日本という奇跡の国に日本人として生まれたことに感謝せずにはいられない男子たるもの易易と頭は下げるものではない(笑)

2022年02月14日

悪習は染まり易く改めるのは困難である

 国士舘大学時代に行動右翼のパイオニアを自任する防共挺身隊(以下防挺)に入隊した。防挺といえば、戦後、大日本愛国党と並んで行動右翼・街宣右翼として、戦後の右翼・民族派運動に大きな役割を担ってきた団体である。

 防挺は、初代福田進総隊長の国会議事堂前共産党員らへの「糞尿事件」も有名だが、三菱重工でのべ平連との乱闘や日露漁業株主総会での「糞尿事件」などその活躍は凄まじく、「総会屋右翼」としてもその業界では有名な団体だった。

 株主総会に借り出されては「異議なし!」「議事進行!」の掛け声を叫んだ。一日約3時間程拘束され日当1万円。学生だった愚生にはオイシイバイトだった。

 将来は支部として、或いは独立した時の活動費は、企業からの寄付金で賄えると踏んで、就職活動もせず、学業も疎かにして右翼運動に専念していた。

 だが、大学4年の秋、思いもよらぬことで右翼としての岐路に立たされる。総会屋対策として「商法」が改正され「一株株主」がダメになってしまったのだ。

 福田総隊長より「各支部は独立採算せよ!」との通達が下る。防挺の各支部は「防共グループ」「防人の集い」などとなり、各支部が単独団体になった。所属していた羽田支部も総会屋名「産業報国社」から「報国社」に名称変更した。

 その後、多くの隊員は土木作業員になったり、バイトをしたり、働き出したが、愚生としては「土木工学科を卒業しながら何で今更乍ら土方なのか」との忸怩たる思いに駆られた。一念発起し、帰省して団体を設立し活動をすることを決意する。

 爾来、居の安きを求めず支援者が減少して行く中で、貧乏に呻吟しながらも正統右翼浪人として、また、一維新者としての生き方を試行錯誤しつつも全うしている。

 斯くいう愚生が政治というのに興味を抱いたのは中学時代だった。親父が町会議員で、自民党の衆議院議員(故・天野光晴)の秘書の様な事をやったいた影響と、担任、副担任とも日教組だった事が大きく影響しているのは間違いない。

 親父が持ってくる「月刊・自由民主」という機関誌を、当時は理解出来る訳ではないのだが読み漁った。一方で中学時代の担任の高橋寅彦、副担任の遠藤四郎両人ともバリバリの日教組組合員で、副担任は退職後に共産党の市会議員になった。

「月刊・自由民主」に書かれていることと、担任らが話すことが全く違っててよく口論になった。口論というより一方的に貶され殴られたというのが正解か(笑)

 今でも忘れない。2年の国語の授業中に、いきなり担任が授業とは全く関係なく、「お前ら、天皇は自分のことなんて言うか知ってるか?」と尋ねて来た。

 一同、「・・・」

 愚生、「朕ですよね」

 先生、「お~、そうだ、チンポコのチンだ!」

 一同爆笑

 愚生、「・・・」

 とある日には、いつも校長と朝の職員会議でやり合って来る為か機嫌が悪い先生が、珍しくニコニコ顔で教室に入って来た。担任は徐に、「今日は、いや~、めでたいめでたい、めでたい日だな(笑)」と、話し始めた。クラス全員意味不明。

 この担任の一言にピンと来た愚生は、「(ベトナム戦争で)ベトナムからアメリカが撤退するのがそんなに嬉しいですか、寅さん?(笑)」と言ってみた。

 先生こっちを睨み付け、「お前はおかしんだよ!」

 こんなことが多かったな(笑)

