2023年01月10日
稽古とは一より習い十を知り十よりかへるもとのその一(千利休)
「稽古」の「稽」とは「考える」という意味があり、「稽古」とは「古の道を考える」こと。古書を紐解いて古人の教えを学ぶということが「稽古」の神髄である。
茶人である千利休は「稽古」の何たるかを、「稽古とは一より習い十を知り十よりかへるもとのその一」と喝破している。稽古というのは、初めて「一」を習う時と、「十」まで習い元の「一」に戻って再び一を習う時とでは全く変わっているもの。「十まで習ったからこれでよい」と思った人の進歩はそれで止まってしまう。
「十」より「一」に帰らなければ、その真意を掴むことは出来ないとの教えだ。稽古に稽古を重ねて、全てを知り尽くしたつもりでいてもそれで満足すればそれまで。「もとのその一」や「初心忘れるべからず」こそが稽古する上で重要となる。
こうした稽古という教えは、別に茶道や武道に限った教えではなく、勉強する上でもスポーツ全般での繰り返して学ぶことで確りと身に付くものでもある。街頭演説やブログやなども同じで、何回も繰り返すことで強固な思想となって行くのだ。
千利休は豊臣秀吉の逆鱗に触れて死罪となったことは有名であるが、利休の弟子であった山上宗二も、やはり秀吉の怒りに触れて追放された後に悲惨な死を遂げている。宗二が秀吉に向かって、「我仏(わがほとけ)、隣の宝、婿舅、天下の軍(いくさ)、人の善悪(よしあし)」との言葉を二度繰り返したのが原因だった。
この宗二の投げかけた言葉の意味は何かというと、「人の集まるところでは口にしてはならぬ話題」で、自分の宗派や他所の家の事、嫁や舅の悪口や自慢話、相手の批判や評判など、茶道に於ける厳しい約束事の一つでもある。諫言するに当って、死罪も厭しがることもなくその罰をも諒とする宗二の覚悟と潔さは凡人には分かるまい。
諫言とは斯く在るべきであり、相手を批判し、苦言を呈するのも慈悲の心とも言えなくもないが、己の発した言葉にもまた責任と覚悟が必要だということだ。
千利休や山上宗二ら茶人というのは反骨精神に溢れた人物が多い。茶道の「一期一会」との覚悟こそがそうさせるだろう。「一期一会」とは、「この年、この月、この日の茶事は生涯この一度限り」であり、この覚悟こそが茶湯の根本でもある。
「一期一会」という言葉は知っていても、本当の意味も、その言葉に込められた厳しい覚悟というものも理解している人は殆ど少ないのではなかろうか。
井伊直弼が記したとされる「茶湯一会集」に、「抑茶湯の交会は一期一会といひてたとへば幾度おなじ主客交会するとも今日の会にふたたびかへらざる事を思へば実に我一世一度の会なり 去るにより主人は万事に心を配り聊かも麁末(そまつ)なきやう深切実意を尽し客にも比会に又逢へがたき事を弁え亭主の趣向何一つおろかならるを感心し実意を以て交るべきなり 是を一期一会という」との件がある。
要は、今の一瞬は「一生涯で一度限り」と覚悟して事に臨めという教えである。野村秋介もまた「美は一度限り」と言った。これは正に「一期一会」と通ずる覚悟であり、野村秋介の峻烈な生き様の淵源はこうした処に在るのではなかろうか。
こうした偉人の斯くも厳しい覚悟を持つことは凡人の愚生には到底無理な話しだが、せめて人生意気に感じ、人との出会い、邂逅を大切に生きて行こうと思う。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
茶人である千利休は「稽古」の何たるかを、「稽古とは一より習い十を知り十よりかへるもとのその一」と喝破している。稽古というのは、初めて「一」を習う時と、「十」まで習い元の「一」に戻って再び一を習う時とでは全く変わっているもの。「十まで習ったからこれでよい」と思った人の進歩はそれで止まってしまう。
「十」より「一」に帰らなければ、その真意を掴むことは出来ないとの教えだ。稽古に稽古を重ねて、全てを知り尽くしたつもりでいてもそれで満足すればそれまで。「もとのその一」や「初心忘れるべからず」こそが稽古する上で重要となる。
こうした稽古という教えは、別に茶道や武道に限った教えではなく、勉強する上でもスポーツ全般での繰り返して学ぶことで確りと身に付くものでもある。街頭演説やブログやなども同じで、何回も繰り返すことで強固な思想となって行くのだ。
千利休は豊臣秀吉の逆鱗に触れて死罪となったことは有名であるが、利休の弟子であった山上宗二も、やはり秀吉の怒りに触れて追放された後に悲惨な死を遂げている。宗二が秀吉に向かって、「我仏(わがほとけ)、隣の宝、婿舅、天下の軍(いくさ)、人の善悪(よしあし)」との言葉を二度繰り返したのが原因だった。
この宗二の投げかけた言葉の意味は何かというと、「人の集まるところでは口にしてはならぬ話題」で、自分の宗派や他所の家の事、嫁や舅の悪口や自慢話、相手の批判や評判など、茶道に於ける厳しい約束事の一つでもある。諫言するに当って、死罪も厭しがることもなくその罰をも諒とする宗二の覚悟と潔さは凡人には分かるまい。
諫言とは斯く在るべきであり、相手を批判し、苦言を呈するのも慈悲の心とも言えなくもないが、己の発した言葉にもまた責任と覚悟が必要だということだ。
千利休や山上宗二ら茶人というのは反骨精神に溢れた人物が多い。茶道の「一期一会」との覚悟こそがそうさせるだろう。「一期一会」とは、「この年、この月、この日の茶事は生涯この一度限り」であり、この覚悟こそが茶湯の根本でもある。
「一期一会」という言葉は知っていても、本当の意味も、その言葉に込められた厳しい覚悟というものも理解している人は殆ど少ないのではなかろうか。
井伊直弼が記したとされる「茶湯一会集」に、「抑茶湯の交会は一期一会といひてたとへば幾度おなじ主客交会するとも今日の会にふたたびかへらざる事を思へば実に我一世一度の会なり 去るにより主人は万事に心を配り聊かも麁末(そまつ)なきやう深切実意を尽し客にも比会に又逢へがたき事を弁え亭主の趣向何一つおろかならるを感心し実意を以て交るべきなり 是を一期一会という」との件がある。
要は、今の一瞬は「一生涯で一度限り」と覚悟して事に臨めという教えである。野村秋介もまた「美は一度限り」と言った。これは正に「一期一会」と通ずる覚悟であり、野村秋介の峻烈な生き様の淵源はこうした処に在るのではなかろうか。
こうした偉人の斯くも厳しい覚悟を持つことは凡人の愚生には到底無理な話しだが、せめて人生意気に感じ、人との出会い、邂逅を大切に生きて行こうと思う。
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cordial8317 at 07:04│Comments(0)
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