2013年12月06日
その心を汚さず鏡の様に磨き上げておくことが身を修める根本である
日本最初の陽明学者と言われる人物は中江藤樹である。徳川幕府は儒教である「朱子学」を盛んにしたが、その朱子学が形式や礼儀を重んじたのに対して、明の学者・王陽明が唱えた「陽明学」は心の持ち方を大切にする教えでもある。
王陽明は若い頃は生活もだらしなく、無頼の徒で仁侠道に溺れたり、武道に凝り過ぎたり、詩や仏法に惑溺したり。我が国の偉人にもよく似たことがある。
司馬遼太郎の「峠」の主人公・河井継之助もこの陽明学を重んじ、王陽明を敬慕していた為か、それ故にどこか王陽明を彷彿させ、どことなく破天荒でもある。
王陽明は、終いには儒教に辿り着き、独自の学派を拓いた。「知識」は「行動」と一つであり、人を狂人にし、常に人を行動へと駆り立てる。
因みに、愚生の所属していた防共挺身隊の初代・福田進の父は「福田素顕」だが、本名は「福田狂二」と言い、当時は社会主義者でも有名だった人物だった。
この「狂」という字は、単に「狂った」という意味ではなく、陽明学の教える「狂」であり、「狂」の思想は王陽明が「伝習録」で訓えたものでもある。
陽明学は「知行合一」の教えだということを知ってる人は多いだろう。言葉にしたことは必ず実行するというのは「知行合一」は陽明学の究極の思考だ。
逆を言えば、「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」ということでもあり、自分の発言には自らの覚悟と責任を課していることを意味する。
「良知に至る」というのは、人は誰でも生まれながらにして美しい心がある。即ち「良知」というのを持っている。その心を汚さず、鏡の様に磨き上げておくことが身を修める根本だという意味である。これは「性善説」とはチョッと違う。
悪いことをするというのは「良知」が乏しく、自分自身を磨き上げることを怠ったということで、死刑廃止を訴える人権派弁護士らのいう「性善説」は本末転倒だ。
人権派を自任してる連中も最近の政治家にしても、言葉が軽く国民から支持されないのはのはこうした陽明学の意味を知らず行動にも責任も持てないからだ。
陽明学は「志を立てる」ところから始まり、「行動に昇華する」ことで終結する。つまり、例えば政治家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民の模範となることが大事であるということだ。
陽明学では、人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つに分けている。孟子はこれを次の様に注釈している。「狂」は理想主義だが言行不一致。「狷」は不潔を潔しとしないものとされる。
「卿愿(郷愿)」は世俗と歩調をあわせた風俗とし、徳の賊(道徳家を装って郷里の評判を得ようとする俗物)だとした。我が国の国会や政治家を見渡せば、正に「卿愿の如し」。政治家は俗物と化し、政治は党利党略の風俗に成り下がった。
要するに、陽明学派の「狂」とは、「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心のままに率直に行動すること」であり、「狂」とは、一つの信念に向かって脇目もふらずに突進することである。因みに福田進の実弟は「狂介」という名だが、第三代、第九代内閣総理大臣に就いた山県有朋も自らを「狂介」と号している。
また「狂」は、「もし過失があれば改めさえすればよい」とする臨機応変的なものでもあり、世俗社会の常識に対し果敢に挑戦する「実践的理想主義」でもある。
河井継之助が、当時流行していた堅物な衒学臭げな尊皇カブレの徒輩とどこか違うのは、陽明学の「実践的理想主義」故のものだったからではなかろうか。
自分の行動を「狂挙」と敢えて言える為には、歴史を見つめる「冷静な目」が必要であり、この「狂」の精神こそが、明治維新への道と切り開く転換点となった。
藤樹は母親を養う為に、「今、孝行を尽くさなければ後悔しても間に合わない」と武士を辞め故郷へ帰る。刀を売り資金を作り、貧しいながら老母に仕え、村人に学問を教えた。噂を聞いて遠近から藤樹の人柄を慕って来る者は絶えなかった。
講義を受けていた中の一人の馬方が、「客が馬の鞍に結びつけたまま忘れた二百両入りの財布を、八里も離れた宿場まで届けるも礼金を享けなかった」という話は有名で、偶々この評判を聞いたのが、陽明学者の熊沢蕃山だった。
「貴男の様な立派な御武家にお教えする様な学も徳もない」と、師となることを固く断る藤樹に、蕃山は、門前に二日間座り込み漸く入門が叶った。後に蕃山は岡山藩に仕え、藤樹から教わった学問を政治の上に大きく活かした。
藤樹は41歳で没する。多くの門人に熱心に、真面目に、丁寧に教えた故に「近江聖人」と讃えられ、今なお尊敬され続けている。昔の思想家に学ぶものは多い。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
