2021年02月11日
明治22年2月11日の「紀元節」に大日本帝国憲法発布
昨日10日は日露戦争の「開戦記念日」。本日2月11日は「建国記念日」、戦前の「紀元節」。「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」であり、また本日は「大日本帝国憲法(欽定憲法)」発布を記念する日でもあります。
欽定憲法は、明治人の智慧が凝縮された日本の至宝である。また、欽定憲法と同じく旧皇室典範も正統な国法である。悲しい哉、この二つは放置され続けている。
欽定憲法が発布されると、全国の神社では「紀元節祭」の催しを行うこととが慣例となり、青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が全国各地で盛大に開催されることになった。建国と主権国家の国法の誕生を心から祝った。
本日も全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝パレードが行われるが、新型コロナの影響で自粛を余儀なくされ、中止するところも出ている。然し乍ら、祖国日本に生まれた者として建国を祝うことは至極当たり前のことだろう。
だが、悲しい哉、「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、日本共産党を始めとした売国団体や誤(護)憲派が「奉祝反対」の催しを決行する。こうした光景こそ「平和ボケ」と揶揄される日本人を象徴するものだ。
日本国憲法を有難がってる連中が、憲法に基き制定された「建国記念日」を蹂躙しているのは嗤うしかないが、連中の「科学的根拠が無い」とする論拠が、歴史学者としての高松宮崇仁殿下の御意見というのも御粗末なことだ。
左翼どもは、日頃「反皇室」を叫んでいながら、こうした皇族の私感を利用して国民世論や大衆を煽動するのは常套手段でもあるが、「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、正統な国法である欽定憲法の復活を危惧してのものだろう。
戦前は「四方節(元旦)」「天長節」「明治節」「紀元節」は、四大節として宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われた。だが、敗戦後は「紀元節」の祭祀だけが中止。これ即ち「神道指令」の名残りである。
戦後、日本国憲法に相応しい祝日の法案には「建国の日」も盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が紀元節復活に難色を示し削除された。
我が国が占領から解放され主権を回復した昭和27年4月28日に「紀元節復活運動」が起こり、33年に国会へ議案を提出するも実現出来ず、41年に「祝日法」が改正され、翌年2月11日に漸く「建国記念の日」として実施され今日に至っている。
故中曽根康弘は「戦後政治の総決算」を唱え、安倍前首相が「戦後レジームからの脱却」を唱えたが所詮は画餅でしかなかった。戦後政治を改めるなら「憲法記念日」を祝日から追放し、新たに4月28日を「主権回復記念日」とすべきである。
誤憲派や左翼陣営は、占領軍が「日本弱体化」の怨念を込めて我が国に押し付けた日本国憲法を有難がっているが、5月3日は「占領基本法」が施行された屈辱の日というのが正しく、反米を唱えながら現憲法容認とは矛盾の極みである。
本日が「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義を伝えて行くべきで、そういう意味でも「建国記念の日」というより、「紀元節」とするのが相応しいと思う。
国を愛する心の涵養とは、即ち、大和心の涵養であり、国学者・本居宣長の「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」との、この和歌に極まれり。
日の丸や旭日旗を掲げて叫ぶ、安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。
誰もが誕生日を祝うのと同じ様に、国の誕生を祝うのは当然であり、民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは今を生きる我ら日本人であることは言うを俟たない。
神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しよう!
※コメントは煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント入力希望の方や御意見、メッセージは mr.cordial@live.jp へ御気軽にどうぞ。
〈会費&御支援〉みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ
欽定憲法は、明治人の智慧が凝縮された日本の至宝である。また、欽定憲法と同じく旧皇室典範も正統な国法である。悲しい哉、この二つは放置され続けている。
欽定憲法が発布されると、全国の神社では「紀元節祭」の催しを行うこととが慣例となり、青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が全国各地で盛大に開催されることになった。建国と主権国家の国法の誕生を心から祝った。
本日も全国各地で「神武天皇陵遙拝式」や建国奉祝パレードが行われるが、新型コロナの影響で自粛を余儀なくされ、中止するところも出ている。然し乍ら、祖国日本に生まれた者として建国を祝うことは至極当たり前のことだろう。
だが、悲しい哉、「紀元節復活は科学的根拠がない」「軍国主義復活反対」などとして、日本共産党を始めとした売国団体や誤(護)憲派が「奉祝反対」の催しを決行する。こうした光景こそ「平和ボケ」と揶揄される日本人を象徴するものだ。
日本国憲法を有難がってる連中が、憲法に基き制定された「建国記念日」を蹂躙しているのは嗤うしかないが、連中の「科学的根拠が無い」とする論拠が、歴史学者としての高松宮崇仁殿下の御意見というのも御粗末なことだ。
左翼どもは、日頃「反皇室」を叫んでいながら、こうした皇族の私感を利用して国民世論や大衆を煽動するのは常套手段でもあるが、「紀元節奉祝反対」を叫ぶ連中の真意は外でもない、正統な国法である欽定憲法の復活を危惧してのものだろう。
戦前は「四方節(元旦)」「天長節」「明治節」「紀元節」は、四大節として宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われた。だが、敗戦後は「紀元節」の祭祀だけが中止。これ即ち「神道指令」の名残りである。
戦後、日本国憲法に相応しい祝日の法案には「建国の日」も盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が紀元節復活に難色を示し削除された。
我が国が占領から解放され主権を回復した昭和27年4月28日に「紀元節復活運動」が起こり、33年に国会へ議案を提出するも実現出来ず、41年に「祝日法」が改正され、翌年2月11日に漸く「建国記念の日」として実施され今日に至っている。
故中曽根康弘は「戦後政治の総決算」を唱え、安倍前首相が「戦後レジームからの脱却」を唱えたが所詮は画餅でしかなかった。戦後政治を改めるなら「憲法記念日」を祝日から追放し、新たに4月28日を「主権回復記念日」とすべきである。
誤憲派や左翼陣営は、占領軍が「日本弱体化」の怨念を込めて我が国に押し付けた日本国憲法を有難がっているが、5月3日は「占領基本法」が施行された屈辱の日というのが正しく、反米を唱えながら現憲法容認とは矛盾の極みである。
本日が「建国を偲び、国を愛する心を涵養する日」とするならば、次代を担う子供達や青少年に日本の神話を教え、建国の意義を伝えて行くべきで、そういう意味でも「建国記念の日」というより、「紀元節」とするのが相応しいと思う。
国を愛する心の涵養とは、即ち、大和心の涵養であり、国学者・本居宣長の「敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花」との、この和歌に極まれり。
日の丸や旭日旗を掲げて叫ぶ、安っぽい愛国心を昂揚することではなく、八紘(はっこう)を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと。神武肇国の大理想である「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進することである。
誰もが誕生日を祝うのと同じ様に、国の誕生を祝うのは当然であり、民族の信念と道統を受け継ぎ、これを護持し、これを宣布し、そして子孫に伝える責任と使命を有する者、それは今を生きる我ら日本人であることは言うを俟たない。
神武肇国の大理想「八紘一宇」を掲げ、天皇國日本の真姿開顕へ奮闘前進しよう!
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cordial8317 at 07:29│Comments(0)
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