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2013年07月03日

福島県いわき市の「じゃんがら念仏」と沖縄県の「エイサー」

 沖縄の住民は日本本土から南下した日本人と、ポリネシア系、台湾系、支那華南系とされている。明の時代に支那に入貢して、琉球国・中山王として冊封を受け、奄美大島から先の宮古・八重山までの領域を支配する中央集権国家を築いた。

 琉球王国が、日本へ使者を派遣するのは室町時代になってからで、徳川幕府の命令で島津藩が琉球に出兵し、奄美大島を直轄化したが、琉球はその後に支那大陸に誕生した清朝(清王朝)の冊封も受け、日本と清国との両属の立場を採った。

 徳川幕府が誕生した慶長8年(1603)、日本から一人の僧が大陸に渡った。その人物こそ袋中上人(たいちゅうしょうにん)である。上人は天文12(1552)年1月29日、磐城国に生まれ。寛永16(1639)年に京都・南山城で没した名僧である。

 上人の生涯は、阿弥陀佛に任せた念佛専修の生活であった。布教と著作に専念された在野の学僧でもあり、幼少から学問に秀でた子供であったという。

 浄土の道に入った後も熱心に勉学と修行に励み、人々から感服されたという。 慶長8年、上人51歳の時に渡明を決意する。然し、大陸に到着するも上陸を許されることはなく、琉球の那覇の沿岸に漂着する。 漂着した上人を取り調べた役人の中に後に「琉球の三大恩人」の1人となる儀間真常(ぎま・しんじょう)公がいる。

 儀間公は、上人の知見と人柄に魅せられ琉球王であった尚寧に引き合わせる。尚寧王は上人に深く帰依し、琉球王家系図尚寧王の部に上人を特記させる程だった。

 以後、上人は民衆の教化と児童の教育、産業の振興、浄土念仏の普及などに尽力し、「琉球神道記」の五巻を著した。 尚寧王と儀間公の篤い帰依を受けて、上人は琉球で浄土宗を布教し、王朝の人々は無論のこと民衆の中にも広まった。

 たった3年の滞在ながら上人の与えた影響は無量無辺というべきものだった。七五調の言葉に旋律を加え、そこに踊りを加えて、より分かり易い形で浄土念仏の真髄を琉球の人々に広めた。その元となったのは、上人の故郷である陸奥国磐城国(現福島県いわき市)で御盆の時期に踊られる「じゃんがら念仏踊り」であった。

 この「じゃんがら念仏踊り」と、沖縄の「エイサー」とは実によく似ている。似ているのは当たり前で、実はどちらも袋中上人が係わってるからである。

 踊りと歌を浄土の教えに乗せた小禄念仏こそが、現在の沖縄の誇る民俗芸能である「エイサー」であり、沖縄文化の象徴とも言えるものだが、発祥は福島県である。

 現在のエイサーは、よさこいソーランの様な現代的な踊りになってしまっているが、古いエイサーの歌詞には浄土宗らしく「南無阿弥陀仏」と唱えるものが多い。

 エイサーが、恰も支那からのものと思っている沖縄人も少なくないが、エイサーの成立に大きな影響を与えた袋中上人は福島県人であり、沖縄文化は大陸仏教の影響というより、こうした日本の名僧が与えた影響が大きいと言えよう。沖縄県と福島県が袋中上人を通じて繋がっていると思うと、実に感慨深いものがある。

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cordial8317 at 04:02│Comments(0)

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