2023年04月21日
死者の選別を続ける靖國神社は天皇の顕現から遠ざかるばかり
靖國神社の春季例大祭が21日から行われる。終身正会員の愚生は、例年第二日祭に招待されるのだが、武漢ウイルスの流行以来、第二日祭は取止めに。たまには上京したいものだが、次次と押し寄せる支払いに四苦八苦している様では情けなや。
「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力為さん」などと正統右翼浪人を気取ってはいるが、内情は乞食同然。乞食の朝謡じゃないが、カネさえ気にしなきゃ気楽なもので、「果報は寝て待て!」というのが信条でもあるが、どうやら寝過ぎたのか、寝ている間に何処かへ行ってしまったのか、さっぱり果報は届かない(笑)
「乞食に氏無し」という。何事もその者の心がけの悪さからなるもので、今の境遇を嘆いても因果応報、仕方ない。悪習は染まり易く、改めるのは困難なのである。
保守派や愛国陣営から総理大臣の靖國神社参拝を熱望する声が絶えない。抑々、総理及び国務大臣の参拝は現憲法第20条違反に問われ兼ねない行為でもある。閣僚が参拝すると当事者や官房長官らが頻りに「個人的参拝」を強調するのも、「宗教法人への参拝は現憲法に抵触する」との認識を共有しているからに他ならない。
所謂「A級戦犯分祀論」なる意見も、同じく靖國神社側への政治介入並びに威圧行為であり、憲法第20条違反に問われるのは最高裁の判例が示す通りである。
靖國神社へのアホ臭い議論はもう終わりにして貰いたいものだ。中韓からの不当な内政干渉に何時まで屈するつもりか。首相の公式参拝は当然であり、何より陛下の御親拝こそが大事であり、それによって英霊は安らかに眠れるのである。
世界のどんな国も「英霊」には最大の名誉が与えられている。歴代米国大統領は、アーリントン国立墓地の囁きに触れ、「負けた戦争」であるベトナム戦争も取り上げてその英雄的な精神を賞賛する。日本の政治家もこうした言葉を学ぶべきだ。
米国に比べて我が国は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているのだが、皮肉なことに国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少なく、こうしたことが国民精神の頽廃を招いている元凶でもある。愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、現代の日本社会に蔓延する問題の多くはそうしたことに起因していると言っても過言ではない。
政治家の参拝なんぞどうでも好いが、陛下が御親拝遊ばされる環境が整うのは果たしていつのことになるのやら。靖國と国民の距離を遠ざけてはならないのだ。
米中韓への配慮なんぞよりも、先ずは靖國神社というものは如何なる存在なのかを国民に教えなければならないと思う。そういう意味では、いつぞや安倍首相が「鎮霊社」に参拝し、その存在が明らかにされたことは画期的だったし、この参拝を機に靖國の在り方を論じるべきだったが、悲しい哉、靖國参拝の賛否ばかり。
これは政治家の怠慢以外の何ものでもなく、靖國の存在理由を知れば、如何に現在の靖國への蔑視が愚かなものか理解出来よう。靖國には英霊は勿論、戦った全ての国の戦没者も祀っている施設であるということをもっと啓蒙するべきで、所謂「A級戦犯」の議論よりも、「賊軍」とされた方々の祀り方を考えるべきだ。
我が国の歴史も「勝てば官軍」と言われる様に、薩長が後に袂を分かつと、長州閥が維新後の国家運営の多くを取り仕切った。靖國神社もその一つ。靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社である。合祀対象は、明治2年7月1日、右大臣・三条実美の祝詞に明示されている通り。
