奉祝・紀元節。建国を偲び、国を愛する心を涵養する日に思う君子は独りを慎むというが愚生の場合「小人閑居して不善を成す」か(笑)

2024年02月16日

男子たるもの厨房に入るべからずどころか進んで厨房に這入るべし!

「愚妻の弁当や料理は愚生の担当」などというとビックリされる。亭主関白に見えるらしいが、山の神には逆らえないというか逆らわない。やることもやってないし、小遣いも月に1万円しかやらないのに偉そうにしてたらブッ飛ばされるし(笑)

 中学時代、「前略おふくろ様」に憧れて、和食料理人を目指そうと思ったこともあるし、料理は好きだから苦にはならない。ストレス解消にもなり、その日の気分で何でもあり。冷蔵庫の残りものとかの簡単料理ばかりだが、何より作ってて愉しい。

「門前の小僧習わぬ経を読む」ではないが、食堂の子倅として育ったので味覚は確りしてると思う。得意料理は中華で、下手な中華屋より美味しいと自負してる。

 付き合っていく上で味覚というのは大事な価値観でもある。同じ料理を食べて互いに「うん、美味いなぁ」となればホンモノの関係だろう。何もこうした関係は夫婦に限らない。友人関係でも、同じ様に感じればそれは相性の好い印しと言える。

 料理の他にも、風景にしろ、同じ感動があるならそれは最高の相性と言える。だが、そこに政治や思想や宗教とかが絡んで来るとややこしくなるが(笑)

 閑話休題。昔は「男子厨房に入るべからず」だとか「男は台所へ首を突っ込むものではない」と聞いたものだが、誰がこんなことを言い始めたのだろう。やはり、男性社会日本の陋習とも言えなくもない。そりゃフェミニストらが騒ぐわな(笑)

「家庭料理は女性が作るもの」というのは単なる固定観念。男性が外で働き、女性が家を護る時代ならそんなこともあるのだろうが、「男子厨房に入るべからず」とは、家庭を預かる主婦の亭主への思いやりから出でた言葉ではなかろうか。

 織田信長にしろ豊臣秀吉にしろ、加藤清正や伊達政宗でも、戦国時代の一流の男達はみんな台所へ首を突っ込んでいる。愚生の好きな「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵や「剣客商売」の秋山小兵衛にしても料理を彼是と指南するシーンは多い。

 自分で包丁を持たなくても、きっちり女房に指示するのが亭主の責任でもある。偉そうにしているのもそれはそれで好いが、それでいて「これが不味い」「あれじゃダメだ」というのは、つまりは自ら甲斐性が無いと言っている様なものだ。

「馳走」とは、来客に食事などを振る舞って心から持て成すことをいうが、食材を選りすぐり、調達して、心を込めて料理をして相手を楽しませること。そういう意味では、料理を女房任せにするというのは持て成す側の心構えが乏しいと言える。

 寺院には「典座(てんぞ)」という僧がいる。多くの僧の床座や食事などの雑事を司る役僧で、今では食事係の僧のことを「典座」という様になったという。

 日本曹洞宗の開祖である道元の教えの一つに、「喜心老心大心(きしんろうしんだいしん)」というのがある。「喜心」とは、その名の通り喜ぶ心のことであり、料理する喜びや、食べてくれる人の笑顔に喜びを感じる心などのことだ。

「老心」は、子供を想う親の心で接しなさいという戒めで、「大心」というのは偏りのない広い心を持ち、謙虚にして初心忘れるべからずという意。この「喜心老心大心」の教えは料理人ならば絶対不可欠なものだが、横柄な店も少なくない。

 亭主というのは、ある意味で「典座」の僧の様であらねばならない。亭主関白ぶって自ら台所に立たずとも、客が来たなら「典座」の心で客を持て成し、また、毎日料理をしてくれる女房にも感謝することは忘れてはならないということだ。

 日々こういう心構えでいれば「男女共同参画社会」なんてのは要らないし、SDGsや補助金目当ての無駄な予算を廃止して少子化対策や国防費の充実に充てよ。

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cordial8317 at 07:09│Comments(0)

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