2015年01月17日
阪神淡路大震災から20年、防災と国防が万全なものにすることが犠牲者に応える唯一無二のものである
6434名が犠牲となった阪神淡路大震災から20年が経った。この20年の間、我が政府はその教訓を生かして来たのだろうか。残念乍ら、その後に起こった東日本大震災を始めとした災害を見る限り、万全な体制を執って来たとはとても思えない。
遡ればそれは、敗戦の汚辱を払拭せずに、戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計は米国に依存して来たことに起因するといっても過言ではないだろう。
大東亜戦争の教訓は当然ながら、過去に起きた災害等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなる様に、更なる高度な対策が構築されて行くことを望むばかり。
阪神大震災が起こった際の首相は日本社会党党首の村山富市だった。「自衛隊違憲合法論」を標榜するクサレ社会党の親分でもあった村山は、自衛隊の出動に難色を示した。その結果、村山の対応の拙さから数千人もの助かる命が失われた。
自衛隊への出動命令の遅れを記者から批判された村山は、「なんせ、初めてのことじゃけ~」と他人事の様に語ったことは決して忘れはしない。「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とはよく言ったもので、日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を侵略と断じ、どさくさに「村山談話」までも発表した。
慰安婦問題や歴史問題で火に油を注いだ村山は我が国を貶め続け、老醜を曝け出し、老害を撒き散らしている。菅直人の現場視察強行やSPEDDIの数値隠蔽で、要らぬ被曝を招いた東日本大震災もまた然り。社会党や民主党といった最悪の政権の時に何故に最悪の天災が起こるのだろう。やはり天譴、天罰であったのだろうか。
三上卓が作詞作曲した「青年日本の歌(昭和維新の歌)」に一節には、「天の怒りか地の声か、そもただならぬ響きあり、民永劫の眠りより、醒めよ日本の朝ぼらけ」とあるが、今こそ戦後のあらゆる不条理と不正義から覚醒せねばならない。
GHQの統治下だった昭和25年の警察予備隊発足以来、阪神淡路大震災や東日本大震災など、災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に行われている訓練で、1840名もの自衛官が殉職されていることを国民は知っているだろうか。
国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛体が、都合の好い便利屋的な扱いをされ、こうした任務で殉職したことも知らされないというのはどうしたものか。
こうした殉職した自衛官諸君に対し、国家や国民が如何に感謝し、如何に慰霊・顕彰すべきなのか。こうしたことは財政再建よりも優先されるべきである。
自衛隊殉職者追悼式は市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で、自衛隊関係者のみで、国民が慰霊・顕彰することはない。殉職された自衛官は靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべきだと思うが、如何せん、自衛隊の存在があやふや故に儘ならない。
度々、靖國神社に代わる追悼施設の問題が議論されるが、市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑が新たな追悼施設にされるのではなかろうと危惧する国民は少なくない。
市谷駐屯地に籠城した三島由紀夫は、その「檄」の中で「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破している。自衛隊は未だ違憲の儘で放置され続けているのだ。
現憲法の第9条・第2項には、「陸海空軍の戦力は保持しない」と明記されている。この条項が在る限り、悲しい哉、自衛隊は明らかな憲法違反の存在なのだ。然し乍ら、阪神大震災や東日本大震災などに於ける救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊をまともな日本人ならば誰も否定はしまい。
安倍首相は、「集団的自衛権」に対して、憲法解釈などという姑息な手段でその場を凌いだ。何故に堂々と現憲法の矛盾点を指摘して、自衛隊を名誉ある軍にしようとしないのか。憲法の矛盾と不条理を解消することに、誰に何を慮るというのか。
