2023年07月17日
「海の日」の謂れを知っているだろうか・・・
今日は「海の日」だが、本来は7月20日でなければならない。何故に7月20日かと言えば、明治9年、東北・北海道へ約50日に及ぶ巡幸に臨まれた明治天皇が横浜に帰港されたのが7月20日。この日に因んだ記念日が「海の日」である。
東北巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を慰撫し激励する為に他ならない。 出発は6月2日、横浜港を出港した明治丸がいわき港へ入港。磐城から馬車で郡山(安積)から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。
東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。 明治天皇は各地で開墾や産業振興に尽くした功労者を労らわれている。郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金5万円を下賜されたという逸話が残る。明治天皇が休息した場所は「開成館」として保存されている。
弘前漢英学校から「東奥義塾」となった私学では、外国人教師に拠る英語教育が行われていて生徒10名が英語を披露した。天皇はその進取の気象に感心されて、「ウェブスター辞書を買う代金に」と生徒一人につき金5円を与えられたという。
またと或る地では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納されている。岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着を御買い上げ遊ばされた。東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。
戊辰戦争で西軍に負け、明治新政府より「朝敵」「逆賊」に仕立てられた東軍の会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。
明治天皇の東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、戊辰戦争での一切の蟠りも無くなったのだ。だが、長州閥の明治新政府は東軍の死者を靖國神社に祀ることなく、幕末から明治新政府樹立後の不正義と不条理を糺すことはしなかった。
青森港から「明治丸」に御乗船遊ばされた明治天皇は函館を経由し、太平洋沿岸を通り横浜に帰港された。その日が7月20日であり、この日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。ハッピーマンデーは日本人の精神的貧困の現れである。
東日本大震災と福島第一原発事故に疲弊する我々東北人にとって「海の日」は、被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い祝日でもあるのだ。
我が国の祝日は天皇や神道に謂れのある記念日が多い。左翼陣営の謀った「ハッピーマンデー」なる制度に因って祝日の意味が薄れて行くのは実にもどかしい。
「ハッピーマンデー」の目的は国體破壊である。左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることに因って、我が国の歴史や伝統、文化を否定する論拠とするのだ。この愚策に、自民党や保守を標榜する政治家が同調して来たのは実に御粗末過ぎる。
国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は「勤労感謝の日(新嘗祭)」と「建国記念日(紀元節)」であり、その祝祭日を「ハッピーマンデー」に組み入れること。国民も、「連休が好い」などと安易な動機で祝日を語ることがあってはならない。
我が国の祝日には夫夫意味が在りこれほど国柄の分かるものはない。 GHQが我が国の歴史伝統文化を否定することから始まった現在の「祝日法」を、本来の在るべき姿に戻すことは喫緊の課題だ。 「ハッピーマンデー」は百害有って一利無し!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
東北巡幸の目的は、戊辰戦争に敗れて以降、艱難辛苦の日々を送っていた人々を慰撫し激励する為に他ならない。 出発は6月2日、横浜港を出港した明治丸がいわき港へ入港。磐城から馬車で郡山(安積)から仙台、岩手、青森と北上、次いで明治丸で津軽海峡を渡り、函館を経て三陸沖を海路戻るというコースを辿っている。
東北の人々は巡幸の先々で奉迎した。 明治天皇は各地で開墾や産業振興に尽くした功労者を労らわれている。郡山(安積)では、荒野を拓いて出来たばかりの桑野村まで分け入り、開拓者の苦労話に耳を傾けられ、金5万円を下賜されたという逸話が残る。明治天皇が休息した場所は「開成館」として保存されている。
弘前漢英学校から「東奥義塾」となった私学では、外国人教師に拠る英語教育が行われていて生徒10名が英語を披露した。天皇はその進取の気象に感心されて、「ウェブスター辞書を買う代金に」と生徒一人につき金5円を与えられたという。
またと或る地では、小学生が献上してくれた蛍一籠を嘉納されている。岩手では太布半纏(ふとのばんてん)と呼ばれる農民の仕事着を御買い上げ遊ばされた。東北の人々との間に親しく絆を結ぼうと努める明治天皇の面影が偲ばれる。
戊辰戦争で西軍に負け、明治新政府より「朝敵」「逆賊」に仕立てられた東軍の会津藩は、不毛の領地「斗南藩」に移されることで終結する。開拓は艱難辛苦を極めたが、その開拓がその後の津軽、青森の発展に寄与したことは言うまでもない。
明治天皇の東北・北海道の巡幸を以て、逆賊も朝敵もなく、戊辰戦争での一切の蟠りも無くなったのだ。だが、長州閥の明治新政府は東軍の死者を靖國神社に祀ることなく、幕末から明治新政府樹立後の不正義と不条理を糺すことはしなかった。
青森港から「明治丸」に御乗船遊ばされた明治天皇は函館を経由し、太平洋沿岸を通り横浜に帰港された。その日が7月20日であり、この日以外の「海の日」に何の意味が在るというのか。ハッピーマンデーは日本人の精神的貧困の現れである。
東日本大震災と福島第一原発事故に疲弊する我々東北人にとって「海の日」は、被災地に思いを寄せる今上陛下の大御心と通じる感慨深い祝日でもあるのだ。
我が国の祝日は天皇や神道に謂れのある記念日が多い。左翼陣営の謀った「ハッピーマンデー」なる制度に因って祝日の意味が薄れて行くのは実にもどかしい。
「ハッピーマンデー」の目的は国體破壊である。左翼陣営はこうした既成事実を積み重ねることに因って、我が国の歴史や伝統、文化を否定する論拠とするのだ。この愚策に、自民党や保守を標榜する政治家が同調して来たのは実に御粗末過ぎる。
国體破壊を目指す左翼陣営の最終目的は「勤労感謝の日(新嘗祭)」と「建国記念日(紀元節)」であり、その祝祭日を「ハッピーマンデー」に組み入れること。国民も、「連休が好い」などと安易な動機で祝日を語ることがあってはならない。
我が国の祝日には夫夫意味が在りこれほど国柄の分かるものはない。 GHQが我が国の歴史伝統文化を否定することから始まった現在の「祝日法」を、本来の在るべき姿に戻すことは喫緊の課題だ。 「ハッピーマンデー」は百害有って一利無し!
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
cordial8317 at 05:29│Comments(1)
この記事へのコメント
1. Posted by 常住不断 2013年07月16日 10:57
私もハッピーマンデーなるものには反対です。
文化をこんなに安売りする民族は見たことがありません。
文化=誇りです。
文化をこんなに安売りする民族は見たことがありません。
文化=誇りです。
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