2023年12月26日
戦国武将・斎藤道三の「時代や人を見抜く」処世術に学ぶ
美濃国に斎藤道三という武将がいた。「まむしの道三」という名の通り、悪名高い戦国武将である。愚生も、こうした削げ者というか変わり者は好きだ。道三は郷士の家に生まれるも、郷士では出世は出来ないと十一歳の時に僧門に入る。
貧乏人の子は坊主になるのが出世の早道だった。法蓮坊という学僧となり将来を期待される。然し、仏門の世界と雖も家柄とか財産が物言うことを悟る。
坊主では女も抱けない。魚も食えない。嫌気が差して環俗して油屋・山崎屋庄九郎になった。油商人となり、一文銭の孔から油を注ぐ方法で金儲けに成功するも、士農工商の時代、商人にも満足せず、足を洗って武士になろうと決心する。
三間半の長槍の使い方を編み出し槍の使い手となり、諸国にその名が知られることとなる。そして土岐頼芸に仕官し、その多才ぶりを発揮する。家老となった道三は事実上美濃一国を掌握する。そして主人頼芸をも殺し終には大守となった。
歴史では「主人殺し」と非難されて、「まむしの道三」と毛嫌いもされているが、こうしたことは戦国時代にはよくあること、頼芸がボンクラだっただけだろう。
悪名高い道三だがその才能は非凡。太守になって城下町を岐阜に造ったが当時の我が国では初めての試みだった。道三の娘・帰蝶(濃姫)を信長と政略結婚させる。だが、周りでは信長を「あの戯(たわ)け殿」と嘲笑っていたが、道三は違った。
「残念だが、今にあの戯け殿の門前にワシが子供らは馬を繋ぐことになろう」と喝破した。この見識ぶりと時代を見抜く目、人を見る目など道三から学ぶものは多い。
悪口を言うのは容易いことだが、人を見た目で判断したり、目先で見てはダメだということだ。悪口というのは嫉妬であり、見方を変えれば実力を認めてるという裏返し。そういう意味では褒められるより貶されてることの方が好都合でもある。
人を見抜く力というのは人生経験を積むしか無い。信じた人に騙されるのは人を見る目が無かったということに尽きる。だが、相手が騙そうとしてるなら別に身構えることなく騙されてみるのも悪くない。負い目を感じるのは騙した方だし。
愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツや、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。
作られた笑顔の裏の顔というのは実に醜いもので、自分を誤魔化そうと必死になっている。逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が八方美人的な「巧言令色鮮し仁」である。
返事もそうで、何でもかんでも直ぐに「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。話をしてて此方の目をじっと目を見ているヤツもダメ。
そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。目は口程に物を言うが、浮気を疑った女房が「私の目を見て話せ」というのはそういうことだ(笑)
此方の話を聞き乍ら時々目を伏せ要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。
何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うことだ。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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貧乏人の子は坊主になるのが出世の早道だった。法蓮坊という学僧となり将来を期待される。然し、仏門の世界と雖も家柄とか財産が物言うことを悟る。
坊主では女も抱けない。魚も食えない。嫌気が差して環俗して油屋・山崎屋庄九郎になった。油商人となり、一文銭の孔から油を注ぐ方法で金儲けに成功するも、士農工商の時代、商人にも満足せず、足を洗って武士になろうと決心する。
三間半の長槍の使い方を編み出し槍の使い手となり、諸国にその名が知られることとなる。そして土岐頼芸に仕官し、その多才ぶりを発揮する。家老となった道三は事実上美濃一国を掌握する。そして主人頼芸をも殺し終には大守となった。
歴史では「主人殺し」と非難されて、「まむしの道三」と毛嫌いもされているが、こうしたことは戦国時代にはよくあること、頼芸がボンクラだっただけだろう。
悪名高い道三だがその才能は非凡。太守になって城下町を岐阜に造ったが当時の我が国では初めての試みだった。道三の娘・帰蝶(濃姫)を信長と政略結婚させる。だが、周りでは信長を「あの戯(たわ)け殿」と嘲笑っていたが、道三は違った。
「残念だが、今にあの戯け殿の門前にワシが子供らは馬を繋ぐことになろう」と喝破した。この見識ぶりと時代を見抜く目、人を見る目など道三から学ぶものは多い。
悪口を言うのは容易いことだが、人を見た目で判断したり、目先で見てはダメだということだ。悪口というのは嫉妬であり、見方を変えれば実力を認めてるという裏返し。そういう意味では褒められるより貶されてることの方が好都合でもある。
人を見抜く力というのは人生経験を積むしか無い。信じた人に騙されるのは人を見る目が無かったということに尽きる。だが、相手が騙そうとしてるなら別に身構えることなく騙されてみるのも悪くない。負い目を感じるのは騙した方だし。
愚生の経験上、笑顔を浮かべてるヤツや、愛想好く振る舞ってるヤツというのは意外と性格が悪いのが多く、単に調子がイイだけに過ぎない。「笑うと目が無くなるヤツは信用するな!」という訓えがあるが、強ち間違いではない。
作られた笑顔の裏の顔というのは実に醜いもので、自分を誤魔化そうと必死になっている。逆にブスっと無表情のヤツの方が案外信頼出来るものだ。「剛毅朴訥は仁に近し」とは正しく。その逆が八方美人的な「巧言令色鮮し仁」である。
返事もそうで、何でもかんでも直ぐに「ハイ、分かりました」なんていうヤツは実は意外と聞いていない。話をしてて此方の目をじっと目を見ているヤツもダメ。
そういうのは相手側に自分の気持ちを悟られまいとしてるだけ。目は口程に物を言うが、浮気を疑った女房が「私の目を見て話せ」というのはそういうことだ(笑)
此方の話を聞き乍ら時々目を伏せ要点をメモしたり、同意した内容があれば視線を上げ、此方の目を合わせ相槌を打つ様な人物なら使い物になるだろう。
何事も、信用し過ぎず、違う角度から穿った見方をすることも必要なことでもある。何故なら、現在の常識や多くの意見というのは、マスコミや或いは戦後に創られた米国の価値観だったり。大事なのは、常に人を見抜く眼力を養うことだ。
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cordial8317 at 06:42│Comments(0)
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