2015年03月19日
八紘一宇とは「世界は一家 人類は皆兄弟」ていうのが分かり易いが・・・
参議院予算委員会の質疑で三原じゅん子が使った「八紘一宇」という言葉に関して賛否両論渦巻いている。どんな内容だったのかYouTubeで観てみたが、己の発する言葉に悦に入ってる感じで実に軽々しく映っていたが、流石は女優だな。「八紘一宇」という言葉を知って、言いたくて言いたくて仕方なかったのだろう。
「言いたがり屋は聞き齧り屋」というのが、聞き齧った事をその儘に口にするので、言葉そのものに重みも無いから軽々しい。要は身に付いていないということだ。
三原も自分的には誇らしげに語っているつもりなのだろうが、現代の安っぽい愛国ブームに便乗し、それらの支持を得ようという邪な考えがあるのだとしたら、先の総選挙でタカ派を標榜した次世代の党を見れば一目瞭然で逆効果でしかない。
まぁ「八紘一宇」も知らない政治家も多い中で、或いは曲解して騒いでいる商業左翼よりはまともなのだろうが、如何せん喩えが悪過ぎる。三原は批判を受けて、自身のブログで、「私の質疑が一つのきっかけになって、忘れられようとしている日本の『建国の理念』と『天皇陛下の祈り』について広く知って頂くと共に、皆様に考えて頂ける機会になって欲しいと思っております」とその心境を綴っている。
「八紘一宇」は戦時中ではなく、神武天皇即位の際の詔を起源とする言葉であるとし、日本書紀に書かれている様な、「みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神である」と説明し、御丁寧にも「橿原建都の詔」の画像まで貼り付けている。
だが、その前に「侵略を正当化したいなどとも思っていません」と断りも入れている。要は、先の大戦は侵略戦争との認識の上で、敢えて「八紘一宇」という言葉を持ち出したということ。ならば神武肇国を云々語る前に近代史も学んだら如何か。
三原の問題となった質問は、企業の国際的な租税回避問題を取り上げる中で飛び出した発言で、「八紘一宇の理念の下に、世界が一つの家族の様に睦み合い、助け合える様な経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書の様なものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と語っている。
「八紘一宇」発言よりも問題なのは、「世界が一つの家族の様に睦み合い、助け合える様な経済、税の仕組みを運用することを確認する」という、グローバル経済こそ安倍政権の進めるべき道であるというその認識である。似非保守がバレバレ(苦笑)
グローバル経済を八紘一宇に準えるとは、いやはや困ったもので、発言を正当化するのならば安倍政権が進めるグローバル経済こそ諫めるべきだろう。
三原は「神武天皇即位の際の詔を起源とする言葉であるとし、日本書紀に書かれている様な『みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神』である」と語った。
八紘一宇とは、「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと」が語源であるが、三原が、この神武肇国の大理想である「八紘一宇」を認識しているとは到底思えない。言葉だけの模倣だ。国民も同じく、本当の意味を理解している人は限りなく少ないだろう。 二・二六事件の「蹶起趣意書」にもこの八紘一宇が使われている。
「謹んで惟るに我が神洲たる所以は 万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ 遂に八紘一宇を完うするの国体に存す」。「八紘一宇」を口にする者は命がけで戦う気概が必要。そういう心構えが無いのなら軽々しく口に出すべきものではない。それとも命がけでグローバル経済を推進しようとしているのか(笑)
最近の愛国運動や保守活動が軽々しくなったのは 政治家の無能に加え、「愛国」や「保守」を利用し、それを生業としている営業保守が元凶であり、その影響はかなりなものだ。国旗を高々と掲げ、勇ましい言葉を叫ぶのも結構だが、三原の発言にしろ、保守派の日本自画自賛論も、愚生には軽々しいものとしか感じない。
