この世を超え生き代わり死に代わりつつ「永遠」に生き続ける魂がある「親父の小言」(福島県相馬市 大聖寺 暁仙 昭和3年)

2023年05月23日

言葉の多き・負け惜しみ・差し出口・言葉のすぐるは愛想なし(良寛)

「我仏 隣の宝 婿舅 天下の軍 人の善悪」とは、茶人・千利休の弟子・山上宗二の訓えである。人の集まる所では決して口にしてはならないものを並べたもので、いわば茶道の教えの一つである。この宗二の教えと同じ様に、人との付き合いの中での「戒め」を分かり易く教えたのが大愚良寛の「良寛戒語(九十戒)」だ。

 それを端折って書いてみよう。「言葉の多き・話の長き・表裏口・負け惜しみ・返らぬことを幾度も言う・人のことばを笑う・客の前に人を叱る・人を隔つることを言う・人の恥かくことを言う・人を嫉むことを言う・おれがこうした、こうした・もの言いのくどき・差し出口・手柄話・自慢話・減らず口・話の腰をおる・たやすく約束する・親切気にもの言う・酒に酔いてことわりを言う・己が氏素姓の高きを人に語る・人を敬いすぎる・神仏のことを軽々しく沙汰する・軽はずみにもの言う・さしたることもなきことを細々と言う・返事を聞こうとするはむつかし・人を侮ること・己の意地を言い通す・よく物の講釈をしたがる・田舎ものの江戸ことば・よく知らぬことを憚りなく言う・人の寝てからの大話・悟り臭き話・学者臭き話・茶人臭き話・言うこと言わぬ・くれると言うてくれぬ・あくびとともに念仏・・・」などなど。

 右翼人に多いのは「おれがこうした、こうした」。教育勅語には「恭倹己を持し」と、人に対してはうやうやしく、自分自身は慎み深く振る舞いなさいと教えているが、「おれがこうした、こうした」とか、自慢話が多いこと多いこと(笑)

「あゝ致しました、こう致しました、ましたましたのあまり重なる」「言い足らぬことは又つぎても言うべし」「言うたことは再び返らず」「ことばの過ぐるは愛想なし」。嫁に行く人に与えた戒語には、「ゲラゲラ笑い、ふくれ面、無駄口など固く止めなさい」と訓える。どうだろう、各各感ずるものがあるだろう。

 良寛和尚は、「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候」とも訓える。災難に遭ってしまうことは誰でもあることだが、その災難が何処でいつ起きるかは誰もが分からない。

 起こってしまった災難を取り消すことは出来ないし、その災難に一々慌てふためいたりしてしまうと、過った対処をして災難を大きくしてしまうこともある。

 小さなことで慌てたり驚いたりしていたのでは、心の中で災難が大きくなってしまい、いざという時には冷静な判断は出来ないだろう。起こってしまった不幸には、「こういう時もある」と受け容れて、それを教訓にすることこそ大事なことだ。

 人間、成るようにしかならないものだ。良寛は70歳にして若くて美しい貞心尼と巡り逢い、純真な恋をしたという。「ロリコンだったのでは」という悪口も聞くが、その貞心尼に看取られながら亡くなった。辞世の句は「散る桜 残る桜も 散る桜」。

「もの言いのくどき」という戒めがあるが、「もの言い」とは「老人」という意味でもある。70にもなった良寛が若い尼僧を口説くというのは「オイッ!」とツッコみたくもなるが、「戒語」というのは自分自身に対する戒めというのを理解する。

 偉人の訓戒というのはその人の実体験でもある。例えば、少年の頃には手の付けられない不良だったという水戸光圀公は、18歳の時に司馬遷の「史記」を読み、学問と修養に励む出す。史記に負けない歴史書を作ろうと志を立てたという。

 光圀公の教えの一つに、「欲と色と酒を敵と知るべし」というのがある。酒を飲まない人や、欲の無い人が、こういうことは記さない。あの天下の副将軍でもある黄門様でさえ、若い時分には女と酒に溺れ、失敗を経験したのがよく分かる。

 宮本武蔵の「独行道」には、「如何なる別れも悲しまじ」という項目がある。こうした戒めは武蔵が冷血ならば、こんなことは敢えて書かない。武蔵というのは人一倍涙脆く、人情深い故に感情を表に現さない様に修行を積んだのだろう。

 自戒するのも好いが、失敗を自ら経験しなきゃその意味は分からない。失敗を警戒し過ぎると人は、器までこじんまりしてしまうので御注意為れたい。呵呵。

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cordial8317 at 06:40│Comments(1)

この記事へのコメント

1. Posted by 雪   2013年12月12日 18:34
5 耳が痛い言葉ばかりでした。
!Σ( ̄□ ̄;)
でも、最後の一言で救われました。
( 〃▽〃)

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