2015年01月28日
藤沢秀行と升田幸三。こうした勝負師から学ぶことは実に多い
囲碁の第三十三期女流本因坊就位式で藤沢里菜が允許状を受けた。祖父は言わずと知れた故・藤沢秀行名誉棋聖。豪快、華麗な棋風と酒と女と博打(ギャンブル)麻雀を愛し、破天荒な生き方で囲碁ファンを始め多くの国民を魅了した伝説の人物だ。
博打と女好きが高じて、ヤクザの高利な金に手を出したお蔭で莫大な借金を抱えてしまう。囲碁のタイトル戦の賞金で支払うしかなく、負ければそこでお終い、首を括らねばならない情況の中での勝負は、正に鬼気迫るものがあった。
そんな名誉棋聖とは、物心両面で世話になった大手警備会社で幾度となく拝顔の栄に欲したことがある。眼光鋭く、浮世離れした観は独特で、「あの人が藤沢秀行さんだよ」と会長から教えられた時には妙に納得し、感激した覚えがある。
何でも藤沢さん、若い頃に愛人を何人か囲い、夫夫に子供を儲けてて、その生活費の工面を晩年なってもずっと続けていたそうだ。工面する方もだが、それを支援してやる方も大したものだ。氏の著書は100冊を超え、中でも破天荒な人生を綴ったエッセイは面白いものが多い。読んだ本の中では「野垂れ死に」を思い出す。
若手の棋士の育成に力を注ぎ、また趙治勲二十五世本因坊や林海峰・名誉天元らも教えを請うた一人であり、中共国内や台湾の棋士の実力向上に大きく貢献し、当時の中国共産党の最高実力者・鄧小平の表敬訪問を受けたこともある人物でもある。酒癖は悪い方ではないらしいが、酔うと「お〇〇こ」を連呼するという(笑)
鄧小平尿系訪問を受けた際も酔っ払い、「お〇〇このことを中国語では何というのだ」という話しに終始したらしく、結果、面談は途中で中止になった(笑)
このエピソードを聞いた時には、「流石はシュウコウさん!」と爆笑したが、言わせて貰えれば、どうせ慇懃無礼な支那人のこと、上っ面のことしか言わないだろうから、敢えて酔った振りしてワザとやったんだろう。シラフでやれば角が立つが、酔っていれば笑って許されることも承知の上での、藤沢さんらしい名人芸(笑)
勝負師の酒でのエピソードと言えば升田幸三を思い出す。占領下、将棋が廃止される危機に際し、GHQの本部の在った皇居前の第一生命ビルに単身趣き、将棋を救ったことは有名だ。戦後GHQは日本弱体化の為にあらゆる物を監視し規制した。
「将棋」でさえも軍国主義と結びつけ、「こんな危ないゲームは無くすに限る」と日本将棋連盟に連絡し呼び出したGHQ。当時は未だ「日本将棋連盟」ではなく「将棋大成会」という組織で、会長の木村義雄は升田幸三を送り出すことにした。
升田の全盛期は短かったが、棋風も言動も兎に角豪快で、大山の前の名人である木村を相手に「名人なんてのはゴミみたいなもんだ」と発言し、「名人がゴミなら君はなんだ」と反問されると、「ゴミに集るハエよ」と言い返した逸話が残る。
この升田を木村は「将棋の危機を救うのは升田しかない」と使者とした。升田は兵隊の時に、ポナペ島で星空を見上げては宿敵木村名人を倒すことばかり考えていたという。そんな彼の目の前から将棋が指せなくなる危機が生じたのだ。
GHQの牙城に乗り込んだ升田は、開口一番、「酒を飲ませろ」
将校は驚きながらも缶ビールを差し出した。
缶ビールを知らない升田は、「不味いなぁ、これは本物のビールか」
これには将校も呆気に取られた。
酒を出させたのは升田の強がりではなかった。ビールを飲めば小便が近くなり、難しい質問なら便所に駆け込んで考えようという、升田の緻密な作戦であったのだ。
米軍将校は升田に、「我々のチェスと違って、日本将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使う。これは捕虜の虐待であり人道に反するではないか」と吹っかける。
升田は、「あなた方は頻りに民主主義を振り回すが、チェスなんてなんだ。王様が危うくなると女王を盾にして逃げるじゃないか。レデイーファーストとは聞いて呆れる。古来から日本の武将は落城にあたっては女や子供を間道から逃し、然る後に潔く切腹したもんだ。敵の駒も自分のものとするのは、駒の能力を尊重してのことだ。適材適所だ。これが本当の民主主義なのだ。民主主義をバカの一つ覚えみたいに唱えるより、日本の将棋を勉強して政治に生かしたらどうだ」 と、言い放つ。
酔った勢いで喋り倒し敵を圧倒、斯くして将棋は生き残った。
藤沢と升田、共に酔いをも作戦に入れる強かさは流石だ。聞き齧った様な理論をひけらかす営業保守から学ぶものはないが、勝負師から学ぶことは多い。藤沢秀行は書も愛し、その独特な書体は勢いがあり内に秘めた迫力が現れている。
その中でも、「大丈夫心配ない死ぬまで生きる」と「強烈な努力」という言葉が好きで、カレンダーの切り抜きだが、壁に貼り付けて毎日拝し元気を頂いている。
「死んだように生きてはいかん、死ぬまで生き生きと、死ぬまでは生きるのだ」という意味が込められているらしいが、単純な言葉だが勝負師が言うと奥が深い。
逆境を跳ね除ける精神力と豪快さは、是非とも見習いたいものであるが、愚生に足らないものは「強烈な努力」以外にはないとは分かってはいるのだが。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
