朝日新聞謝罪!過去の穢された歴史認識から脱却する機が熟しつつある同級生の葬儀に参列し、あれこれと考えてみた・・・

2014年09月13日

野村秋介には朝日瓦解の足音が聞こえてるのではなかろうか

 国民の朝日新聞に対する怒りは収まる気配はない。これを機に朝日新聞を始めとした進歩的文化人らが垂流し続けた戦後民主主義の過ちを糺さなくてはならない。

 戦後、米国は徹底した教育改革を断行する。その徹底した「戦後民主主義教育」は、米国が意図した以上の効果を齎し、現在もあらゆる処に悪害を及ぼし続けている。「戦後民主主義」とは、自国を汚辱に塗れた過去と捉える自虐史観である。

 その教育で育った者は、国から恩恵を受けながら個人と国家を常に対立させ、恰も、国家は「人間を抑圧する組織」と見做して、反国家反体制的なポーズを採ることが「進歩的」で「文化的」であり、それこそが正義だと未だに錯覚している。

 米国(GHQ)が、「戦後民主教育」と共に最も徹底したのが言論統制である。「日本に与うる新聞遵則」、所謂「プレスコード」というのがそれであり、情報発信の中枢だったNHK、朝日新聞、岩波書店が真っ先に監視下に置かれた。その米国の洗脳の結果として生まれたのが「進歩的文化人」なる珍種である。

 このプレスコードは講和条約発効で失効したのだが、朝日新聞やNHK、岩波書店、或いは地方新聞にしろ、失効後も米国に忠誠を誓い、たった7年間で培われたマスコミの反日偏向・自虐史観は社是となり、現在に引き継がれている。

 だが、この連中は営利優先から洗脳状態のフリをしているに過ぎない。一方で「反米」を叫ぶのも、そうした考えを持つ購読者へのリップサービスに他ならない。

 幾らなんでも、一流大学を出た記者なら、15世紀に始まる大航海時代や近代史を読めば、公正な歴史くらい理解するだろうし、戦前に国威発揚を煽った朝日新聞ならば、戦前の自社の記事を読むことで一目瞭然ではないかと思うからだ。

「一体、いつになったら自虐史観のマインドコントロールから目覚めるのだろう」と思うのが普通だが、要は何のことはない、社是である反日自虐は、米国からの自虐史観から目覚めない読者を対象とした単なる「商業左翼」と思えば合点が行く。

「社会の木鐸」だとか「国益」なんぞ二の次で、所詮は単なる左翼思想を利用した営利至上主義に他ならない。言い方を変えれば「反日や売国、自虐は儲かる」ということ。況してや朝日新聞社は自社ビルの賃貸などの不動産で収入が多くを占める。

 そうした売り上げから給与を貰いぬくぬくと生きて来たに過ぎない。社会の木鐸として、また真実を伝えるべきジャーナリストとして恥ずかしくはないのだろうか。

 こんな朝日の体質を変えようと闘ったのが野村秋介だ。遺作となった「さらば群青」での朝日との闘いを再読しようと、押し入れから引っ張り出してみた。

 野村秋介の言葉というのは一つ一つに魂が刻まれているということだ。一つ一つに自分の命を刻み込む様に語ってる言葉は気魄が漂い未だに色褪せない。

 第Ⅲ部、「ジャーナリズムの旗手・朝日新聞と闘う」の文章を抜粋してみたい。拙ブログで野村秋介を語ることは分不相応だと理解してるが敢えて綴ってみよう。

 朝日新聞を中心とした、マスコミのこれまでの無節操さについては、
我慢も限界にきている。戦前はあれほど日本の戦争の正義を謳い、
アジアの解放の大義を説き、『聖戦だ聖戦だ』と喚きちらしたくせにして、
日本が負けるやいなや、豹変して占領軍に媚びを売り、
GHQ(連合軍司令部)による日本民族の弱体化政策の
片棒を担ぐどころか率先して日本批判に転じた。
最近では韓国人の従軍慰安婦問題で、
まるで鬼の首を取ったかの如き騒ぎである・・・

