共産党や左翼勢力に利用される文化人気取りの芸能人ども今や誰もが使っている「協働」という言葉だが・・・

2021年11月13日

「外交というのは根回しが大事である」ということを伊達政宗の処世術から知る

「運命」「宿命」「使命」「懸命」などは夫夫「命」という言葉が使われている。「運命」とは生命を運ぶと書く。この世に生まれたという宿命を、自身の懸命且つ不断の努力によって好い方向へ運ぶことの出来るものが運命でもある。

 戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と天下統一を果した者もいれば、この三名以上の器量や見識、才智に長けながらも地方の武将に甘んじた者も少なくない。

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 中でも、伊達政宗はそういう悲運の武将でもあろう。唯、惜しむらくは天の時、地の利を得なかった。何より、生まれたのが30年遅過ぎた。政宗がもっと早くに生を受けていれば、信長、秀吉、家康に匹敵する武将になったに違いない。

 米沢城主・輝宗の嫡男として生まれ「梵天丸」と称した少年時代、幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し隻眼となり、醜怪な顔立ちが嫌われて、弟の竺丸を偏愛した産みの母(最上義守の娘・義姫)に危うく毒殺されそうな一幕もあった。十一歳で元服し「政宗」を名乗り、十三歳で三春から愛姫を娶る。

 弟竺丸(小次郎・伊達政道)急死。兄弟対立の末に政宗によって殺されたとの説あり。政宗に「七代の勘当」を言い渡されており、寛政五年に政宗から数えて八代目の当主伊達斉村就任に由り勘当が解かれ、死後二百三年目にして法要が営まれた。

 十九歳の時には二本松の畠山に裏切られ、父・輝宗が宮森城から拉致されるも高田橋で輝宗もろとも畠山を撃殺した。この時、政宗が住んでた城が愚生の故郷の「小浜城」。輝宗が居城していたのが小浜城より2キロほど下った「宮森城」である。

 因みに、宮森一族はその後、会津に遁走した。会津地方の銘醸でもある「花春」や「栄川」「宮泉」などの「宮森」姓はこの宮森城を謂れとしている。近年では「会津宮森顕彰会」として二本松市小浜の宮森城址を訪れ先祖を偲んでいる。

 二本松・畠山を成敗し、二十歳の時には葦名ら会津四軍を攻め落とし、黒川城、現在の鶴ヶ城に入城。この時、秀吉は小田原城を攻めてる最中で、全国平定が成し遂げられつつあった。秀吉と政宗の違いというのは「天運」というのが無かっただけ。若し、政宗が東北の片田舎でなかったら天下統一も夢ではなかっただろう。

 持って生まれた運というのは致し方ないもの。これは「運命」というより「宿命」である。だが、ものは考え様で、地の利が悪かったからこそ滅ぼされずに済んだとも言えよう。政宗に学ぶことは多い。中でも豪胆な外交力は刮目に値する。

 政宗は、秀吉からの度度の「上洛せよ」との督促にも中々腰を上げ様とはしなかった。小田原参陣の最後通牒を受けても正月を悠々と会津の地で過ごした。

 政宗は数年前から秀吉を取り巻く煩型の家康、利家、秀次、浅野長政、千利休などの実力者と親交を結び、かなりの付け届けを怠らなかったという。こうしたことは秀吉の動向を探る為のものであり、正宗の情報収集力と外交力の高さが窺える。

 小田原で秀吉に謁見する際には、髻(もとどり)を水引で結び、甲冑を被り、素衣を着て、凶服の装束で出掛けたという逸話は正宗の真骨頂。流石の秀吉も唖然。

 諸国大名居並ぶ中で命拾いの御礼言上。そして献上品として大量の砂金を差し出す。その砂金が零れると、政宗は事も無げに懐紙で拭いてしまった。こうした政宗の豪気と肝の据わり方は他の大名でも真似出来ない天性のものであろう。

 この時、政宗、弱冠二十一歳。関ヶ原の戦いも終わり、天下の大勢が家康に決すと察すると、国内統一は諦め、外国との貿易を夢見て支倉六右衛門ら伊達政宗遣欧使節団十名を独力で派遣する。こんな気宇壮大な武将が他にはいない。

伊達政宗の騎馬像01

 政治家にしろ、組織のトップにしろ器量や見識、才智に長け、或いは能力があるから成功するものでもなし、人の運命とは実に気紛れで不可思議なものでもある。

 まぁ、愚生の慢性的不如意は自業自得の様なものだが、そのうちなんとかなるだろうし、正統右翼浪人から抜け出して一維新者として活躍の場が来るだろうと勝手に思っている。何故ならそれが愚生の右翼人としての「運命」なのだから。呵呵。

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