アメリカは日本の番犬だったが、その番犬も・・・9泊10日の旅は無事に帰還しました。邂逅に感謝します♪

2013年09月09日

2週間ほど愛を求め放浪の旅に出掛けて来ます。呵呵

「人間の財産というものは、いざと言う時に自分を支えてくれる人は勿論のこと、各自が目指す目標実現の為の知恵袋でもある」という言葉が在る。愚生も右翼浪人を気取り、日々の生活にも汲汲してはいるがその実は乞食の様なものだ。

 そんな中でも理解者や支援者、友人・知人に巡り会えたことは、在り来たりの人生を送っているサラリーマンよりは恵まれてるのだろうとは自覚している。

 右翼団体を辞して数年が経つが、右翼人浪人としてこの儘で果たして好いのかと日々自問自答する日が続く。活動家として実に隔靴掻痒の感は否めない。

 今から20年ほど前、今は亡き右翼浪人の横山武彦と、約1ヶ月かけて全国行脚の旅をした。その旅はそれまでの右翼人生が変わるきっかけにもなった。

 旅に深い目的など無かった。やることもないし、ならばボーっとしてないで、行き当たりばったりの放浪の旅にでも出るかくらいの気楽なもので、目的地は鹿児島県知覧の「特攻平和記念館」。知覧には出発して一週間後に到着した。

 旅をした横山とは歳が20歳も違ったが妙に馬が合った。横山に初めて会ったのは防挺時代で、愚生が入隊した頃で、横山は副隊長だった。それを考えれば、「縁は異なもの味なもの」とはよく言ったもので、人生とは実に面白いものだと思う。

 愚生が入隊してから数年後に、諸事情で横山が防挺を離れて、故郷の天草に蟄居した。それから何年経ったのだろう、郡山で横山と邂逅することになった。

 爾来、横山との痛飲は言うに及ばず、色々と行動を共にした。だが、酒好きが祟って数年前に体調を崩して幽冥境を異にした。破天荒な右翼であり、究極の反面教師だった横山が寂してしまったことは愚生にとって返す返すも無念なことだった。

 その横山との旅は愉しいものだった。別段、「右翼とはなんぞや」だとか、政治の話をする訳でもないのだが、一緒に行動することで何かを吸収したのは違いない。

 この旅によって、愚生の心の師となる高花豊先生と邂逅し、高花先生から右翼人としての貴重な30代から50歳まで、物心両面で支えて頂いたことは財産である。

 横山との邂逅と全国行脚の旅が無ければ、高花先生との出会いも無かった訳で、人生とは正に「邂逅の一言に尽きる」ということを甚く痛感したものだ。

 自由気儘に歩き回りることが禁止されていた幕藩体制下に「横議横行」を勧め、下級武士らに「脱藩せよ!」と叫んだのが吉田松陰だ。松陰は「一君万民論」を唱え、近代国民国家を志向した魁であり、そこから「草莽屈起論」を導いた。

 つまり、「天皇=一君」と「国民(臣民)」という関係を構築する為に封建制度を打破すべく脱藩し、一草莽たれと訴えたのである。その結果、松陰の意を汲んだ下級武士らが脱藩し、明治維新を実現させたと言っても過言ではないだろう。

「横議横行」とは、辞書には「勝手に論ずる」とか「勝手気儘に歩く」という意味だと書かれてあるが、それを実践した人物の筆頭は坂本竜馬や吉田松陰であろう。

 龍馬にしろ松陰にしろ、時代の寵児として活躍した人物の共通の特徴は、発する「言葉」が違うことだ。結局のところ、大衆の心を引き付けるのは「言葉」を以て他に無く、竜馬や松陰は正に「言葉の達人」だったと言えるだろう。

 武器商人でもあった龍馬が幕閣とも勤王の志士とも通じ、後には薩長連合の仕掛け人として、明治維新を豪腕で引き寄せた立役者足り得たのは、説得の技術、つまりは言葉の豊かさに拠るものだったと言って好いのではなかろうか。

 更にもう一つは、彼らは「歩く人」だったことだ。交通の不便だった時代に、実に驚く距離を行き来した。こうしたことでも分かる様に、放浪の旅や、家を飛び出して多くの人と顔を突き合わせ、「横議横行」することは大切なことなのだ。

「旅の恥はかき捨て」とか、それとも「袖摺り合うも多生の縁」だとかいうが、土地土地で知り合った方々と酒を酌み交わし、喧々諤々の議論をするくらい愉しいものはないし、それこそが横議横行の極意なのではなかろうか。