 この寅さんと遠藤と成人してから酒を飲みながら政治談議をしたことがある。

「五郎、オメエは天皇制は絶対だと思ってんのか」と遠藤。

「天皇は制度でもないし、日本人として生まれ、日本人として恩恵を享けていながら、天皇や皇室を否定する理由はないでしょ」と愚生が反論を試みる。

 畳み掛けるように遠藤に、「それなら、共産主義は絶対ですか?共産主義って言ったって矛盾だらけだべ。例えば『赤旗』の値上げは、労働価値観じゃなく、売上げ低迷からの値上げで、それこそ資本主義の論理だし(笑)」と問いかけてみた。

 遠藤はその問いかけに「・・・」

「ソ連なんてのは絶対崩壊しますよ。共産主義者や革命家を気取ってて公務員の給与で家を建てて、安住しながら『革命』もないっての。日教組の最高の教え子は永田洋子と坂口弘でしょ。今は二人は死刑囚で手紙を出して間違った教育を謝罪するべきでは」と反論。遠藤は激怒し「にしゃ(貴様)とは話しになんねぇ」と席を立った。

 やり取りを聞いてた寅さんは、「五郎、オメエは大したもんだな。俺は退職してから建てたが、遠藤四郎は現役時代に建てたからな。アレ(遠藤四郎)は頭が固い(笑)」。そんな遣り取りがあった数年後、ソ連が崩壊したのは言わずもがな。

 中学時代のこの二人の日教組の先生こそが、愚生が右翼人として生きる切っ掛けを作ってくれたのは間違いないが、そういう意味では、右翼という破天荒な生き方に導いてくれた左翼二人の先生には感謝しなきゃいけないのかも知れない(笑)

 一方で、当時「ローッキード事件」が発覚し、自民党の金権体質が問題になり、また田中角栄の人気にも陰りが見え始め、自民党政治にも興醒めしつつあった。

 高校は地元の二本松工業高校。当時は進学するなど考えもしていないし、土方の監督か「前略おふくろ様」の影響で日本料理の板前にでもなろうと考えていた。

 大学進学に傾いたのは、担任が自分だけには就職を世話しないし、そんな中で福島県警の採用試験受けるも不合格になってしまった。ならば大学を「推薦」して貰って、大学4年間を遊びながら将来を考えれば好いかなんて喜楽に思っていた。

 そんな矢先、右翼団体「国防青年隊」の隊員で国士舘大学の3年生Hに因る総理大臣へのテロ未遂事件が起こった。新聞記者に変装したHが首相官邸に入り込み、当時の大平正芳総理大臣を襲撃するという大学生に因る前代未聞のテロ未遂事件だった。

 当時の地元紙にもデカデカと報じられてたのは記憶に鮮明に覚えている。「元暴走族」「インスタント右翼」などと揶揄した報道だった。この事件に感動し、国士舘大学への推薦を願い出るも即却下。担任は「ここだけはダメだ」を繰り返すばかり。

 日頃父から「田舎で勉強するより、都で昼寝しろ」と言ってたのを知っていたので、地元の大学には行く気もなく、しつこく国士舘大学への推薦を迫った。担任も根負けしたのか、「坊主にしたら」という条件で推薦してくれることになった。

 先生にしてみりゃ絶対坊主にはしないだろうという思惑があったのだろうが、翌日、五厘坊主にした愚生を見ると無言で書類を作成してくれたのを思い出す(笑)

 合格し、先生方が集まってた「土木科室」に報告に行ったら、「おめでとう!」という先生は誰もおらず、先生らは一同に「五郎、右翼にだけは入んなよ!」

 国士舘大学に入学して間もなく、縁というのは異なもの味なものという様に、3学年上の上田崇仁との巡り会いが愚生の人生を決定付ける。当時は行動右翼というより愚連隊的色合いの濃かった防共挺身隊・羽田支部の門を叩いたのは言うまでもない。

 爾来30年余り、微力ではあるが愛国活動に邁進し、玉石混交の右翼の中で「右翼の良識」と言われたりもしたが、力及ばず、30年来苦楽を共に行動してきた盟友と袂を分つた。その盟友も幽明界を異にし、防挺も昔の勢いが無くなったのが寂しい。

