精神とは、藤田東湖が訓える、「大義を明にし、人心を正さば、皇道奚(いずく)んぞ興起せざるを憂えん」であり、維新者を自負する者は肝に銘ぜよ。
陋習を打破し、改革を推し進めようとすると必ず邪魔をする者が現れるものだ。何故なら、既得権者にとって改革を放置すれば、忽ち自分の立つ基盤を失ってしまうから抵抗するのが常。それらを蹴散らして前へ進んでこそ改革者である。
橋下は菅発言に「ヒットラーへ重ね合わす批判は国際的には御法度。まあ今回は弁舌の巧みさということでお褒めの言葉と受け取っておくが。それよりも強い野党を本気で作る気があるなら、大阪では自民に圧勝している維新政治を謙虚に研究すべき」と反論しているが、菅らにはそうした苦言を受け入れる度量は無い。
「失言や暴言」「政策の矛盾」を正当化するあの橋下の弁舌の豊かさと論理を摩り替える技術は天性のものであり、魑魅魍魎の政治の世界では貴重かもな。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員は300000円~。
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