王陽明は若い頃は生活もだらしなく、無頼の徒で仁侠道に溺れたり、武道に凝り過ぎたり、詩や仏法に惑溺したり。我が国の偉人にもよく似たことがある。
司馬遼太郎の「峠」の主人公・河井継之助もこの陽明学を重んじ、王陽明を敬慕していた為か、それ故にどこか王陽明を彷彿させ、どことなく破天荒でもある。
王陽明は、終いには儒教に辿り着き、独自の学派を拓いた。「知識」は「行動」と一つであり、人を狂人にし、常に人を行動へと駆り立てる。
因みに、愚生の所属していた防共挺身隊の初代・福田進の父は「福田素顕」だが、本名は「福田狂二」と言い、当時は社会主義者でも有名だった人物だった。
この「狂」という字は、単に「狂った」という意味ではなく、陽明学の教える「狂」であり、「狂」の思想は王陽明が「伝習録」で訓えたものでもある。
陽明学は「知行合一」の教えだということを知ってる人は多いだろう。言葉にしたことは必ず実行するというのは「知行合一」は陽明学の究極の思考だ。
逆を言えば、「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」ということでもあり、自分の発言には自らの覚悟と責任を課していることを意味する。
「良知に至る」というのは、人は誰でも生まれながらにして美しい心がある。即ち「良知」というのを持っている。その心を汚さず、鏡の様に磨き上げておくことが身を修める根本だという意味である。これは「性善説」とはチョッと違う。
悪いことをするというのは「良知」が乏しく、自分自身を磨き上げることを怠ったということで、死刑廃止を訴える人権派弁護士らのいう「性善説」は本末転倒だ。
人権派を自任してる連中も最近の政治家にしても、言葉が軽く国民から支持されないのはのはこうした陽明学の意味を知らず行動にも責任も持てないからだ。
陽明学は「志を立てる」ところから始まり、「行動に昇華する」ことで終結する。つまり、例えば政治家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民の模範となることが大事であるということだ。
陽明学では、人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つに分けている。孟子はこれを次の様に注釈している。「狂」は理想主義だが言行不一致。「狷」は不潔を潔しとしないものとされる。
「卿愿(郷愿)」は世俗と歩調をあわせた風俗とし、徳の賊(道徳家を装って郷里の評判を得ようとする俗物)だとした。我が国の国会や政治家を見渡せば、正に「卿愿の如し」。政治家は俗物と化し、政治は党利党略の風俗に成り下がった。
要するに、陽明学派の「狂」とは、「理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、心のままに率直に行動すること」であり、「狂」とは、一つの信念に向かって脇目もふらずに突進することである。因みに福田進の実弟は「狂介」という名だが、第三代、第九代内閣総理大臣に就いた山県有朋も自らを「狂介」と号している。
また「狂」は、「もし過失があれば改めさえすればよい」とする臨機応変的なものでもあり、世俗社会の常識に対し果敢に挑戦する「実践的理想主義」でもある。
河井継之助が、当時流行していた堅物な衒学臭げな尊皇カブレの徒輩とどこか違うのは、陽明学の「実践的理想主義」故のものだったからではなかろうか。
自分の行動を「狂挙」と敢えて言える為には、歴史を見つめる「冷静な目」が必要であり、この「狂」の精神こそが、明治維新への道と切り開く転換点となった。
藤樹は母親を養う為に、「今、孝行を尽くさなければ後悔しても間に合わない」と武士を辞め故郷へ帰る。刀を売り資金を作り、貧しいながら老母に仕え、村人に学問を教えた。噂を聞いて遠近から藤樹の人柄を慕って来る者は絶えなかった。
講義を受けていた中の一人の馬方が、「客が馬の鞍に結びつけたまま忘れた二百両入りの財布を、八里も離れた宿場まで届けるも礼金を享けなかった」という話は有名で、偶々この評判を聞いたのが、陽明学者の熊沢蕃山だった。
「貴男の様な立派な御武家にお教えする様な学も徳もない」と、師となることを固く断る藤樹に、蕃山は、門前に二日間座り込み漸く入門が叶った。後に蕃山は岡山藩に仕え、藤樹から教わった学問を政治の上に大きく活かした。
藤樹は41歳で没する。多くの門人に熱心に、真面目に、丁寧に教えた故に「近江聖人」と讃えられ、今なお尊敬され続けている。昔の思想家に学ぶものは多い。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 08:21│Comments(0)
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。