「八十日々はあれども、今日の活く日の足る日を祭日と定めて、祭らしめ賜ふ去年今年、皇軍に死れる輩の靈の前に白さく、汝等は靈ちはふ神の御代より樛の木の彌繼々に天下知し食しぬる我が天皇の大御代と共に久しく言繼ぎて、臣たる人の鑑となす押日命の言立ての、海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、大王の上にこそ死なめの其の事業を今の現に取り行ひて、所は變れども心は一に、皇軍に役立して賊徒等を討たむる其の戰に痛手負ひて命果てぬる輩なれば、上も下も憐の靈よ尊の靈と言ひ思ひ哀しみ畏み祭る、此の祭を受け辱み、千世萬つ世、天翔りて動かず、變れず、大御代の御爲と爲らむ靈とそ思ひ慕ふになむ、吾が身其の時しも監察使の勅を奉りて、此の吾妻に來たりて、東北の軍事をも親しく聞、其軍人の難苦し趣をも知りにし事なれは、今其の事共を思ひ出て、殊更に哀しく、殊更に慕しく思ひて、今此の祭の場に詣り來て拜み齋く事になむ、輔相從一位右大臣藤原朝臣實美、明治二年已巳七月朔日」 として、天皇が統率する軍隊(皇軍)に限られてしまった。 だが、その合祀対象は、残念乍ら、三条実美の祭文に在る様に、「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩・・・」に限られているのである。 この実美の祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西南戦争での西郷軍関係者が祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が消えることはない。
明治26年に靖國神社の参道に高く聳える大村益次郎の銅像が建立された。大村益次郎といえば、今や靖國神社の象徴でもあるが、陸軍大将・西郷を差し置き、陸軍の実務責任者として靖國神社の建設場所を独自の判断で決めた人物でもあり、大村がその後、祭文を糺していれば靖國の在り方も違っただろう。
「賊軍」などいう汚名を着せられ続けている方々が祀られているのは、本殿左奥に鎮座する「鎮霊社」である。鎮霊社の歴史は浅く、昭和40年5月26日に地鎮祭が斎行され、7月13日に鎮座祭を挙行し、以来、この日に祭事が斎行されている。
「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わって亡くなられた戦没や、本殿に祀られていない戊辰戦争で亡くなった御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀っている社である。
この御霊には、慶応4年の戊辰戦争で会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊や二本松少年隊、明治10年の西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。 然し乍ら、本殿と鎮霊社の並立状態は、平成13年参議院選挙直前の記者クラブでの党首討論で小泉純一郎がいみじくも言った「死者の選別」に皮肉にも該当する好例だ。
靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に「鎮霊社」を設けたことは高い評価を受けるべきであろうが、「朝敵」とされ死後も未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状に、真に「靖國」の意味が在るのかという疑問もまた生じてしまう。
「嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか」という声が無い訳ではないが、いつまでも「朝敵」とか「賊軍」とされた儘で良いとも思えない。 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道であり、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず、薩長の策謀により「朝敵」とされただけだ。
会津藩主・松平容保公が、孝明天皇から下賜された宸翰が物語っているではないか。 朝敵を別なカタチで祀ることと、朝敵をも本殿に祀ることと、そのどちらが現代という時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのだろう。
