固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものだ「こんな年の瀬になんで選挙なんてするの」という有権者相手に政策を訴えたところで(笑)

2014年12月04日

共産党や左翼は無自覚左翼的有名人を利用し国民を誑かすのが常套手段

 高倉健に続いて菅原文太が亡くなった。仁侠映画の二大スターが同じ時期に亡くなるとは、何か不思議な謂れを感じてしまうのは愚生だけではあるまい。

「仁義なき戦い」は年代的にリアルタイムで映画館で観ることはなかったが、レンタルビデオで借りて初めて見た時の興奮は忘れない。個人的にはどちらかというと、仁義なき戦いより、男気もありチョッと笑える「トラック野郎」の方が好きだ。

 高倉健主演の「網走番外地」などの仁侠映画は、当時、学生運動をしていた左翼連中のバイブルになったという。強い者に一人立ち向かう健さんの姿が、権力に歯向かう左翼学生の自分と重なり合わせていたというが勘違いも甚だしい(笑)

 そんなこともあり、マスコミは高倉健の死を左翼運動とダブらせ、作為的な報道を垂れ流しているのを目にした。また、菅原文太も「反原発」や「機密保護法反対」などの活動シーンを頻りに放映し、国民を誑かす手段に用いられた。

 菅原文太が、潜在的無自覚左翼思想ぶりを露にし、人生観や歪な政治観を露にし出したのは、倅を事故で失ったことが大きかったのではなかろうか。そうした彼の信条は、共産党を始めとした左翼陣営にはうってつけのものだったに違いない。

 芸能界には保守的な芸能人も多くいるが、逆に共産党シンパや無自覚左翼も少なくない。だが、芸能人やタレント、有名人の「言葉」というのは社会的影響が大きいだけに、政治活動をしたり政治的発言をするのは慎重であらねばならないと思う。

 俳優や芸能人というのは政治的には不偏不党、中立の立場を守るべきだろう。映像を通してのイメージを大事にするべきで、ファンの夢を壊すべきではない。

 菅原文太や吉永小百合、沢田研二らに共通するのは安っぽい正義感。戦後、GHQが謀った自虐史観にどっぷりと漬かりながらそれらを疑うこともせず、戦後民主主義に拘泥する余り、自分の考えこそ絶対として全く聞く耳を持とうとはしない。

 一世を風靡したジュリーこと沢田に至っては「憲法九条を守りたい」と、自ら詩を付けたバラード「我が窮状」を制作し、これがコンサートでは人気らしい(笑)

 以前、地元紙に、沢田研二の憲法観というか、バカ丸出しのインタビュー記事が載っていたが、これが実に薄っぺらい正義感からのもので、嗤えるものばかり。

「アメリカから与えられた憲法だという人がいるが、世界に誇れる宝物だと思う。特に惹かれるのは、『戦争を放棄する』という部分。やられたらやり返すじゃない。(これは)日本人の宗教観で、受け入れられる感覚だと思う」と語っていた。

「どの家でもお父さんが怒っても、お母さんが我慢すれば喧嘩にならない」というが、ジュリーにとって親父とはいつも悪者でなくてはならないらしい(苦笑)

「他国に宣戦布告されて迎え撃ちに出ることになったら若い人達が召集されて、国の未来を考えると良いことはないですよ。国の軍隊同士の戦いと言っても、結局普通の人が巻き込まれる。自分の家族が死傷者に含まれていたら、国の為、大義の為で片付けられないでしょう」と、偏り過ぎた安っぽい主観のオンパレード。

「世界中の宗教絡みの争いも、どっかで止めれば、或いは我慢すれば無くなる」という。余りの短絡的思考と平和ボケ的センチメンタリズムに憐憫さを拭えなかった。ジュリーに「勝手にしやがれ!」と言いたくなったのは愚生だけではあるまい(笑)

「若い人は自分のことで手一杯でしょう。長く生きて来た僕らが考えないといけない問題なのだと感じます。」と締め括っていた。だが、歌手として何を歌おうがそれこそ勝手だが、第九条を「世界に誇れる宝物」だとか、「若い人は自分のことで手一杯」だからとか、アホな解釈を垂れ流すのは勘弁して貰いたいものだ。

 第九条の「戦争放棄に関する条項」は、世界大戦後に国連が勧めた「不戦条約」がその源である。不戦条約には、我が国を始め、米国、英国、仏国、伊国など世界の多くの国が締結している。だがどうだろう、戦争放棄の国際条約を結んでから戦争は無くなったかというと、皮肉な事に条約とは全く正反対の道を歩んで往った。

 平和主義の理想と平和を創造する現実は違う。況してや戦争というのは政治の延長であり、政治的に合意を見なければ戦争は避けられないことでもあるのだ。

 憲法で「平和主義」を謳っている国は80ヶ国以上在り、イタリア、スペイン、ハンガリー、エクアドル、フィリピンは日本と同じ規定が在る。 沢田研二ら護憲派は、「世界で唯一の平和憲法」と賛美しているが、これこそ日本人の奢りであり、無知以外の以外の何ものでもない。「護憲」は正に「誤憲」と断じるのが正しい。

 タレントとは一芸に秀でた者をいう。芸能人としては一流だからといって、そういう者が政治的にも立派な考えや常識的な知識を備えているのかといえばそうでもない。政治に意見する芸能人に限って、その自論は実に幼稚なものばかり。

「誤憲」「人権」「平和団体」などの所謂「無自覚左翼」に共通するものは、物事の見方が薄っぺらで、実に腹立たしいものが多く菅原文太や吉永らも例外ではない。左翼にとって、彼らの様な無自覚左翼的芸能人は利用価値は非常に高いのである。

「反原発派」や「九条の会」、共産党や左翼陣営、売国マスコミの連中はこうした有名人を利用し、国民を誑かすのが常套手段であることを知らねばならない。

 菅原文太の晩年は、農業に従事したことは賛同するが、反原発運動や秘密保護法反対運動は御粗末なものだった。文太ファンとしては寂しい限りである。合掌。

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cordial8317 at 08:30│Comments(0)

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固定観念や先入観に囚われてる屁理屈ってのは実に厄介なものだ「こんな年の瀬になんで選挙なんてするの」という有権者相手に政策を訴えたところで(笑)