2015年01月02日
「鎮霊社」という死者への選別をいつまで続けるつもりなのか
大晦日の未明、靖國神社内の鎮霊社が放火されるという事件が起きた。ここのところ立て続けに起こっている神社への放火事件は、何を示唆しているのだろう。
護国の英霊を祀る靖國神社の放火は断じて赦されざる蛮行であり、如何なる理由があろうとも厳罰に処し、精神障害を騙るならば施設に収監し矯正すべし。
靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社であるが、その合祀対象は、三条実美の祭文に明示されている様に、「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩・・・」に限られている。
戊辰の役では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「官軍」と「賊軍」が戦ったのではない。「賊軍」とは、維新後、新政府によって作られた造語である。
この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者が祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が消えることはない。
戊辰戦争で「朝敵」「逆賊」「賊軍」に仕立てられた会津藩が戦いに敗れると、不毛の領地であった「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。
会津藩に限らず戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、抗戦し、敗れた多くの東日本の雄藩は、明治新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。 「賊軍」の汚名を着せられた多くの人々は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。
彼らは臥薪嘗胆、耐えることで国全体が保たれるのならばと悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。そんな中で明治9年6月2日、明治天皇は、灯台巡視船で御召し船でもある「明治丸」で、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。
巡行を終えた明治天皇が、横浜に帰港遊ばされた日が7月20日であり、これが「海の日」の謂れであるが、東北・北海道への巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。
明治丸でいわき港へ到着。福島からは馬車で、仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るコースを辿っている。
この間、東北の人々は御巡幸の先々で奉迎した。 この巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく一切の蟠りも無くなったのだ。靖國神社が建立され、未だ7年ほどのことだ。
明治26年には、靖國神社の参道に高く聳える大村益次郎の銅像が建立される。大村といえば、靖國神社の象徴でもあるが、陸軍大将・西郷を差し置き、陸軍の実務責任者として靖國神社の建設場所を独自の判断で決めた人物でもある。
大村が、明治天皇の東北・北海道への巡行後に、三条実美の祭文を糺していれば靖國の在り方も違っただろう。「朝敵」「逆賊」「賊軍」という汚名を着せられ続けている方々が祀られているのが、今回ボヤ騒ぎがあった「鎮霊社」である。
歴史は浅く、昭和40年5月26日に地鎮祭が斎行され、7月13日に鎮座祭を挙行し、以来この日に祭事が斎行されている。「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わって戦没したものの本殿に祀られていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る。
この鎮霊社には、慶応4年の戊辰戦争で会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊や二本松少年隊、明治10年の西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。 然し乍ら、本殿と鎮霊社の並立状態は、平成13年参議院選挙直前の党首討論で、小泉純一郎がいみじくも語った、「死者の選別」に該当する好例だとも言えよう。
靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に、こうしたカタチで「鎮霊社」を設けたことは高い評価を受けるべきであろうが、死後も未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状に「靖國」の意味が在るのかという疑問もまた生じるのも確か。
「嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか」という声は皆無ではないが、朝敵とされた儘で放置し続けることが好いも思えない。
会津藩に至っては幕閣で唯一の神道を重んじていた。京都守護職など、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩であったにも拘らず、西軍の薩長の策謀に因り「朝敵」とされただけだ。孝明天皇から下賜された宸翰が物語っているではないか。
「朝敵」「逆賊」「賊軍」として別なカタチで祀ることと、彼らを靖國神社本殿に祀ることと、そのどちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。「死者の選別」をした儘で好いとはとても思えない。
所謂「A級戦犯分祀論」で世論を攪乱してるアホ政治家が後を絶えないが、英霊を「戦犯」と罵り、分祀さえすればそれで済むと思っているのなら罪深い。
「鎮霊社」の存在を議論しながら、靖國神社を御創建遊ばされた明治天皇の思し召しに応える意味でも、靖國神社の真の在り方を真剣に考えなくてはならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