 倫理的意味で、それが正しいと強弁するつもりはない。
しかし、一九四五年までは、
その時のパワー・ポリティックスの価値観で世界は動いていた。
日本が、ヤルタ・ポツダム宣言を受諾する一週間前、
旧ソ連は『日ソ中立条約』があるにもかかわらず、
ソ連国境を越えて侵入してきた。
その際、日本人婦女子に彼らが何をしたか、これも知らぬとは言わせぬ。
銃で威嚇し、公衆の面前で、それも路上で、次々と強姦し、輪姦し、
どれだけ無法をはたらいたか。
朝日も進歩的文化人と称する連中も、なぜそれをいわぬ・・・

 かかる史実を知りながら、朝日新聞社は、
日本のみの戦争犯罪を得々として喋りまくった。・・・
こういう社会的状況の中で、一方では飽食の時代を謳歌している。
まっとうな青少年が育つはずはない。祖国日本を、
胸を張って誇りうる青年たちがそだつはずがない。
そういう戦後的特異な環境の中で、純真で無垢な青年たちは、
それが純真であればあるほど、盲目的に、
朝日や日教組、左翼文化人らの甘美な言葉に誘われ、
心が純であればあるほど、感受性が強ければ強いほど、
階級闘争、プロレタリアートの解放といった幻想に陶酔し、
まさに暗渠の深みにのめり込んでいってしまった。
連合赤軍事件は、その典型といってよい・・・

 野村はこうも述べている。

 戦後若い優秀な青年たちが、群れて左翼運動に身を投じたのも、
「朝日」らの煽動や「日教組」らの教育もあったが、
それらを凌駕しうる思想が、我々民族派の側になかったことが、
最も重大な致命傷であったことも、決して忘れてはならない

 朝日新聞を批判しながらも、右翼民族派の後進への苦言を忘れないところがカリスマたる所以だろう。「さらば群青」のこんな一文も目に留まった。

 風の会」代表として参議院選挙を戦うに当り、
とある侠客に挨拶に行った際に、
「野村さん、あなたは(選挙で)負けてもこのことで責任をとっちゃいかん。
いま野村秋介がいなくなると、日本の民族運動は三十年遅れる」
と言われたそうだ。

 野村秋介が亡くなり、早いもので20年以上の歳月が経った。確かに右翼陣営の活動は年々先細りした。果たして右翼陣営はこの遅れを取り戻せるのだろうか。

 もう直ぐ、野村秋介の命日ある。今回の朝日新聞の騒動も、朝日の驕りによる自業自得だが、野村秋介の怒りが朝日側を追い込んだ様な気がしてならない。

 朝日側も、野村秋介と幹部との討論にしろ、遺作となった「さらば群青」での苦言や提言を、朝日側が真剣に受け止めていれば、今回の様なことは起きなかっただろう。朝日新聞が瓦解するのも時間の問題ではあるまいか。

 命を賭した渾身の叫びを軽んじ、猛省することも、社風も糺すことも無く、屋上屋を架して行ったところに現在の腐った朝日ジャーナリズムの現実が在るのだ。

 頼もしいことに、野村門下や野村秋介ファンは多く、年々その数は増えつつある。愚生もその隠れ野村ファンの一人でもある。そんな皆は遺作となった「さらば群青」は読んでるだろうが、この野村烈士の遺書を再読して、対朝日・対左翼の理論武装を固め、野村秋介が果たせなかった朝日との闘いを新たに始めようではないか。

「さらば群青」の帯には「戦闘的ナショナリストの遺書」として「饒舌の徒・進歩的文化人と称する醜い日本人よ、語るなら命を賭けろ!」の言葉が虚しく響く。

 これを現代に置き換えれば左翼や進歩的文化人に限らず、保守ブームを好いことに「愛国」や「反中」「反韓」で若者らを煽り、生業にしてる営業保守、営業右翼にも言えることでもある。そういや愚生も、もう何十年も捕まってないな。呵呵。

 ※野村秋介の書籍に関する問い合わせは二十一世紀書院(代表・蜷川正大)まで。連絡先:090-6300-7075 snforever@proof.ocn.ne.jp

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cordial8317 at 05:35│Comments(0)

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