2014年06月23日
昭和20年6月23日、決死の戦闘空しく沖縄戦終結!
今日は沖縄戦終結の日。福島県内はもの凄く好い天気ですが、69年前の沖縄もこんな青空だったのだろうか・・・。昭和20年4月1日、米軍は沖縄に上陸する。
迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員、更には、「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の防衛戦を展開した。
本土からは、戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動、更には「回天」等の特攻作戦を展開した。だが、決死の戦闘空しく、昭和20年6月23日組織的沖縄戦は終結した。
遡ること昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、起死回生の反撃を実行した。日本軍は更に、連合軍の沖縄への上陸と本土決戦を阻止を狙って神風特別攻撃隊が編成することとなった。
死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致というべきもので「神風精神」こそは大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証である。
沖縄戦に於いては特攻部隊が重要な役割を果たしている。その結果、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1021名、合わせて3002名が散華された。
特攻作戦は航空だけではなく、「特殊潜航艇」「回天魚雷」「空挺特攻」「対戦車特攻」「震洋特攻艇」「陸軍海上特攻」など、日本軍の劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻作戦で実に3972名もの若者が尊い命を捧げたのである。
沖縄では、未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか、「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵」などというプロパガンダが蔓延っているが、沖縄県民も好い加減に被害者意識を捨てて、沖縄戦の悲しい歴史に目を向けたらどうだろう。
沖縄県民の反日姿勢や反米感情は今に始まったことではないが、その要因は米国に因る戦後政策の失敗という皮肉な結果が招いたものである。戦後、沖縄の人々は「日本軍を加害者、米軍を解放軍」などとは思ってはいなかったという。だが、米軍は徹底的な検閲を行い、「米軍こそ解放軍である」との宣伝と洗脳を謀った。
その有力な協力者が「沖縄タイムス」であり、現在も反米・反基地運動を煽動している名うての売国新聞社どもである。 反米左派集団が、未だ米軍が宣伝した嘘を信じていることは滑稽極まりないが、「反地」「基地運動」や「反米闘争」を煽動しているのが、言わずと知れた「沖縄タイムス」を始めとした反キチばかり。
基地とはキチガイのキチなのだろう。これつまり、左翼の策謀と言うよりは、米軍の自業自得、悪因悪果と言うのが正しく、昨今の沖縄の実態は我が国の体制の歪みの象徴でもある。だが、こんな嘘をいつまでも許して置く訳にはいかない。
「戦艦大和」が出撃にしても、彼らはどうにか沖縄に辿り着き、海岸に乗り上げて全力を挙げて砲撃戦を行う予定であったのだが、出撃後、鹿児島沖の海に沈んだ。「大和」には歯磨き粉、ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたという。沖縄と沖縄の人々を守ろうとした何よりの証しである。
こうした純粋に国の為に尊い命を捧げてくれた英霊に対し、一体どんな顔向けが出来るというのか。沖縄県民は被害者意識を払拭しなければならない。沖縄戦で活躍した大田実少将と牛島満中将の二人が残した最後の電文がある。
敵ヲ迎エ撃ツコト二ヶ月余、
陸軍トノ緊密ナル協同ノ下、敵撃滅為ノアラユル努力ニモ関ワラズ、
戦イ利アラズ、根拠地隊ハ、
既ニ陸戦隊ノ精鋭四個大隊ト使用可能ノ火砲ヲ陸軍ノ指揮下ニ派遣シ、
部隊ノ戦力ノ低下ハ免レズ、
加ウルニ、敵ノ装備ハ我ニ勝ルモノ在リ。
此処ニ小官ニ委託サレタル皇国護持ノ任ヲ果タシ得去リシコトヲ、
