国賊小沢一郎が結党100年の中国共産党へ祝意を示し忠誠を誓う「友よ山河を滅ぼす勿れ」というスローガンを掲げ反原発を訴えてるが

2021年07月05日

小泉純一郎の「脱原発論」は安っぽいセンチメンタリズム

 脱原発をライフワークとする小泉純一郎は、全国を講演して聴衆をオルグする。倉吉市内での講演で「原発ゼロでも停電しないことが証明されている。核のごみの処分場も無いのになぜ動かそうとするのか」と政府や電力会社の姿勢を批判し、再生可能エネルギーの導入を強く推し進めるべきとの持論を展開した。

「ひとたび事故が起きれば古里がなくなる。それを目の当たりにしても原発を諦めず、過ちを改めようとしないのは不思議でしょうがない」と強調しているが、故郷が無くなったと騒いでるのは自称被災者ばかりで、多くは故郷に戻り頑張っている。

「再生可能エネルギーの導入を強く推し進めるべき」というが、静岡県熱海市の土石流事故は再生可能エネルギー政策の危険性を露わにした。また、再生可能エネルギーの方が賦課金など国民負担は大きいのに、それらには何故か口を噤んでる。

 小泉が脱原発に傾いたのは、放射性廃棄物の最処分場が確保されていないというのが最大の理由だが、こうした重要な問題を放置し続けて来た責任は自民党や小泉ら歴代首相に在る。そういうことを無視し、今更ながら他人事の様に「即ゼロがイイ」などと煽動していることこそ無責任の極みではあるまいか。

 安倍政権下で「脱原発」を政治決断する様に迫ったが菅政権下でも同じ。「政治が原発ゼロの方針を出せば、必ず智恵のある人が良い方針を出す。専門家の知恵を借り、その結果を尊重して進めるべきだ」と小泉節で尤もらしく訴える。

 だが、その「必ず知恵のある人が・・・」という言い方こそ具体性に欠ける無責任な発言そのものではないのか。「(原発費用を)代替エネルギーに費用を回した方が、エネルギー源が開発される」というのも具体性に欠ける夢物語に過ぎない。

 新規原発の増設が不可能な中で、将来的に「原発ゼロ」に向うのは誰にでも分かる。だが、世界の流れは原発推進であり、中共や韓国などは増設している。

 国内では「脱原発」「反原発」運動が盛んだが、原発事故当時、世界に在った400基の原発は2020年には倍の800基になった。我が国だけが原発を捨てるというのは余りにも危険だ。小泉の狙いは再生可能エネルギー推進という我田引水である。

 小泉は「稼働原発がゼロだった13~15年も電力が安定供給された」として水力や太陽光、風力を中心とする電源構成に転換すべきだと強調してるが、現実は90%が火力発電によって賄われた。こうした事実に触れないことにも違和感を覚える。

 このまま原発依存から脱却し、化石燃料への依存度が高いまま推移した場合に様々な弊害が出て来ることは火を見るより明らか。例えば、万が一原油輸入のシーレーンを封鎖された場合、福島第一原発事故以上のパニックが起きるのは必至だ。

 我が国は四辺を海に囲まれた島国であり、1970年代に起きたオイルショックの経験から産油国との外交関係の重要性、そしてシーレーンの安定化が不可欠と感じた我が国は外洋に伸びるシーレーン千海里防衛構想を策定したのは当然のこと。

 国内経済にしても、多くを海上交易に依存している我が国の輸入依存度の高さは石油が99.8%、石炭98.4%、天然ガス(LNG)796.6%、原子力(ウラン)に至っては100%を依存していることでも分かるだろう。輸出も同様である。

 こうしたことからも、海洋国家としてシーレーン防衛の重要性が認識され、海上自衛隊は「対潜水艦戦」や「対機雷戦」に重点を置き訓練を行っている。

 現在もイランの核開発によるホルムズ海峡の危機や、中共の覇権主義によって南シナ海や東シナ海、そして尖閣列島などが脅かされているが、適切な海上権益を確保し、マラッカ海峡から日本までのシーレーンの安全を確保することが重要だ。

 米軍と協力して千海里防衛は当然ながら、太平洋~インド洋地域、南シナ海、東シナ海のシーレーンの防衛体制を確立することが大事であり、それが結果的には中東等での事態発生に対する抑止力となり、中共の野望も阻止可能となる。

「脱原発」の流れで原発を廃炉にすることより、シーレーンの防衛こそ真剣に考えなければならないのだが、小泉や反原発派からは全くそんな声は聞かれない。

 原発を再稼働しない場合の代替のエネルギーが、太陽光や風力といった不安定な電力供給で国力を維持出来るとは思えない。太陽光発電は夜間や雨天、曇天では効果は少ないし、風力は風が吹かなければどうにもならないのは分かってるだろうに。

 その点、原発というのは「プルサーマル」や「高速増殖炉」も並行して実用化出来れば、化石燃料に依存しなくてもかなりのエネルギーは自国で賄えることになる。

「脱原発」の理想は分からなくもないが、それよりも現存する原発の安全対策を盤石に施し、核リサイクルなどの技術開発研究こそが喫緊の課題ではないのか。もう少し、日本の技術力というものを信じ、期待しても好いのではあるまいか。

「エネルギー供給の危機」をクリアした上で、太陽光や水力、火力、風力、或いはメタンハイドレートへの投資や、蓄電の技術開発に多額の資金を投じれば、将来的な脱原発への道が開かれるだろうが、実際には実現するにしても相当先の話。

 将来的に原発依存からの脱却を図るなら、安定的供給可能な新エネルギーや蓄電技術などへの莫大な投資が伴う。小泉は「原発はコストが安いと言っていたのはウソだった」と訴えてるが、再生可能エネルギーの国民負担は小さくない。

 太陽光や風力による発電は安価で、家庭に安く提供出来るということだったが、今や一般家庭の「再エネ発電賦課金」の負担金は2兆円を優に超える。

 国はこうした現実を無視して2030年度には発電全体の22~24%を再生可能エネルギーで賄うことを目標に掲げている。小泉はその急先鋒というか露払い。

 政府の目標達成の為には、多くの企業に磯部地区のメガソーラー発電所の様な施設を乱立させるしかない。つまりは、太陽光パネルが増設されればされるほど一般家庭への「再エネ発電賦課金」という負担金は殖え続けるということでもある。

 今や反原発派の主役として破壊活動に躍起な小泉純一郎だが、その発言は相変わらず中身の無い安っぽいセンチメンタルリズムと政治家時代の不作為の責任放棄。そこに再生可能エネルギーの利権が絡む。この軽薄さを嗤わずにはいられない。

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cordial8317 at 05:09│Comments(0)

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