「八紘一宇を云々する者、固より皇祖皇宗の大訓なれば、謹愼嚴戒を要す」。高高、国会の質疑で、グローバル経済を推進する過程で、畏れ多くも天子の詔を口にしたことは軽々しく、その言い訳も実に烏滸がましいものであると言わざるを得ない。
「グローバル経済」というのは、安倍政権が目指す柱でもあり、経済のグローバル化は、新自由主義と市場原理主義で世界中の資源が最適に配分され、より多くの富を生み出し、世界経済は発展するというもの。理論上では効果を上げ、恰もグローバル経済がこれからの我が国の進むべき道かの様に語り、国民を誑かしている。
だが、新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍政権というのは諸刃の剣である。「グローバル化」というのは、自国の文化や歴史を置き去りにせずきちんと捉え、文化などを伝承しながら他国の文化も理解して行かなければ意味はない。
世界に最も良い影響を与えている我が国が、世界各地での国際貢献は目には見えない部分が多く、グローバル経済が日本と世界を救うかの妄想よりも、我が国の歴史を理解し、日本語に誇りを持ち、日本文化を貫く日本人を育むことこそ大事である。
明治の先覚者の偉大さは外来語を全て新漢字に翻訳し、日本語で西洋文明を学ぶことが出来たことだ。現代の政治家は、カタカナ英語を羅列して、恰もそれが国際人であると勘違いし、然もそれが正論であるかの様に語っているが、これを舶来趣味と言わずして何という。昨今のカタカナ英語の氾濫こそ日本人の劣化の現れである。
「八紘一宇」という言葉を軽々しく使い、「みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神である」というのなら、先ず、日本語文化を世界に普及することだ。
英語というバチカンでは忌み嫌われた田舎言葉が世界語となっているのは、英国が武力で支配し富を独占したからに過ぎない。英国に代わり、今は米国がその主導権を握り、我が国をグローバル経済の渦にに巻き込もうとしているのだ。
世界では数千万人もの人が日本語を学び、日本文化を懸命に学ぶ努力をしている。日本語文化の普及こそが、日本を中心とする世界平和を実現する近道でもある。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
「言いたがり屋は聞き齧り屋」というのが、聞き齧った事をその儘に口にするので、言葉そのものに重みも無いから軽々しい。要は身に付いていないということだ。
三原も自分的には誇らしげに語っているつもりなのだろうが、現代の安っぽい愛国ブームに便乗し、それらの支持を得ようという邪な考えがあるのだとしたら、先の総選挙でタカ派を標榜した次世代の党を見れば一目瞭然で逆効果でしかない。
まぁ「八紘一宇」も知らない政治家も多い中で、或いは曲解して騒いでいる商業左翼よりはまともなのだろうが、如何せん喩えが悪過ぎる。三原は批判を受けて、自身のブログで、「私の質疑が一つのきっかけになって、忘れられようとしている日本の『建国の理念』と『天皇陛下の祈り』について広く知って頂くと共に、皆様に考えて頂ける機会になって欲しいと思っております」とその心境を綴っている。
「八紘一宇」は戦時中ではなく、神武天皇即位の際の詔を起源とする言葉であるとし、日本書紀に書かれている様な、「みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神である」と説明し、御丁寧にも「橿原建都の詔」の画像まで貼り付けている。
だが、その前に「侵略を正当化したいなどとも思っていません」と断りも入れている。要は、先の大戦は侵略戦争との認識の上で、敢えて「八紘一宇」という言葉を持ち出したということ。ならば神武肇国を云々語る前に近代史も学んだら如何か。
三原の問題となった質問は、企業の国際的な租税回避問題を取り上げる中で飛び出した発言で、「八紘一宇の理念の下に、世界が一つの家族の様に睦み合い、助け合える様な経済、税の仕組みを運用することを確認する崇高な政治的合意文書の様なものを、安倍総理こそが世界中に提案していくべきだと思う」と語っている。