陛下ニ深ク御詫ビ申シ上ゲル。
指揮下ノ部隊ハ帝国海軍ノ伝統ニ従イ、勇敢ニ戦イ、敵ノ砲爆撃、
沖縄ノ山容ヲ改メシト雖モ、我ガ将兵ノ奉公ノ念ハ改ムルヲ得去リキ。
我々ハ此処皇国永遠ノ発展ヲ祈念シツツ、喜ンデソノ職ニ殉ゼントス。
永年ニ渡リ愛顧ヲ賜リタル大臣閣下並ビニ上司各位ニ対シテハ
心カラノ感謝ヲ申しシ上ゲルト共ニ、
コノ地ニ倒レタル部下将兵ノ遺族ニ深甚ナル考慮ヲ賜ランコトヲ願ウ。
我ガ将兵ト共ニ、陛下ノ万歳ヲ三唱シ、皇国ノ弥栄ヲ祈ル。
「身ハタトエ 沖縄ノ辺ニ朽ツルトモ 守リ遂ゲルベシ大和島根ハ」
沖縄方面根拠地隊司令官 大田実
大命ヲ奉ジ、驕敵撃滅ノ一念ヲ以テ、
麾下ノ将兵、侵入軍ト戦ウコトヲ約三ヶ月、
死ヲ顧ミ去ル抵抗ニモ関ワラズ敵ヲ破砕スルコトヲ得ズ、
戦局ハ最後ノ関頭ニ直面セリ。
麾下部隊ハ本島ニ進駐以来、現地同胞ノ献身的ナ支援ノ下、
鋭意作戦準備ニ邁進セリ。
敵ノ上陸以来、我ガ陸海軍地上部隊ハ、航空部隊ト相呼応シテ本島防衛ノ為、
アラユル努力ヲ傾注シ来タレリ。
然ルニ事志ト違イ、今ヤ本島ヲ敵手ニ委ネントス。
陛下ニ対シ、国民ニ対シ、誠ニ申訳ナシ。
此処ニ残存ノ手兵ヲ率イ、最後ノ一線ヲ展開シ、
一死以テ御詫ビ申上グル次第ナルモ、
只只重任ヲ果タシ得去リシヲ思イ長恨千載ニ尽キルナシ。
最後ノ決闘ニ当タリ、既ニ戦場ニ散リシ将兵ノ英霊ト共ニ、
皇室ノ弥栄ヲ祈念ス。
死スルト雖モ、魂ハ国ヲ守ラン寛吾ナリ。
上司並ビニ同僚ノ懇情ト協力ニ深甚ノ謝意ヲ表シ、御訣レヲ申上グ。
「矢弾尽キ天地染メテ散ルトテモ 魂遷リ魂遷リ皇国護ラン」
「秋ヲモ待タデ枯レ行ク島ノ青草ハ 皇国ノ春ニ甦ガエラム」
陸軍大将 牛島満
二人の訣別電文からは、司令官の悲壮な決意と覚悟、大日本帝国将兵としての勇猛果敢さを余すことなく示されている。沖縄を守るべく先人達は戦い、力及ばず敗戦の憂き目を見るが、決して沖縄を見捨てた訳ではない。戦後、米国の統治に置かれ沖縄県民の負った犠牲は気の毒ではあるが、戦争に負けるとはそういうことでもある。
特攻隊の英霊を始めとした先人の犠牲の上で、今日の沖縄や我が国の繁栄が在るということを現代に生きる我々は決して忘れてはならない。沖縄戦終結の日に当たり、全ての戦没者に対し心より哀悼の誠を捧げたい。合掌。天皇陛下万歳。
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迎え撃つ牛島満中将指揮下の師団と旅団、及び大田実海軍少将指揮下の海軍部隊、棚町整海軍大佐が指揮する約7千人の航空関係員、更には、「鉄血勤皇隊」や「ひめゆり学徒隊」に代表される少年少女など、軍官民は決死の防衛戦を展開した。
本土からは、戦艦大和を始めとする第二艦隊の出撃「菊水一号作戦」や、桜花隊や敷島隊等の航空特攻「菊水二号作戦」を発動、更には「回天」等の特攻作戦を展開した。だが、決死の戦闘空しく、昭和20年6月23日組織的沖縄戦は終結した。
遡ること昭和19年10月20日、フィリピンのレイテ島に圧倒的勢力で上陸を図ろうとする米軍部隊へ、起死回生の反撃を実行した。日本軍は更に、連合軍の沖縄への上陸と本土決戦を阻止を狙って神風特別攻撃隊が編成することとなった。
死を決意して志願した特攻精神は祖国愛の極致というべきもので「神風精神」こそは大東亜戦争が自存の為の祖国防衛戦争であったことの何よりの証である。
沖縄戦に於いては特攻部隊が重要な役割を果たしている。その結果、特攻戦死者の実に76%が沖縄戦で亡くなっている。鹿屋基地(海軍航空)からの特攻で1981名、知覧基地(陸軍航空)からの特攻で1021名、合わせて3002名が散華された。
特攻作戦は航空だけではなく、「特殊潜航艇」「回天魚雷」「空挺特攻」「対戦車特攻」「震洋特攻艇」「陸軍海上特攻」など、日本軍の劣勢を覆す為の特攻攻撃が行われた。特攻作戦で実に3972名もの若者が尊い命を捧げたのである。
沖縄では、未だに「日本は沖縄を見捨てた」だとか、「日本は沖縄を捨石にした」「日本軍は沖縄の敵」などというプロパガンダが蔓延っているが、沖縄県民も好い加減に被害者意識を捨てて、沖縄戦の悲しい歴史に目を向けたらどうだろう。
沖縄県民の反日姿勢や反米感情は今に始まったことではないが、その要因は米国に因る戦後政策の失敗という皮肉な結果が招いたものである。戦後、沖縄の人々は「日本軍を加害者、米軍を解放軍」などとは思ってはいなかったという。だが、米軍は徹底的な検閲を行い、「米軍こそ解放軍である」との宣伝と洗脳を謀った。
