現憲法は建前は大日本帝国憲法(明治欽定憲法)の改正ということになっているNHK籾井会長の「何処の国にも(公娼制度)あった」という言葉尻を論う何処かのアホ記者

2014年01月25日

安倍首相施政方針演説はバランスを考えた卒の無いものだが根本が間違っている

 安倍が施政方針演説を行った。バランスを考えた卒の無いものだったが、これが安倍が本気でやろうとしているものだとしたら実に忌忌しき問題でもある。更に、気になったのは元号を使わず西暦で年度を表していたことだ。

「2020年東京オリンピック・パラリンピック」は当然だが、「待機児童を14年までに20万人分、17年度までに40万人」「国家公務員採用を15年から」「20年を目標に中学校での英語教育の充実」「20年を目標に外国人留学生を30万人」「那覇空港第二滑走路を21年度までに毎年3000億台の予算を確保」など。

 ところでいつから西暦を使う様になったのだろう。昭和54(1979)年6月12日に「元号法」が公布・即日施行された。これは国会や政府、裁判所などの公的文書などで慣例的に「元号」が用いられたことに鑑み、賛否両論の喧々諤々の末に制定されたものだ。国会で、保守派と言われる安倍が元号を用いないのはどういうことか。

 左翼や売国マスコミは、敢えて元号を使わず西暦を常用するその理由は、「元号は戦前からの慣習であり、天皇の元首化を狙うものだ」とか、「元号は旧憲法下の天皇制に付随したものである」とか、愚にも付かない理由からだ。

 抑々、天皇は天皇であって制度ではない。皇室に対する怨念を込め、「国際化社会時代やグローバル化が叫ばれている時代にそぐわない」と然も西暦使用が当たり前であるかの様な屁理屈を述べるが、「元号」は、我が国の節季の習俗を時代の流れに応用する先人の智慧であり、これこそが我が国文化を象徴するものである。

 左翼マスコミは何気に「西暦」を使い続けることで、「元号」が無くても何ら影響が無いという既成事実を積み重ねているが、安倍がそれに与してどうするのか。

 施政方針演説での元号不使用は「元号法」を無視する違法行為であり、我が国の首相の演説としては御粗末である。「元号」の表記こそ優先しなければならない。 

 自民党の新綱領の初めには「新憲法の制定」を謳い、そして「高い志をもった日本人を」として【私たちは、国民一人ひとりが、人間としての普遍的規範を身につけ、社会の基本となる家族の絆を大切に、国を愛し地域を愛し、共に支え合うという強い自覚が共有できるよう努めます。そのために教育基本法を改正するとともに、教育に対して惜しみなく資源を配分し、日本人に生まれたことに誇りがもてる、国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育をめざします】 と明記されている。

 安倍の訴える「教育委員会制度の抜本改革」や「道徳を特別の教科としての位置付け」は同意はするが、「英語教育の教科」や「外国人留学生の拡大」には疑問を呈さざるを得ない。「外国人留学生の拡大」の殆どは中共からの留学生で、一人当たり、年間250~300万円の予算が組まれ、学費は免除、月々の生活費も保証される。

 四年間で平均約1050万円以上もの血税が使われ、政府予算も2500億円を超える。これが3倍ともなれば一体幾らかかるのか。外国人に配るそんな余裕があるのなら、奨学金で苦学している日本人大学生こそ援助し育むべきではないのか。

 安倍の施策の根本が間違っている。英語を話せる様になるということことは結構なことだが、日本語もロクに話すことも出来ないのに、また生まれた日本の歴史もロクに知らないのに、英語を話すことだけを目的に、また自国の歴史も知らずして海外に留学したとして、果たしてそれが真の国際人を育むことになるのだろうか。

 自民党綱領に記されてある「国際感覚豊かな志高い日本人を育む教育」というものがこういうことなら、やはりそれは間違いであると断じざるを得ない。

「国際化社会での人材育成」というが、英語なんていう田舎言葉を教える前に、日本語の正しい使い方や、日本の歴史や国柄こそ徹底して教えるべきだ。

 日本人が美しい日本語も知らず、正しい日本語も使えず、況してや日本の国體も知らずして、グローバル化だの、国際化社会などとは実に烏滸がましい。

 バチカンでは英語は忌み嫌われた。そんな田舎言葉が世界語になったのは、武力で世界を支配し、富を独占したからに他ならず、第二次世界大戦の負の遺産でもある。世界では今、1000万人以上の人が日本語を学び始めているという。

