藤沢秀行と升田幸三。こうした勝負師から学ぶことは実に多い邦人殺害の実行犯とされる英国人を国際指名手配せよ!

2015年02月01日

イスラム国に屈する訳には参らない。目覚めよ、日本人!

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 日本人ジャーナリストの後藤健二が「イスラム国」に殺害されたとみられる映像がインターネット上に投稿された。マスコミは朝からてんやわんやの大騒ぎ。

 然し乍ら、今回の様な外国人への見せしめは想定されていたことで、ジャーナリストの死がどういう意味を持つのかを、日本人一人一人が考えるべきであろう。

 過去の同じ様なジャーナリストの殺害や、一昨年前に起きたアルジェリア人質事件で邦人10人が殺害されたことなど、日本人はもう忘れてしまった様だが、イスラム圏に於いては今回の日本人殺害事件だけが特別なものなのではない。

「可哀想だ」とか「気の毒だ」とか、「安倍が見殺しにした」だと「自業自得」だとか、そんな簡単な次元で解決出来る問題でもない。確かに、「政府が見殺しにした」というのは強ち間違いではないが、安倍が見殺しの張本人でもない。

 唯、その過ちは身代金の拒否というものではなく、歴代政府が国防や安全保障という国家の大本を米国に委ねていたツケが今回の事件の背景にあるのは確かである。

 こうした償いは、米国依存ではなく我が国独自での国防体制の強化というカタチで償うべきであろう。過ちや失敗というのは繰り返すことがあってはならないのだ。

 自らの意思で行った国でそうした自らの行動に伴う犠牲より、自らの意志とは関係なく祖国から拉致され塗炭の苦しみを味わい、未だ帰ることも叶わない同胞の無念や悲しみに思いを致せば、如何なる不条理も晴らさねばならないと痛感する。

 言い方は悪いかも知れないが、今回のイスラム国での日本人同胞二人の殺害は、日本人が「真の平和」というものを考える好い機会になったのではなかろうか。

 今回のこの日本人殺害事件を教訓にするのは当然ながら、国際情勢を鑑み、国防体制を強化し、国民の生命と安全を如何に護るかということを真剣に議論すべきであろう。だが、国内を見渡せば総理官邸前でどんちゃん騒ぎしている左翼どもの光景を見れば、相変わらず我が国は平和ボケが蔓延していると痛感する。

 自称平和主義者らは集団的自衛権に反対し国防さえも否定するが、国防の目的は「平和」にあり、「戦争」にある訳ではない。日本人の愚かさは、国防を否定してしまっていることで、国防を除いてしまったら、国家の存在意義まで失われてしまうことに何故に気が付かないのか。左翼に欠落していることはそういうことだ。

 国防とは単に領土の防衛だけではないく、国防とは三島由紀夫の「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くこと」との訓えに在る。

「国を護る」ということは、つまりは国柄であり、民族、宗教、言語、​歴史、価値観、習慣、制度を護るであり、世界の中で最も優れた精神文化​や将来を担う未来の子供達を育むことであり、そして何より皇統を死守し、継承して行くことである。

 国防で重要なことは「何から何を護るのか」を明確にした上で、国防の範囲を画定することが基本である。今回の殺害事件も、一昨年前のアルジェリアの邦人殺害も、我が国の法整備の欠落と危機管理能力の欠如と脆弱さを顕わにした。

 今回のイスラム国に因る殺害事件を教訓に、これらの妨げになっている現憲法の議論と見直しから始めるべきなのだが、未だ現憲法を金科玉条の如く奉り、このクソ憲法を守ってさえいれば平和が続くと思っている輩も多く存在しているのも確か。

「平和ボケ」という言葉は、我が国の高度成長からバブル時代にかけて、金儲けや飽食に狂奔してきた世相や空想的平和論を弄び、米国の核には反対しても、中共やロシアの核には反対したことも無い団塊の世代や左翼運動家を揶揄したものだ。

 今や左翼に止まらず国民の多くが、まやかしの平和に気付かぬまま、魂亡き繁栄に現を抜かし、私利私欲に狂奔してしまっている。安倍でなくても「同胞を死に追い遣ったテロリストに罪を償わせる為に」、また「テロに屈しない」というならば、我ら日本人自身が戦後の平和主義の妄想から覚醒せねばならないのだ。

 戦後の我が国の平和は単なる偶然に過ぎず、北朝鮮に拉致されたまま、未だ救出すら、まともな交渉すら出来ない現状を見れば、正に拉致という日本人へのテロ事件は平和主義という妄想が生んだ悲劇であると断じても過言ではない。

 国家の大本をいつまで米国に委ねるのか。これでは米国の属国ではないか。今こそ、平和や安全というものは、自らの手で創り出さなければならないのである。

 安倍は「テロと戦う国際社会で日本として責任を毅然として果たしていく」と強調する。その上で「食糧支援や医療支援といった人道支援を拡充していく」という。

「テロと戦う国際社会で我が国の責任だ」とするその認識は間違いであると断じざるを得ない。人道支援とは耳障りの好い言葉だが、人道支援しか出来ない政治の歪みを現すもので、これ即ち現憲法の矛盾を曝け出していることでもあるのだ。

 出国前、「何があっても私の責任」とその覚悟を示していたジャーナリストの後藤健二。それを「気の毒だ」などと言い現わしたらそれこそ気の毒だろう。正に「男子の本懐」、これに尽きる。怠惰な生活に溺れ、まやかしの平和の中で「自己責任」「自業自得」などとか断じてる輩よりも立派だったと思う。合掌

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cordial8317 at 09:47│Comments(0)

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