その有力な協力者が「沖縄タイムス」であり、現在も反米・反基地運動を煽動している名うての売国新聞社どもである。 反米左派集団が、未だ米軍が宣伝した嘘を信じていることは滑稽極まりないが、「反地」「基地運動」や「反米闘争」を煽動しているのが、言わずと知れた「沖縄タイムス」を始めとした反キチばかり。
基地とはキチガイのキチなのだろう。これつまり、左翼の策謀と言うよりは、米軍の自業自得、悪因悪果と言うのが正しく、昨今の沖縄の実態は我が国の体制の歪みの象徴でもある。だが、こんな嘘をいつまでも許して置く訳にはいかない。
「戦艦大和」が出撃にしても、彼らはどうにか沖縄に辿り着き、海岸に乗り上げて全力を挙げて砲撃戦を行う予定であったのだが、出撃後、鹿児島沖の海に沈んだ。「大和」には歯磨き粉、ブラシ50万人分、月経帯15万人分などの民生品を大量に積み込んでいたという。沖縄と沖縄の人々を守ろうとした何よりの証しである。
こうした純粋に国の為に尊い命を捧げてくれた英霊に対し、一体どんな顔向けが出来るというのか。沖縄県民は被害者意識を払拭しなければならない。沖縄戦で活躍した大田実少将と牛島満中将の二人が残した最後の電文がある。
敵ヲ迎エ撃ツコト二ヶ月余、
陸軍トノ緊密ナル協同ノ下、敵撃滅為ノアラユル努力ニモ関ワラズ、
戦イ利アラズ、根拠地隊ハ、
既ニ陸戦隊ノ精鋭四個大隊ト使用可能ノ火砲ヲ陸軍ノ指揮下ニ派遣シ、
部隊ノ戦力ノ低下ハ免レズ、
加ウルニ、敵ノ装備ハ我ニ勝ルモノ在リ。
此処ニ小官ニ委託サレタル皇国護持ノ任ヲ果タシ得去リシコトヲ、
陛下ニ深ク御詫ビ申シ上ゲル。
指揮下ノ部隊ハ帝国海軍ノ伝統ニ従イ、勇敢ニ戦イ、敵ノ砲爆撃、
沖縄ノ山容ヲ改メシト雖モ、我ガ将兵ノ奉公ノ念ハ改ムルヲ得去リキ。
我々ハ此処皇国永遠ノ発展ヲ祈念シツツ、喜ンデソノ職ニ殉ゼントス。
永年ニ渡リ愛顧ヲ賜リタル大臣閣下並ビニ上司各位ニ対シテハ
心カラノ感謝ヲ申しシ上ゲルト共ニ、
コノ地ニ倒レタル部下将兵ノ遺族ニ深甚ナル考慮ヲ賜ランコトヲ願ウ。
我ガ将兵ト共ニ、陛下ノ万歳ヲ三唱シ、皇国ノ弥栄ヲ祈ル。
「身ハタトエ 沖縄ノ辺ニ朽ツルトモ 守リ遂ゲルベシ大和島根ハ」
沖縄方面根拠地隊司令官 大田実
大命ヲ奉ジ、驕敵撃滅ノ一念ヲ以テ、
麾下ノ将兵、侵入軍ト戦ウコトヲ約三ヶ月、
死ヲ顧ミ去ル抵抗ニモ関ワラズ敵ヲ破砕スルコトヲ得ズ、
戦局ハ最後ノ関頭ニ直面セリ。
麾下部隊ハ本島ニ進駐以来、現地同胞ノ献身的ナ支援ノ下、
鋭意作戦準備ニ邁進セリ。
敵ノ上陸以来、我ガ陸海軍地上部隊ハ、航空部隊ト相呼応シテ本島防衛ノ為、
アラユル努力ヲ傾注シ来タレリ。
然ルニ事志ト違イ、今ヤ本島ヲ敵手ニ委ネントス。
陛下ニ対シ、国民ニ対シ、誠ニ申訳ナシ。
此処ニ残存ノ手兵ヲ率イ、最後ノ一線ヲ展開シ、
一死以テ御詫ビ申上グル次第ナルモ、
只只重任ヲ果タシ得去リシヲ思イ長恨千載ニ尽キルナシ。
最後ノ決闘ニ当タリ、既ニ戦場ニ散リシ将兵ノ英霊ト共ニ、
皇室ノ弥栄ヲ祈念ス。
死スルト雖モ、魂ハ国ヲ守ラン寛吾ナリ。
上司並ビニ同僚ノ懇情ト協力ニ深甚ノ謝意ヲ表シ、御訣レヲ申上グ。
「矢弾尽キ天地染メテ散ルトテモ 魂遷リ魂遷リ皇国護ラン」
「秋ヲモ待タデ枯レ行ク島ノ青草ハ 皇国ノ春ニ甦ガエラム」
陸軍大将 牛島満
二人の訣別電文からは、司令官の悲壮な決意と覚悟、大日本帝国将兵としての勇猛果敢さを余すことなく示されている。沖縄を守るべく先人達は戦い、力及ばず敗戦の憂き目を見るが、決して沖縄を見捨てた訳ではない。戦後、米国の統治に置かれ沖縄県民の負った犠牲は気の毒ではあるが、戦争に負けるとはそういうことでもある。
特攻隊の英霊を始めとした先人の犠牲の上で、今日の沖縄や我が国の繁栄が在るということを現代に生きる我々は決して忘れてはならない。沖縄戦終結の日に当たり、全ての戦没者に対し心より哀悼の誠を捧げたい。合掌。天皇陛下万歳。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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cordial8317 at 13:36│Comments(0)
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