「八紘一宇」発言よりも問題なのは、「世界が一つの家族の様に睦み合い、助け合える様な経済、税の仕組みを運用することを確認する」という、グローバル経済こそ安倍政権の進めるべき道であるというその認識である。似非保守がバレバレ(苦笑)
グローバル経済を八紘一宇に準えるとは、いやはや困ったもので、発言を正当化するのならば安倍政権が進めるグローバル経済こそ諫めるべきだろう。
三原は「神武天皇即位の際の詔を起源とする言葉であるとし、日本書紀に書かれている様な『みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神』である」と語った。
八紘一宇とは、「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと」が語源であるが、三原が、この神武肇国の大理想である「八紘一宇」を認識しているとは到底思えない。言葉だけの模倣だ。国民も同じく、本当の意味を理解している人は限りなく少ないだろう。 二・二六事件の「蹶起趣意書」にもこの八紘一宇が使われている。
「謹んで惟るに我が神洲たる所以は 万世一系たる天皇陛下御統帥の下に挙国一体生成化育を遂げ 遂に八紘一宇を完うするの国体に存す」。「八紘一宇」を口にする者は命がけで戦う気概が必要。そういう心構えが無いのなら軽々しく口に出すべきものではない。それとも命がけでグローバル経済を推進しようとしているのか(笑)
最近の愛国運動や保守活動が軽々しくなったのは 政治家の無能に加え、「愛国」や「保守」を利用し、それを生業としている営業保守が元凶であり、その影響はかなりなものだ。国旗を高々と掲げ、勇ましい言葉を叫ぶのも結構だが、三原の発言にしろ、保守派の日本自画自賛論も、愚生には軽々しいものとしか感じない。
「八紘一宇を云々する者、固より皇祖皇宗の大訓なれば、謹愼嚴戒を要す」。高高、国会の質疑で、グローバル経済を推進する過程で、畏れ多くも天子の詔を口にしたことは軽々しく、その言い訳も実に烏滸がましいものであると言わざるを得ない。
「グローバル経済」というのは、安倍政権が目指す柱でもあり、経済のグローバル化は、新自由主義と市場原理主義で世界中の資源が最適に配分され、より多くの富を生み出し、世界経済は発展するというもの。理論上では効果を上げ、恰もグローバル経済がこれからの我が国の進むべき道かの様に語り、国民を誑かしている。
だが、新自由主義を盲信し、経済至上主義に奔る安倍政権というのは諸刃の剣である。「グローバル化」というのは、自国の文化や歴史を置き去りにせずきちんと捉え、文化などを伝承しながら他国の文化も理解して行かなければ意味はない。
世界に最も良い影響を与えている我が国が、世界各地での国際貢献は目には見えない部分が多く、グローバル経済が日本と世界を救うかの妄想よりも、我が国の歴史を理解し、日本語に誇りを持ち、日本文化を貫く日本人を育むことこそ大事である。
明治の先覚者の偉大さは外来語を全て新漢字に翻訳し、日本語で西洋文明を学ぶことが出来たことだ。現代の政治家は、カタカナ英語を羅列して、恰もそれが国際人であると勘違いし、然もそれが正論であるかの様に語っているが、これを舶来趣味と言わずして何という。昨今のカタカナ英語の氾濫こそ日本人の劣化の現れである。
「八紘一宇」という言葉を軽々しく使い、「みんなで仲良くし、共に発展していく和の精神である」というのなら、先ず、日本語文化を世界に普及することだ。
英語というバチカンでは忌み嫌われた田舎言葉が世界語となっているのは、英国が武力で支配し富を独占したからに過ぎない。英国に代わり、今は米国がその主導権を握り、我が国をグローバル経済の渦にに巻き込もうとしているのだ。
世界では数千万人もの人が日本語を学び、日本文化を懸命に学ぶ努力をしている。日本語文化の普及こそが、日本を中心とする世界平和を実現する近道でもある。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
cordial8317 at 11:58│Comments(0)
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。