 そんな訳で、天草に眠る横山を偲び、全国各地の友人・知人らと痛飲し、愚生の右翼浪人としての中途半端な生き方を見つめ直す為に、2週間ほど旅に出ます。

 旅といっても、バックパッカーとしての放浪の旅で、移動するのもバスと電車と徒歩で行くつもりでいる。予算も乏しいので出来る限り野宿したいと思ってるが、車じゃないし、野営する場所を確保するにしても大変そうだ。

 放浪の旅に出るなどというと、周りからは「羨ましい」という声が聞こえて来る。「ならば一緒にどうよ!」というと、「時間がない」だとか「カネが・・・」という応えが返ってくる。要は「羨ましい」というのは空々しい言葉だと思う。

 そりゃそうだろう、今どき一週間も家を空けたら女房には叱られるだろうし、仕事をしてるなら会社はクビになり影響が出るだろうし、何よりカネがかかる。

 不如意の折り、経費の捻出も容易ではなかったというのが正直なところ。気楽な旅をしてるほど余裕がある訳でもないが、必要な時間とか必要なお金というのは、「何としてでも作ってやろう」という強い気持ちが無いと中々出来るものではない。

「カネが出来たらやろう」とか「時間が出来たら・・・」とか「いつかは」なんて言ってる様じゃ、旅どころかどんなことでも実行出来ることはないだろう。

 そういう意味では、どうしても欲しいものがあるのなら買ってしまえば好いし、思いっきり行動してしまえば、カネなんて後で何とかなるものなのだ。

 やらないで後悔するよりやって失敗し後悔する方がずっと本人の為になるし、失敗することで何か得られるものがあるだろう。そんな訳で明後日未明に旅に出ます。

 鹿児島の知覧や鹿屋、万世の特攻基地を巡り、英霊の鎮魂と感謝の誠を捧げ、残り僅かであろう人生に加護を給わらんことを祈願し、体力と気力、何より資金が続く限り、全国を彷徨って来ます。そんな事情の為、このブログを以て暫く休止致します。

※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。

《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。

cordial8317 at 06:30│Comments(4)

この記事へのコメント

4. Posted by 一大学教師   2013年09月10日 20:52
5 小生は医学部の教員をしています。講義の中で必ず彼らに説くことが、まさに貴殿がおっしゃっていることだったのです:『人は死ぬときやったことではなく、やらなかったことを多く後悔します。また、「いつかやる、、、」といっている人間がまず実際にやることはありません。みなさん、やるのは”今このとき、この刹那”しかないのです。貴君らの責務は学問することにある。医学部の6年間、しっかりと学究に精進されんことを、私は大いに期待します。以上!』。貴殿の本実践にもとづく信念が、私の胸襟に響いたので、初めてですがコメントいたしました。どうぞ有意義な右翼浪人としてのお旅をご堪能ください!末筆ながら、私が心の師、西晋一郎先生のお言葉をもって、末筆とします:

我が民族の将来と国家の前途を思うは人間の最も真剣なる感情であり、君国に忠、親に孝なるは最も現実なる道徳である。之を離れては人類愛も世界的正義も空想に過ぎない(西晋一郎先生)
3. Posted by 雪   2013年09月09日 22:41
五郎さんの言葉に、ハッとさせられました。

今の所、放浪の旅は真似できませんが、行動力や金銭、また新たに考え直そうと思います。

暫くブログをお休みするとの事で、かなり残念ですが、放浪の旅を終えた五郎さんのブログ、期待して待ってます。

お体に気をつけて。行ってらっしゃいませ!
2. Posted by 求道者   2013年09月09日 18:56
旅の無事を祈念致します。
ところで
渾身のノンフイクションブログですが、

「閲覧は郡山市民限定!」と書いてありますと

ついつい、読みたくなってしまうのが人間の心理なんですね・・・

父方の実家は千葉の木更津市でした。
昭和の終わりごろに帰りますと、県議も市議もポスターの笑みが怖すぎ、
異様というか特異な雰囲気を放っていたものです。

やはり地方議会はどこも同じなのでしょうか
(千葉は故浜田幸一大先生の地元で、金権王国として全国でも酷さが度を越していましたが)

では再開を心待ちにしております。
1. Posted by 台湾も日本ですう   2013年09月09日 08:34
臺灣にも是非。最後の大日本帝国が復活しつつありますぜ。特に台南がお勧め。孔子廟の隣の武徳殿、いいっすよ~

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