 日本語文化こそを世界に普及し、日本の和の心を英語で伝えることこそ大事で、それにはやはり日本の成り立ちを知り、歴史を知り、国柄を知ることこそ大事なのだ。明治の先覚者は、外来語を全て新漢字に翻訳し、西洋文化を学んだ。

 現代人の様に外来語をそのまま羅列し、軽薄な舶来趣味と比べれば、明治人の気骨と気概、高い見識を伺い知ることが出来る。日本語に自信を持ち、何処までも日本語で主張し、日本文化を貫いたからこそ発展が得られたのだ。

 嘗て我が国は教育立国として明期の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは立派な教育の故である。 然し、現在はどうだろう。

 国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、日本人の美徳や高邁さを忘れてしまった。高邁な魂を喪失した日本人に最も必要なのは日本精神である大和心を取り戻す教育であるべきだ。

「教育再生」を謳うならば英語よりも、小学校時代に乱れた日本語を正す意味でも「神話」を教え、我が国の生い立ちや日本語の美しさと日本人の心の豊かさこそ学ばせるべきだろう。そうした教育も施さずに何が英語教育か。何が国際化社会への人材育成か。更なる追米・従米政策、更なる英国への属国化ではないか。

「国際化時代の今」といった安っぽい主張ばかりが先行し、やれ友好だとか親善だとか、実に曖昧な次元で、国際化社会に向けて日本もグローバル化するべきだとの愚かな考えが蔓延してしまっている気がしてならない。

 学校教育は「学級崩壊」という言葉が飛び交う程破滅的な状況であり、この教育荒廃を生んだ元凶は日教組と教育委員会と言っても過言ではない。教育委員会制度は、抑々米国がその占領政策の一環として導入したものだ。

 我が国の教育再生は教育委員会の廃止無くして達成することは無い。米国は、戦前の軍国主義が中央集権的教育制度を齎し、結果戦争に繋がったと結論付けている。

 その日本の学校教育を内務省の中央集権的統制から解き放ち、その管理を、地域住民の代表により構成される合議制の教育委員会の下に置こうと画策し、それを実行し、現在に引き継がれている。 教育委員会のモデルとなったものが、米国の教育委員会制度であり、これは米国の開拓時代の占領統治の思惑から生まれたものだ。

 日本の統治も同じ様に占領に拠って米国の意の儘に置こうというのが狙いであり、戦後、米国の謀った「戦後民主主義教育」や米国の価値観の押付けは、米国の思惑以上に大きな成果を齎し、我が国を根本から蝕み続けている。

 教育者でありながら国旗、国歌に反対し、我が国の歴史・伝統・文化を否定し、国體破壊を目指す日教組は国内最大の「癌」であり、これを抉り出し粛正しない限り、教育の正常化など在り得ないというのは言わずもがなだ。

 教育荒廃の原因が日教組だけに在る訳ではない。 確かに左翼教師が蔓延った日教組こそ戦後教育の落とし子とも言えるが、日教組も教育委員会も米国の民主教育が生んだ悪害であり、その目指すものは一緒で、それは国體の破壊である。

 戦後の教育荒廃は文部省の無能も然ることながら、教育荒廃の元凶こそ、民主教育行政を司った教育委員会に在ると言っても過言ではないのだ。政治で最優先に為すべきことは「教育」と「国防」である。将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか、志の高い日本人を創るかが大事である。

「国防」とは単に領土を守ることだけではない。「国防」とは「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くこと」である。

 安倍は施政方針演説で福島が生んだ偉人・野口英雄博士の「志を得ざれば再び此地を踏まず」という言葉を引用した。この言葉は野口博士が医学の道を志し、上京する際に床の間に床柱に刻んだ言葉で、これは「医師になる!」という背水の陣の覚悟でもある。現在の政治家に決定的に足らないものはその覚悟である。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 08:07│Comments(0)

コメントする

このブログにコメントするにはログインが必要です。

現憲法は建前は大日本帝国憲法(明治欽定憲法)の改正ということになっているNHK籾井会長の「何処の国にも(公娼制度)あった」という言葉尻を論う何処かのアホ記者