招魂社と鎮霊社の在り方を検証もせずに「死者の選別」をした儘で好いとは思えない。所謂「A級戦犯分祀論」で世論を攪乱してるアホ政治家が後を絶えないが、英霊を「戦犯」と罵り乍ら、分祀という死者の選別さえすればそれで済むとは思えない。
靖國神社を御創建遊ばされた明治天皇の思し召しに応える意味でも、靖國の本当の在り方を真剣に考えなくてはならない。最近の靖國神社は明治維新を成す上で東西の戦いがあったことを軽視し、対東亜戦争のミュージアム化してることを危惧する。
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「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力為さん」などと正統右翼浪人を気取ってはいるが、内情は乞食同然。乞食の朝謡じゃないが、カネさえ気にしなきゃ気楽なもので、「果報は寝て待て!」というのが信条でもあるが、どうやら寝過ぎたのか、寝ている間に何処かへ行ってしまったのか、さっぱり果報は届かない(笑)
「乞食に氏無し」という。何事もその者の心がけの悪さからなるもので、今の境遇を嘆いても因果応報、仕方ない。悪習は染まり易く、改めるのは困難なのである。
保守派や愛国陣営から総理大臣の靖國神社参拝を熱望する声が絶えない。抑々、総理及び国務大臣の参拝は現憲法第20条違反に問われ兼ねない行為でもある。閣僚が参拝すると当事者や官房長官らが頻りに「個人的参拝」を強調するのも、「宗教法人への参拝は現憲法に抵触する」との認識を共有しているからに他ならない。
所謂「A級戦犯分祀論」なる意見も、同じく靖國神社側への政治介入並びに威圧行為であり、憲法第20条違反に問われるのは最高裁の判例が示す通りである。
靖國神社へのアホ臭い議論はもう終わりにして貰いたいものだ。中韓からの不当な内政干渉に何時まで屈するつもりか。首相の公式参拝は当然であり、何より陛下の御親拝こそが大事であり、それによって英霊は安らかに眠れるのである。
世界のどんな国も「英霊」には最大の名誉が与えられている。歴代米国大統領は、アーリントン国立墓地の囁きに触れ、「負けた戦争」であるベトナム戦争も取り上げてその英雄的な精神を賞賛する。日本の政治家もこうした言葉を学ぶべきだ。
米国に比べて我が国は悠久の歴史と民族の一体性に恵まれているのだが、皮肉なことに国の礎となった英霊の方々は国家から顧みられることが少なく、こうしたことが国民精神の頽廃を招いている元凶でもある。愛国心の欠落、その結果としての国防意識の低下、日本人としての誇りや自信の喪失、子殺しや親殺し、等々、現代の日本社会に蔓延する問題の多くはそうしたことに起因していると言っても過言ではない。
政治家の参拝なんぞどうでも好いが、陛下が御親拝遊ばされる環境が整うのは果たしていつのことになるのやら。靖國と国民の距離を遠ざけてはならないのだ。
米中韓への配慮なんぞよりも、先ずは靖國神社というものは如何なる存在なのかを国民に教えなければならないと思う。そういう意味では、いつぞや安倍首相が「鎮霊社」に参拝し、その存在が明らかにされたことは画期的だったし、この参拝を機に靖國の在り方を論じるべきだったが、悲しい哉、靖國参拝の賛否ばかり。
これは政治家の怠慢以外の何ものでもなく、靖國の存在理由を知れば、如何に現在の靖國への蔑視が愚かなものか理解出来よう。靖國には英霊は勿論、戦った全ての国の戦没者も祀っている施設であるということをもっと啓蒙するべきで、所謂「A級戦犯」の議論よりも、「賊軍」とされた方々の祀り方を考えるべきだ。
我が国の歴史も「勝てば官軍」と言われる様に、薩長が後に袂を分かつと、長州閥が維新後の国家運営の多くを取り仕切った。靖國神社もその一つ。靖國神社は明治2年、明治天皇の思し召しにより、「東京招魂社」として建立された神社である。合祀対象は、明治2年7月1日、右大臣・三条実美の祝詞に明示されている通り。
