明治維新を導く上に欠くるべからざる礎になった人物「藤田東湖」戦国武将・斎藤道三の「時代や人を見抜く」処世術に学ぶ

2023年12月25日

「早く死んでは夢も叶うまい」北条早雲の処世術に学ぶ

 愚生は、主君(会社)に仕えることなく俸禄(給料)も無いので、素浪人(正統右翼浪人)を自任している。侍(サムライ)は主君に仕え、侍(さぶら)うこと。つまり、俸禄を頂くことであって、浪人とは侍(さぶら)うことではない。

 昔の右翼の世界にはそうした素浪人が多かったが、今は働き乍ら活動してる右翼人ばかり。破天荒さはこじんまりと治まってしまった。野武士から身を起こして、伊豆、相模両国の大守となった武将の北条早雲の生き様は見倣うことが多い。

 早雲は、若い頃には「新九郎」と呼ばれて伊勢地方で育った。四十近くまで裸馬の生活をしていた変わり者で、そんな中でも一国一城の主を夢見ていたという。

 そんな伊勢時代に、早雲は仲間六人と神水を飲み交し、「我ら七人、如何なることがあっても仲違いなどすまい。互いに力になり合って武功を立てて立身しよう。もし、この中の一人が大守になったら、残る六人はその家人となって助けようぞ」との誓いを立てたという。三国志の「桃園の誓い」の日本版でもある。

 三国志の「我ら三人、生まれし日、時は違えども兄弟の契りを結びしからは、心を同じくして助け合い、困窮する者たちを救わん。上は国家に報い、下は民を安んずることを誓う。同年同月同日に生まれることを得ずとも、同年同月同日に死せん事を願わん」という桃園の誓いは名シーンだが、所詮アレは創作でしかない。

 早雲の契りは実話だから面白い。新九郎(早雲)らが契りを交わしてから十五年、新九郎が五十五、六歳になって漸く、小さい乍らも一国一城の主となった。

 新九郎が一国一城の主になると、誓いを交わした他の六人は約束を守って家臣となり、やがて新九郎が北条早雲と名を改め、伊豆、相模両国を支配する戦国大名にのし上がった時には、六人は家老として仕え、その関係は終生変わらなかった。

 好い時も悪い時も同じ様に付合い、幼き頃の高が知れてる約束事を忘れることなく実行したというのは素晴らしい。男の約束、男の友情とは斯く在りたいものだ。

 早雲の立派なことは、民心を安定させ、領民の全てを心服させていたことだろう。戦国の世の中というのは戦争に明け暮れていた関係で、どこの国でも農民を苛め、分けても関東地方一帯は、租税の厳しさでは群を抜いていた。

 当時の租税を「七公三民」といって七割を領主が召し上げる制度で、現在の税制と同じ様なもの。早雲はこれを「六公四民」に改め、百姓を苛める役人を処罰し、病弱者の為に今でいう診療所を開いた。領民の喜びの大きさは計り知れない。

「政」というのは斯く在るべきだろう。北条家が後に五代続いたのも早雲のこうした善政の賜物。五十半ばから芽が出た早雲は、大器晩成の模範の様な男である。

 早雲が伊豆、相模を平定し、関東を制圧したのが実に八十七の時である。その翌年、八十八で亡くなる。長生きは流石に真似出来ないが、還暦を迎えた愚生ではあるが、右翼人として活躍の場は未だ在ると思えば活力が漲るというもの(笑)

 愚生も「大器晩成」と自任しているが、活動家にしては長生きし過ぎた。「憎まれっ子世に憚る」というし、大いに憎まれ口や耳の痛い話をしてやろう。呵呵。

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cordial8317 at 07:18│Comments(0)

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