2021年05月17日
右翼(RIGHT)で何が悪い(笑)
我が国を見渡せば一億評論家時代と言っても好いだろう。今やジャーナリズムに正義は存在せず、マスコミが垂れ流す安直な論評に一喜一憂し、右も左もサラリーマンも主婦も正義を振り翳し「政治を糺す」と声高に叫んでいる。
マスコミは、国民の安直な正義感に迎合し、マスコミ御用達のコメンテーターやアホタレを登場させては偏った私感を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続けている。
政治とは国家観や歴史観を重んじながら、国民目線とはかけ離れた政治哲学や人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなである。国民目線とは、ワイドショーに煽られた平均的意見であり、国民に迎合するのは危険な兆候でもある。
政治家は次の選挙しか頭に無く、国民の目を気にして「国民目線の政治を行う」と、然も国民を慮った様なキレイゴトを吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創り上げることでもない。
政治が国民目線に立った歴史を振り返れば国は滅ぶというのは世の常でもある。何故なら国民の判断力は古今東西常に低く実に幼稚で気紛れなものだからだ。
ネット(SNS)では自称保守派や自称愛国者らが将来を熱く語り、意にそぐわない意見には雑言を浴びせる。左翼もまた安っぽい平和主義で国民を誑かす。
だが「正義」というのは実に難しく、あやふやな存在でもある。また、政治を糺すにしても政治の仕組みや選挙の仕組みが旧態依然だもの変わり様がない。
政治が立派に機能して、政治家がちゃんと政治をしていれば、国民が政治を意識することも無く、自分の仕事に打ち込んでいられるものなのだ。
「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」との三島由紀夫の言葉は実に正鵠を射ている。
自分の仕事もほっぽらかして政治の話題に一喜一憂している様は、正に政治が機能していない裏返しでもある。サラリーマンや主婦らが政治に関心を持って騒いでいる様では、衆愚政治はこれからも続くということでもある。
そして行き着く処まで行かなけりゃ気が付くことも無い。そしてその時に「維新」という革命が起こるのだ。維新者はいつかの一旦緩急に備え己を鍛え上げよ。
「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、祖国日本が恰も滅亡するかの様に叫ぶ自称保守や営業右翼が溢れている。それらの意見に自称愛国者が便乗し「尖閣を護るには憲法第九条を改正するしかない」と騒ぎ立てる。
九条改正こそ究極の護憲運動であるということすら理解していない。「天壌無窮の神勅」を疑い、神国日本の不滅を確信せずに何が保守か、何が愛国者か。
正統保守ならば、神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指すことこそ大事であり、憲法九条なんぞ末の話だ。我が国は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に従って存在し、現在に至っているのを知らないのか。
吉田松陰は「この神勅ある限り日本は永遠なり、日本の将来を悲観することは神勅を疑うという罪を犯すものである」と訓える。日本を愛し、国體護持を訴えると何故か「右翼」と蔑視され、自称保守派からも「朝鮮右翼」と罵られる(笑)
自称保守派や自称愛国者らは、既成右翼への嫌悪感と蔑視から「自分達は右翼ではない」と否定する。だが、右翼を英語でいうと「right」だし、「all right」とは「よろしい」とか「差し支えない」、「任せろ!」といった意味だ。
愛国者は「patriot」というが、右翼はrightであって愛国者でないというのはこういうことで、そういう愚生も愛国者などと逆上せ上ったこともない(笑)
右翼という言葉には本来こういう意味を持つと理解してるので、右翼という世間からの嘲笑や蔑称を恥ずかしいと思ったこともない。右翼で何が悪い(笑)
「今の時代はますます複雑になって新聞を読んでもテレビを見ても真相はつかめない。そういうときに何があるかといえば自分で見にいく他ないんだよ。いま筋の通ったことをいえば皆右翼といわれる。大体“右”というのは、ヨーロッパの言葉では“正しい”という意味なんだから(笑)」と三島由紀夫も言ってるではないか(笑)
「all right」。そう、汝臣民が全て右翼になれば事は解決する。呵呵大笑。