「八十日々はあれども、今日の活く日の足る日を祭日と定めて、祭らしめ賜ふ去年今年、皇軍に死れる輩の靈の前に白さく、汝等は靈ちはふ神の御代より樛の木の彌繼々に天下知し食しぬる我が天皇の大御代と共に久しく言繼ぎて、臣たる人の鑑となす押日命の言立ての、海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍、大王の上にこそ死なめの其の事業を今の現に取り行ひて、所は變れども心は一に、皇軍に役立して賊徒等を討たむる其の戰に痛手負ひて命果てぬる輩なれば、上も下も憐の靈よ尊の靈と言ひ思ひ哀しみ畏み祭る、此の祭を受け辱み、千世萬つ世、天翔りて動かず、變れず、大御代の御爲と爲らむ靈とそ思ひ慕ふになむ、吾が身其の時しも監察使の勅を奉りて、此の吾妻に來たりて、東北の軍事をも親しく聞、其軍人の難苦し趣をも知りにし事なれは、今其の事共を思ひ出て、殊更に哀しく、殊更に慕しく思ひて、今此の祭の場に詣り來て拜み齋く事になむ、輔相從一位右大臣藤原朝臣實美、明治二年已巳七月朔日」 として、天皇が統率する軍隊(皇軍)に限られてしまった。 だが、その合祀対象は、残念乍ら、三条実美の祭文に在る様に、「皇軍に役立ちして、賊徒等を討たん其の義に・・・命果てぬる輩・・・」に限られているのである。 この実美の祭文の原則がある限り、会津藩や我が二本松藩、西南戦争での西郷軍関係者が祀られることはなく、未来永劫 「賊軍」の汚名が消えることはない。
明治26年に靖國神社の参道に高く聳える大村益次郎の銅像が建立された。大村益次郎といえば、今や靖國神社の象徴でもあるが、陸軍大将・西郷を差し置き、陸軍の実務責任者として靖國神社の建設場所を独自の判断で決めた人物でもあり、大村がその後、祭文を糺していれば靖國の在り方も違っただろう。
「賊軍」などいう汚名を着せられ続けている方々が祀られているのは、本殿左奥に鎮座する「鎮霊社」である。鎮霊社の歴史は浅く、昭和40年5月26日に地鎮祭が斎行され、7月13日に鎮座祭を挙行し、以来、この日に祭事が斎行されている。
「鎮霊社」は、幕末の嘉永6年以降、戦争や事変に係わって亡くなられた戦没や、本殿に祀られていない戊辰戦争で亡くなった御霊と、同時期以降の世界の戦争・事変に係わって戦没した全世界各国全ての戦没者の御霊を祀っている社である。
この御霊には、慶応4年の戊辰戦争で会津若松の飯盛山で自決した会津藩白虎隊や二本松少年隊、明治10年の西南戦争で自決した西郷隆盛らも含まれる。 然し乍ら、本殿と鎮霊社の並立状態は、平成13年参議院選挙直前の記者クラブでの党首討論で小泉純一郎がいみじくも言った「死者の選別」に皮肉にも該当する好例だ。
靖國神社側が、宗教的な敬虔さを示す為に「鎮霊社」を設けたことは高い評価を受けるべきであろうが、「朝敵」とされ死後も未だ本殿とは別にしてその死を包括し得ない現状に、真に「靖國」の意味が在るのかという疑問もまた生じてしまう。
「嘗ての会津藩士の御霊が薩長藩士の霊と一緒に祀られることを喜ぶのか」という声が無い訳ではないが、いつまでも「朝敵」とか「賊軍」とされた儘で良いとも思えない。 会津藩に至っては幕閣で唯一の神道であり、どの藩よりも朝廷に忠節を尽くした藩にも拘らず、薩長の策謀により「朝敵」とされただけだ。
会津藩主・松平容保公が、孝明天皇から下賜された宸翰が物語っているではないか。 朝敵を別なカタチで祀ることと、朝敵をも本殿に祀ることと、そのどちらが現代という時代に即して天皇(すめろぎ、すめらぎ)が顕現される道なのだろう。
招魂社と鎮霊社の在り方を検証もせずに「死者の選別」をした儘で好いとは思えない。所謂「A級戦犯分祀論」で世論を攪乱してるアホ政治家が後を絶えないが、英霊を「戦犯」と罵り乍ら、分祀という死者の選別さえすればそれで済むとは思えない。
靖國神社を御創建遊ばされた明治天皇の思し召しに応える意味でも、靖國の本当の在り方を真剣に考えなくてはならない。最近の靖國神社は明治維新を成す上で東西の戦いがあったことを軽視し、対東亜戦争のミュージアム化してることを危惧する。
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cordial8317 at 06:03│Comments(0)
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