これ以上の政治の怠慢は赦されない。我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことこそが、多くの震災で犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。合掌。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
遡ればそれは、敗戦の汚辱を払拭せずに、戦後の経済的繁栄だけに現を抜かし、国の大本を忘れ国民精神を失ひ、本を正さずして末に奔り、国家百年の大計は米国に依存して来たことに起因するといっても過言ではないだろう。
大東亜戦争の教訓は当然ながら、過去に起きた災害等で被災された多くの方々の犠牲を無駄にすることなく、今後の我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなる様に、更なる高度な対策が構築されて行くことを望むばかり。
阪神大震災が起こった際の首相は日本社会党党首の村山富市だった。「自衛隊違憲合法論」を標榜するクサレ社会党の親分でもあった村山は、自衛隊の出動に難色を示した。その結果、村山の対応の拙さから数千人もの助かる命が失われた。
自衛隊への出動命令の遅れを記者から批判された村山は、「なんせ、初めてのことじゃけ~」と他人事の様に語ったことは決して忘れはしない。「言い訳は見苦しいばかりではなく同じ過ちを繰り返す」とはよく言ったもので、日韓併合の植民地支配と大東亜戦争を侵略と断じ、どさくさに「村山談話」までも発表した。
慰安婦問題や歴史問題で火に油を注いだ村山は我が国を貶め続け、老醜を曝け出し、老害を撒き散らしている。菅直人の現場視察強行やSPEDDIの数値隠蔽で、要らぬ被曝を招いた東日本大震災もまた然り。社会党や民主党といった最悪の政権の時に何故に最悪の天災が起こるのだろう。やはり天譴、天罰であったのだろうか。
三上卓が作詞作曲した「青年日本の歌(昭和維新の歌)」に一節には、「天の怒りか地の声か、そもただならぬ響きあり、民永劫の眠りより、醒めよ日本の朝ぼらけ」とあるが、今こそ戦後のあらゆる不条理と不正義から覚醒せねばならない。
GHQの統治下だった昭和25年の警察予備隊発足以来、阪神淡路大震災や東日本大震災など、災害派遣や我が国の平和と独立、国民の生命財産を守る為に行われている訓練で、1840名もの自衛官が殉職されていることを国民は知っているだろうか。
国家の防衛と国民の生命・財産を守るべき自衛体が、都合の好い便利屋的な扱いをされ、こうした任務で殉職したことも知らされないというのはどうしたものか。
こうした殉職した自衛官諸君に対し、国家や国民が如何に感謝し、如何に慰霊・顕彰すべきなのか。こうしたことは財政再建よりも優先されるべきである。
自衛隊殉職者追悼式は市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑の前で、自衛隊関係者のみで、国民が慰霊・顕彰することはない。殉職された自衛官は靖國神社に祀り、国民が感謝の誠を捧げるべきだと思うが、如何せん、自衛隊の存在があやふや故に儘ならない。
度々、靖國神社に代わる追悼施設の問題が議論されるが、市ヶ谷駐屯地内の慰霊碑が新たな追悼施設にされるのではなかろうと危惧する国民は少なくない。
市谷駐屯地に籠城した三島由紀夫は、その「檄」の中で「自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず」と喝破している。自衛隊は未だ違憲の儘で放置され続けているのだ。
現憲法の第9条・第2項には、「陸海空軍の戦力は保持しない」と明記されている。この条項が在る限り、悲しい哉、自衛隊は明らかな憲法違反の存在なのだ。然し乍ら、阪神大震災や東日本大震災などに於ける救援活動や民生支援など正に命を賭して活動し、日夜訓練に励む自衛隊をまともな日本人ならば誰も否定はしまい。
安倍首相は、「集団的自衛権」に対して、憲法解釈などという姑息な手段でその場を凌いだ。何故に堂々と現憲法の矛盾点を指摘して、自衛隊を名誉ある軍にしようとしないのか。憲法の矛盾と不条理を解消することに、誰に何を慮るというのか。
これ以上の政治の怠慢は赦されない。我が国の危機管理と防災と国防が万全なものとなり、より高度な対策が構築されて行くことこそが、多くの震災で犠牲になられた方々の無念さに応える唯一無二のものであると信じて止まない。合掌。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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cordial8317 at 19:29│Comments(0)
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