※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方やメッセージはmr.cordial@live.jpへ御気軽にメールを寄せられたい。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
マスコミは、国民の安直な正義感に迎合し、マスコミ御用達のコメンテーターやアホタレを登場させては偏った私感を居丈高に振り翳し、国民を煽動し続けている。
政治とは国家観や歴史観を重んじながら、国民目線とはかけ離れた政治哲学や人間観、世界観、時には高度な権謀術数を必要とするものなである。国民目線とは、ワイドショーに煽られた平均的意見であり、国民に迎合するのは危険な兆候でもある。
政治家は次の選挙しか頭に無く、国民の目を気にして「国民目線の政治を行う」と、然も国民を慮った様なキレイゴトを吐く。だが、民主主義の本質は国民目線に立つことではないし、平均的な国民を創り上げることでもない。
政治が国民目線に立った歴史を振り返れば国は滅ぶというのは世の常でもある。何故なら国民の判断力は古今東西常に低く実に幼稚で気紛れなものだからだ。
ネット(SNS)では自称保守派や自称愛国者らが将来を熱く語り、意にそぐわない意見には雑言を浴びせる。左翼もまた安っぽい平和主義で国民を誑かす。
だが「正義」というのは実に難しく、あやふやな存在でもある。また、政治を糺すにしても政治の仕組みや選挙の仕組みが旧態依然だもの変わり様がない。
政治が立派に機能して、政治家がちゃんと政治をしていれば、国民が政治を意識することも無く、自分の仕事に打ち込んでいられるものなのだ。
「胃痛の時に初めて胃の存在が意識されると同様に、政治なんてものは、立派に動いていれば、存在を意識される筈のものではなく、況して食卓の話題なんかになるべきものではない。政治家がちゃんと政治をしていれば、鍛冶屋はちゃんと鍛冶屋の仕事に専念していられるのである」との三島由紀夫の言葉は実に正鵠を射ている。
自分の仕事もほっぽらかして政治の話題に一喜一憂している様は、正に政治が機能していない裏返しでもある。サラリーマンや主婦らが政治に関心を持って騒いでいる様では、衆愚政治はこれからも続くということでもある。
そして行き着く処まで行かなけりゃ気が付くことも無い。そしてその時に「維新」という革命が起こるのだ。維新者はいつかの一旦緩急に備え己を鍛え上げよ。
「日本は滅びる!」「日本が危ない!」と徒に危機を煽り、祖国日本が恰も滅亡するかの様に叫ぶ自称保守や営業右翼が溢れている。それらの意見に自称愛国者が便乗し「尖閣を護るには憲法第九条を改正するしかない」と騒ぎ立てる。
九条改正こそ究極の護憲運動であるということすら理解していない。「天壌無窮の神勅」を疑い、神国日本の不滅を確信せずに何が保守か、何が愛国者か。
正統保守ならば、神州不滅を信じ、神武肇国の精神の高揚と国家国民の繁栄を目指すことこそ大事であり、憲法九条なんぞ末の話だ。我が国は、天照大神の「天壌無窮の神勅」に従って存在し、現在に至っているのを知らないのか。
吉田松陰は「この神勅ある限り日本は永遠なり、日本の将来を悲観することは神勅を疑うという罪を犯すものである」と訓える。日本を愛し、国體護持を訴えると何故か「右翼」と蔑視され、自称保守派からも「朝鮮右翼」と罵られる(笑)
自称保守派や自称愛国者らは、既成右翼への嫌悪感と蔑視から「自分達は右翼ではない」と否定する。だが、右翼を英語でいうと「right」だし、「all right」とは「よろしい」とか「差し支えない」、「任せろ!」といった意味だ。
愛国者は「patriot」というが、右翼はrightであって愛国者でないというのはこういうことで、そういう愚生も愛国者などと逆上せ上ったこともない(笑)
右翼という言葉には本来こういう意味を持つと理解してるので、右翼という世間からの嘲笑や蔑称を恥ずかしいと思ったこともない。右翼で何が悪い(笑)
「今の時代はますます複雑になって新聞を読んでもテレビを見ても真相はつかめない。そういうときに何があるかといえば自分で見にいく他ないんだよ。いま筋の通ったことをいえば皆右翼といわれる。大体“右”というのは、ヨーロッパの言葉では“正しい”という意味なんだから(笑)」と三島由紀夫も言ってるではないか(笑)
「all right」。そう、汝臣民が全て右翼になれば事は解決する。呵呵大笑。
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cordial8317 at 07:51│Comments(0)
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