2014年11月13日
自民党、「海の日」を従来の7月20日に戻す「祝日法改正案」提出を断念!
12日付の地元紙(福島民報新聞)に、自民党が「海の日」を、従来の7月20日に変更する祝日法改正案の今国会提出を断念したという記事が載っていた。
断念にした理由は、「三連休が減ることで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮した」からだという。何たることか。これが保守政党なのか。何が「観光産業への打撃」か。「祝日」は単なる「休日」ではない。分かるか、自民党よ!
「ハッピーマンデー」なる愚策は、左翼陣営が国體破壊を目的として施行されたものだが、これに自民党が同調して来たのは実に御粗末と言う他はない。国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、我が国の重要な祝日である「新嘗祭(勤労感謝の日)」と「紀元節(建国記念日)」をハッピーマンデーにすることが狙いなのは明らか。
「三連休が減ることで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮して」というなら、建国記念日も、勤労感謝の日も、ハッピーマンデーにするつもりか。諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が、祝日をただの休みとしか考えていないのはさもしく情けない。
戊辰の役(戦争)で「朝敵」や「逆賊」に仕立てられた会津藩は、不毛の領地であった「斗南藩」に移されることで終結する。その開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。
会津藩に限らず、戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、西軍に抗戦し、そして敗れた多くの東日本の雄藩は、明治新政府に参政することなく、辛苦の日々を送っていた。
「賊軍」との汚名を着せられた多くの人々は、長州閥の新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろうと思う。だが、彼らは臥薪嘗胆、耐え忍ぶことで国家全体が保たれるのならばと己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

そんな中で、明治9年6月2日、明治天皇は、灯台巡視船であり御召し船である「明治丸」にて、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。そして、巡行を終え横浜に帰港遊ばされた日が7月20日であり、これが「海の日」の謂れである。
この「海の日」の謂れを国民に教えることは、「ハッピーマンデーでないと観光産業への打撃になる」という言い分より、大事なことではないのか。
衛藤征士郎ら推進派は、再改正の理由を「国民が海の恩恵に感謝する日」としているが、東北巡行を終えた7月20日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。案の定、反対してるのは中共の御先棒を担ぐ二階俊博らだが、正に何を況んや。
東北・北海道への巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。福島からは馬車で、仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。この間、東北の人々は御巡幸の先々で奉迎した。
明治天皇に於かせられても、各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山市(安積郡)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。
外国人教師に拠る英語教育が行われている青森弘前の「東奥義塾」では、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され「ウェブスター辞書を買う代金に」と一人金五円を与えられた。 また或る地方では小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では農民の仕事着(太布半纏)を御買い上げ遊ばされている。
巡行での逸話は、明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体と思うものばかり。東北地方の人々との間に、親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。この巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだ。「海の日」は、我が国が君民一体の国柄であることを自覚する日でもある。
東日本大震災と原発事故に疲弊する我々東北人にとって「海の日」は、被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い日でもあるのだ。「海の日」だけではなく、GHQが我が国の歴史・伝統・文化を否定することから始まった現在の「祝日法」の再改正を急ぎ、国民に祝祭日の意味と意義を教えて行かねばならない。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
断念にした理由は、「三連休が減ることで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮した」からだという。何たることか。これが保守政党なのか。何が「観光産業への打撃」か。「祝日」は単なる「休日」ではない。分かるか、自民党よ!
「ハッピーマンデー」なる愚策は、左翼陣営が国體破壊を目的として施行されたものだが、これに自民党が同調して来たのは実に御粗末と言う他はない。国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は、我が国の重要な祝日である「新嘗祭(勤労感謝の日)」と「紀元節(建国記念日)」をハッピーマンデーにすることが狙いなのは明らか。
「三連休が減ることで観光産業への打撃を懸念する党内の慎重派に配慮して」というなら、建国記念日も、勤労感謝の日も、ハッピーマンデーにするつもりか。諸外国に比べ、我が国の祝祭日ほど「国柄」の分かる素晴らしい伝統、文化はない。だが、多くの日本人が、祝日をただの休みとしか考えていないのはさもしく情けない。
戊辰の役(戦争)で「朝敵」や「逆賊」に仕立てられた会津藩は、不毛の領地であった「斗南藩」に移されることで終結する。その開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。
会津藩に限らず、戊辰戦争で幕府に恩義を感じ、西軍に抗戦し、そして敗れた多くの東日本の雄藩は、明治新政府に参政することなく、辛苦の日々を送っていた。
「賊軍」との汚名を着せられた多くの人々は、長州閥の新政府に対して言いたいことは山ほどあっただろうと思う。だが、彼らは臥薪嘗胆、耐え忍ぶことで国家全体が保たれるのならばと己の悲運を甘受し、その抗し難い天命を潔しとした。

そんな中で、明治9年6月2日、明治天皇は、灯台巡視船であり御召し船である「明治丸」にて、東北・北海道へ約50日間に及ぶ巡幸に臨まれた。そして、巡行を終え横浜に帰港遊ばされた日が7月20日であり、これが「海の日」の謂れである。
この「海の日」の謂れを国民に教えることは、「ハッピーマンデーでないと観光産業への打撃になる」という言い分より、大事なことではないのか。
衛藤征士郎ら推進派は、再改正の理由を「国民が海の恩恵に感謝する日」としているが、東北巡行を終えた7月20日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。案の定、反対してるのは中共の御先棒を担ぐ二階俊博らだが、正に何を況んや。
東北・北海道への巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を明治天皇が慰撫し、激励する為に他ならない。福島からは馬車で、仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。この間、東北の人々は御巡幸の先々で奉迎した。
明治天皇に於かせられても、各地で開墾や産業の振興に尽くした功労者を労らわれている。愚生の住む郡山市(安積郡)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金五万円を下賜された。
外国人教師に拠る英語教育が行われている青森弘前の「東奥義塾」では、生徒10名が英語を披露。天皇はその進取の気象に感心され「ウェブスター辞書を買う代金に」と一人金五円を与えられた。 また或る地方では小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納され、岩手では農民の仕事着(太布半纏)を御買い上げ遊ばされている。
巡行での逸話は、明治天皇の慈愛に満ちたもので、天皇と国民は正に君民一体と思うものばかり。東北地方の人々との間に、親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。この巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、一切の蟠りも無くなったのだ。「海の日」は、我が国が君民一体の国柄であることを自覚する日でもある。
東日本大震災と原発事故に疲弊する我々東北人にとって「海の日」は、被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い日でもあるのだ。「海の日」だけではなく、GHQが我が国の歴史・伝統・文化を否定することから始まった現在の「祝日法」の再改正を急ぎ、国民に祝祭日の意味と意義を教えて行かねばならない。
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cordial8317 at 04:45│Comments(0)
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