護国の英霊を祀る靖國神社の放火は断じて赦されざる蛮行であり、如何なる理由があろうとも厳罰に処し、精神障害を騙るならば施設に収監し矯正すべし。
靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社であるが、その合祀対象は、三条実美の祭文に明示されている様に、「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩・・・」に限られている。
戊辰の役では「西軍」と「東軍」は干戈を交えたが、「官軍」と「賊軍」が戦ったのではない。「賊軍」とは、維新後、新政府によって作られた造語である。
この祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、或いは西南の役での西郷軍関係者が祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が消えることはない。
戊辰戦争で「朝敵」「逆賊」「賊軍」に仕立てられた会津藩が戦いに敗れると、不毛の領地であった「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。
会津藩に限らず戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、抗戦し、敗れた多くの東日本の雄藩は、明治新政府に参政することなく辛苦の日々を送っていた。 「賊軍」の汚名を着せられた多くの人々は、新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろう。
彼らは臥薪嘗胆、耐えることで国全体が保たれるのならばと悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。そんな中で明治9年6月2日、明治天皇は、灯台巡視船で御召し船でもある「明治丸」で、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。
巡行を終えた明治天皇が、横浜に帰港遊ばされた日が7月20日であり、これが「海の日」の謂れであるが、東北・北海道への巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。
明治丸でいわき港へ到着。福島からは馬車で、仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るコースを辿っている。
この間、東北の人々は御巡幸の先々で奉迎した。 この巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく一切の蟠りも無くなったのだ。靖國神社が建立され、未だ7年ほどのことだ。
明治26年には、靖國神社の参道に高く聳える大村益次郎の銅像が建立される。大村といえば、靖國神社の象徴でもあるが、陸軍大将・西郷を差し置き、陸軍の実務責任者として靖國神社の建設場所を独自の判断で決めた人物でもある。
大村が、明治天皇の東北・北海道への巡行後に、三条実美の祭文を糺していれば靖國の在り方も違っただろう。「朝敵」「逆賊」「賊軍」という汚名を着せられ続けている方々が祀られているのが、今回ボヤ騒ぎがあった「鎮霊社」である。
歴史は浅く、昭和40年5月26日に地鎮祭が斎行され、7月13日に鎮座祭を挙行し、以来この日に祭事が斎行されている。「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わって戦没したものの本殿に祀られていない日本人の御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀る。
この鎮霊社には、慶応4年の戊辰戦争で会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊や二本松少年隊、明治10年の西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。 然し乍ら、本殿と鎮霊社の並立状態は、平成13年参議院選挙直前の党首討論で、小泉純一郎がいみじくも語った、「死者の選別」に該当する好例だとも言えよう。
靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に、こうしたカタチで「鎮霊社」を設けたことは高い評価を受けるべきであろうが、死後も未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状に「靖國」の意味が在るのかという疑問もまた生じるのも確か。
「嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか」という声は皆無ではないが、朝敵とされた儘で放置し続けることが好いも思えない。
会津藩に至っては幕閣で唯一の神道を重んじていた。京都守護職など、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩であったにも拘らず、西軍の薩長の策謀に因り「朝敵」とされただけだ。孝明天皇から下賜された宸翰が物語っているではないか。
「朝敵」「逆賊」「賊軍」として別なカタチで祀ることと、彼らを靖國神社本殿に祀ることと、そのどちらが現代に即して、天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのであろうか。「死者の選別」をした儘で好いとはとても思えない。
所謂「A級戦犯分祀論」で世論を攪乱してるアホ政治家が後を絶えないが、英霊を「戦犯」と罵り、分祀さえすればそれで済むと思っているのなら罪深い。
「鎮霊社」の存在を議論しながら、靖國神社を御創建遊ばされた明治天皇の思し召しに応える意味でも、靖國神社の真の在り方を真剣に考えなくてはならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 05:15│Comments(0)
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