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2013年10月08日

読書の心得事三箇条。「崇拝」「反抗」「衒学」

 滅多にテレビは見ないが、愚妻が録ってる番組は時々見る。先日、明石家さんまが司会の「ほんまでっか」で何処かの大学教授がいいことを言っていた。

「読書の秋」という訳ではないが、日頃から本を読む機会が多いが、この教授曰く「本を読む際に気をつけなければならない心得事が3つある」という。

 1つ目は「崇拝」
 2つ目は「反抗」
 3つ目は「衒学(げんがく)」である。

 1番目の「崇拝」というのは、自分が尊敬している先生や著者の本は、書いてある事が全て正しいと思いがちだが、信じ込み過ぎないことが大事。

 2番目の「反抗」というのは、自分が嫌いな考えの人物や著者の本は、初めから粗を探そうと読んでしまいがちだが、揚げ足を取ろうとして読まないことが大事。

 3番目の「衒学」というのは、自分の学識・博識を、見せびらかすつもりで読まないようにすること。

 新渡戸稲造の「武士道」にも書いてあるが、武士道で一番嫌われることはこの「衒学」。武士は決してひけらかす様なことをしてはならない。

 この3つの心得事に共通している事は、 「本は先入観を持って読書をしない方が良い」ということ。「バカの壁」なんてのがベストセラーになったが、要はアレと同じ。始めから固定観念で考えてはダメということ。何の為の読書なのだろう。

 安倍さんを信じきってる人や宗教に嵌る人、或いは自虐史観に陥ってる人やその逆の考えに凝り固まってる人、或いは聞き齧った言葉を然も自分の言葉の様に周辺にひけらかしている人はいませんか。愚生の場合もそう思えば無きにしも非ず(笑)

「小人の学は耳より入りて口より出ず」とか、「言いたがり屋は聞き齧り屋」ともいうが愚生にはチョッと実に耳の痛い話でもある。でも言いたがりというのは、言うこと(教えること)が実は教えられているという一面があるのも確かだろう。

 学ぶということは他人を説得したり論破する為のものではなく、自分自身の人格向上や、どう生きて行くかという答えを見出せる為のものではなくてはならない。

 ネットやSNSでは仲間にしか通用しない請け売りの理論や付け焼刃の知識を、然も斬新な言葉や理論であるかの様に自分自身に酔ってる輩を見掛けるが、そんな衒学臭い理論では世の中どころか仲間でさえも感化させることは出来ない。

 人間関係も同じ様なもので、崇拝し過ぎたり、訝しがってばかりいたりしてもダメ。或いは自慢話ばかしてると嫌われる。外見や肩書など、先入観や固定観念を無くして付き合う方が相手のことがよく見えることがあるのは確かだろう。

 愚生に言わせて貰えれば、読書は雑駁に、ジャンルを問わず、スケベなものから難しい哲学書に至るまで幅広く読むのが好い。一つのものを突き詰めて調べるのは学者に任せて、広く浅く、よく言えば「浅学菲才」っていう響きが好きだ。

 愚生の場合、雑駁に目を通し、色々な情報や知識を浅い乍らも幅広く得ていると自負しているので、どんな人ともどんな話題でも対応出来る自信はある。まぁ、それでもどちらかといえば「読書の秋」より「食欲の秋」が好いですが。呵呵。

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cordial8317 at 10:46│Comments(0)

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