博打と女好きが高じて、ヤクザの高利な金に手を出したお蔭で莫大な借金を抱えてしまう。囲碁のタイトル戦の賞金で支払うしかなく、負ければそこでお終い、首を括らねばならない情況の中での勝負は、正に鬼気迫るものがあった。
そんな名誉棋聖とは、物心両面で世話になった大手警備会社で幾度となく拝顔の栄に欲したことがある。眼光鋭く、浮世離れした観は独特で、「あの人が藤沢秀行さんだよ」と会長から教えられた時には妙に納得し、感激した覚えがある。
何でも藤沢さん、若い頃に愛人を何人か囲い、夫夫に子供を儲けてて、その生活費の工面を晩年なってもずっと続けていたそうだ。工面する方もだが、それを支援してやる方も大したものだ。氏の著書は100冊を超え、中でも破天荒な人生を綴ったエッセイは面白いものが多い。読んだ本の中では「野垂れ死に」を思い出す。
若手の棋士の育成に力を注ぎ、また趙治勲二十五世本因坊や林海峰・名誉天元らも教えを請うた一人であり、中共国内や台湾の棋士の実力向上に大きく貢献し、当時の中国共産党の最高実力者・鄧小平の表敬訪問を受けたこともある人物でもある。酒癖は悪い方ではないらしいが、酔うと「お〇〇こ」を連呼するという(笑)
鄧小平尿系訪問を受けた際も酔っ払い、「お〇〇このことを中国語では何というのだ」という話しに終始したらしく、結果、面談は途中で中止になった(笑)
このエピソードを聞いた時には、「流石はシュウコウさん!」と爆笑したが、言わせて貰えれば、どうせ慇懃無礼な支那人のこと、上っ面のことしか言わないだろうから、敢えて酔った振りしてワザとやったんだろう。シラフでやれば角が立つが、酔っていれば笑って許されることも承知の上での、藤沢さんらしい名人芸(笑)
勝負師の酒でのエピソードと言えば升田幸三を思い出す。占領下、将棋が廃止される危機に際し、GHQの本部の在った皇居前の第一生命ビルに単身趣き、将棋を救ったことは有名だ。戦後GHQは日本弱体化の為にあらゆる物を監視し規制した。
「将棋」でさえも軍国主義と結びつけ、「こんな危ないゲームは無くすに限る」と日本将棋連盟に連絡し呼び出したGHQ。当時は未だ「日本将棋連盟」ではなく「将棋大成会」という組織で、会長の木村義雄は升田幸三を送り出すことにした。
升田の全盛期は短かったが、棋風も言動も兎に角豪快で、大山の前の名人である木村を相手に「名人なんてのはゴミみたいなもんだ」と発言し、「名人がゴミなら君はなんだ」と反問されると、「ゴミに集るハエよ」と言い返した逸話が残る。
この升田を木村は「将棋の危機を救うのは升田しかない」と使者とした。升田は兵隊の時に、ポナペ島で星空を見上げては宿敵木村名人を倒すことばかり考えていたという。そんな彼の目の前から将棋が指せなくなる危機が生じたのだ。
GHQの牙城に乗り込んだ升田は、開口一番、「酒を飲ませろ」
将校は驚きながらも缶ビールを差し出した。
缶ビールを知らない升田は、「不味いなぁ、これは本物のビールか」
これには将校も呆気に取られた。
酒を出させたのは升田の強がりではなかった。ビールを飲めば小便が近くなり、難しい質問なら便所に駆け込んで考えようという、升田の緻密な作戦であったのだ。
米軍将校は升田に、「我々のチェスと違って、日本将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使う。これは捕虜の虐待であり人道に反するではないか」と吹っかける。
升田は、「あなた方は頻りに民主主義を振り回すが、チェスなんてなんだ。王様が危うくなると女王を盾にして逃げるじゃないか。レデイーファーストとは聞いて呆れる。古来から日本の武将は落城にあたっては女や子供を間道から逃し、然る後に潔く切腹したもんだ。敵の駒も自分のものとするのは、駒の能力を尊重してのことだ。適材適所だ。これが本当の民主主義なのだ。民主主義をバカの一つ覚えみたいに唱えるより、日本の将棋を勉強して政治に生かしたらどうだ」 と、言い放つ。
酔った勢いで喋り倒し敵を圧倒、斯くして将棋は生き残った。
藤沢と升田、共に酔いをも作戦に入れる強かさは流石だ。聞き齧った様な理論をひけらかす営業保守から学ぶものはないが、勝負師から学ぶことは多い。藤沢秀行は書も愛し、その独特な書体は勢いがあり内に秘めた迫力が現れている。
その中でも、「大丈夫心配ない死ぬまで生きる」と「強烈な努力」という言葉が好きで、カレンダーの切り抜きだが、壁に貼り付けて毎日拝し元気を頂いている。
「死んだように生きてはいかん、死ぬまで生き生きと、死ぬまでは生きるのだ」という意味が込められているらしいが、単純な言葉だが勝負師が言うと奥が深い。
逆境を跳ね除ける精神力と豪快さは、是非とも見習いたいものであるが、愚生に足らないものは「強烈な努力」以外にはないとは分かってはいるのだが。呵呵。
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cordial8317 at 11:42│Comments(0)
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