 近年の保守ブームから新保守主義を掲げる営業保守や評論家の言動が持て囃されてはいるが、彼奴らの「保守」には本来持つべき「尊皇」精神はない。彼等が「保守」したいのは、己らの現状であり、要は生業を維持するのが目的だとしか思えない。

「反中」だの、「嫌韓」だの、「反北朝鮮」だのと自称愛国者向けに耳障りの良いことを言ってるだけで、これが本音とも思えない。保守主義を否定する訳ではないが、尊皇無き保守では米国や英国の保守政党や保守主義と何等変りは無いのだ。

 そんな中で、右翼・民族派の存在価値は年々薄れて来ているのは確かだろう。時代と言えばそれまでだが、資金不足や指導者不足は顕著である。右翼人なのかヤクザなのか分からない。思想は乏しく、考えていることは己の「シノギ」ばかり。

 久しぶりに相対しても刮目することなく、「どう、景気は?」といった具合でうんざりだった。然し、悲観はしていない。必ずや、この混迷と停滞から脱却し、天皇国日本を磐石の安きに導いてくれる「国士」は出現するだろうと信じている。

 右翼・民族派諸氏は原点に戻り、研鑽を積み、テロを担保しつつ行動を続け、言論活動にも励み啓蒙活動をして貰いたいものだ。手元不如意なんぞ何するものぞ!

 愚生は恩師には恵まれず「師」と呼べる様な人はいない。右翼に入った十代の頃には、厳しくも優しい岩瀬泰雄支部長に鍛えて貰ったが、初代の福田進総隊長はカリスマがあり過ぎて近寄り難く、政治思想などを聞く機会は殆ど無かった。

 大学を卒業し、故郷に帰還してからも、地元の右翼の重鎮、大日本愛国党の芦名昇盛議長に教えを乞うたが、イマイチ示唆に富んだものは得られなかった。

 三代目の故對馬則政然り、右翼浪人の故横山武彦然り、まぁ逆を言えば良い反面教師に恵まれたとも言える。自由気侭にやらせて貰った御蔭で、組織に関係なく、個性豊かな面々とも知り合いになれたし、組織に拘泥することなく生きて来れた。

 三十代の始め、故横山武彦を介して、大手警備会社「テイケイ」を立ち上げ高花豊会長と出会ってからは人生観も大きく変わった。思想家である高花先生には長きに亘り物心両面で支えて頂いた。この高花先生との邂逅が無ければ、また違った右翼人生を歩んでいたかも知れない。その高花先生に言われた」言葉を思い出す。

「活動家は長生きすると惨めな生活しか待っていないよ!」

 当時は理解しなかったが確かにその通りだ。歳を取って実感する今日この頃。

「最近、パクられてないんじゃないの?」とも皮肉られたこともあるったっけ。

 訝しがってると、高花先生はこう言った。

「本気でやれば逮捕されるものです(笑)」

 この言葉に思わず膝を打った。そういうことだ。本気でやっていないからパクられないのだ。活動家としての基本を忘れ、怠惰な日々に流されているだけなのだ。

「乞食も三日すれば忘れられぬ」ともいうが、乞食は気楽なもので三日もやればそれが忘れられなくなるが、右翼浪人と気取ってはいるが、要は乞食と似た様なもの。乞食より悪いのは、自分を乞食と認めようとしないところだろうか(笑)

 悪習は染まり易く、改めるのは困難なのである。 その昔、右翼浪人の先輩でもあった横山から「乞食でも本物の乞食は信用出来るぞ」と教えられたことがあった。

 右翼に限らず何処の世界もインチキばかりが幅を利かす昨今、愚生も乞食の様な生活ではあるが本物の右翼浪人、本物の一維新者で在りたいものだ。呵呵。

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cordial8317 at 08:02│Comments(0)

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日本という奇跡の国に日本人として生まれたことに感謝せずにはいられない男子たるもの易易と頭は下げるものではない(笑)