「政治は三流、経済一流、官僚機構は超一流」と揶揄されたのも今や昔の話ノンフィクションブログ「汚れた顔の紳士達」より転載。〈郡山の経済界ってどうなのよ(嗤)〉

2013年04月11日

昔の偉人や英雄は極貧の中から生まれたものだ

 今朝の地元紙の、「読む・知る・学ぶE新聞」というページに、「争論・ゆとり教育見直し」という見出しで保守派の八木秀次と、「ゆとり教育」の生みの親で教育崩壊の元凶ともいうべき元文科省官僚の寺脇研の主張が載っている。 「争論」となっているし、写真からも対談方式かと思いきや各々の言い分を主張しているだけ。

 公正に取り上げてるつもりなのだろうが、二人の主張の間に共同通信編集委員がこう結論付ける。「時代にあった教育論」をと題して「愛国心や学力といった評価軸で教育を論じる。時代に合っていない」と暗に八木教授の主張や安倍内閣の実行しようとしている「週六日制」や「道徳教育」といった教育改革を否定する。

 安倍は前政権時代「教育基本法」の改正を行い、米国時代の教育制度からの脱却を目指した。現政権下でもやろうとしている教育改革の理想は間違っていない。

 生まれた国に誇りの持てない教育をいつまでも続けるつもりなのか。そういう意味でも「教科書検定制度」の見直しには大賛成だ。今朝の朝刊のこうしたページや、忘れた頃に何気に載る「週刊・こどもニュース」なんていうのもそうだが、赤旗新聞や朝日新聞と間違えてしまう様なコラムや主張が企画される。

 自らの偏狭な価値観や意見を垂れ流し悦に入ってるが、こうした世論誘導こそ国益を損ねるものない。こうしたことが成されてること自体、日本の新聞が未だに米国の自虐史観から脱却出来ない証左であるが、米国の占領政策から目覚めることのない左翼が文化人や有識者を気取り、米国の教えを忠実に守ってることは嗤うしかない。

 教育は国家の大本であり、教育を疎かにすることは国家の崩壊を招く最大要因となることは火を見るより明らかだろう。 寺脇の「ゆとり教育」の正当化は正に堅白同異の弁であり、米国の戦後民主主義教育擁護は実に醜いものだった。

「ゆとり教育」に批判が多いことを素直に認めた上で、教育崩壊の原因は何だったのかを冷静に論じるべきだろう。だが、八木らが言う様な学力低下の原因の全てが「週五日制」や「ゆとり教育」に在るとも思えない。ならばどうすべきなのか。

 嘗ての日本は、世界の中でも「教育立国」として明冶の試練と昭和の国難を乗り越えた。極貧の中から多くの偉人が輩出したのは、立派な教育の故であろう。司馬遼太郎の 「坂の上の雲」の中で、秋山兄弟の父親が子供らに苦諌する場面がある。

「好きで貧乏しているのではない。敢えて君等の将来を考えてやっているのだ。昔の偉人や英雄は極貧の中から生まれた。金持ちから偉人や英雄は生まれん」

 教育の原点とは意外とこんな処に在るのではなかろうかと思っている。 現在はどうだろう。裕福ではあるが、国民の勤勉性、家族愛、愛国心、信義誠実の原則は失われ、心の中の高貴なものを失い、高邁さを忘れ、在るのは自己中心性の欲望だけ。
 
 日本人の備えるべき高邁な魂を喪失した我が国に最も大事なものは、将来を担う子供達への教育を如何に充実させ施すかである。例えば、道徳教育は教えたところで意味はない。大事なのは学んだことを実行させることに大きな意味が在るのだ。

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cordial8317 at 06:29│Comments(0)

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