2月7日の「北方領土の日」は事勿れ主義及び弱腰軟弱外交の象徴である2月10日は日露戦争の開戦記念日ということを忘れる勿れ!

2022年02月09日

明治37年(1904)2月9日、「仁川沖海戦」勃発ス

 明治37年(1904)2月9日、「仁川沖海戦」の以て日露戦争の火蓋が切られた。世界最大の軍事大国ロシアとの国家と民族の生死を賭けた戦いは実に1年半にも及び、極東の小国に過ぎなかった我が国が奇跡的大勝利を成し遂げた。

 固唾を呑んで見守っていた世界の人々の誰もがロシアの勝利を疑わず、「日本大勝利」の報は極東小国日本の存在を世界に知らしめ、驚嘆させた。

  ロシアに占領・弾圧されていたフィンランド、トルコ、ポーランドの国々や、有色人種として差別されていた民族にとって、有色人種である日本が白人に勝ったことで国家と民族の存在を決定的に変える影響を齎したのである。

 15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れが、日露戦争後は大きく変化し、全世界の有色人種に強烈な影響を与えることとなった。

 インドのガンジー、ネール、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャなどなど。

 ファンはその衝撃を、「この時に当って東風一陣、人をして爽快足らしめる事件が起きた。日露戦役は我々の頭脳に一新世界を開かしめた」と記している。

 ベトナムの英雄であったファンは、訪日すると犬養毅首相に拝謁し「朝貢もするから、軍を出してフランス人ど​もを追い出して欲しい」と懇願する。

 犬養は「自分の国は自分で守るものだ。日本はその為には協​力を惜しまないが、自分は何もしないで他人に血を流して貰おうと​いうのは料簡が違う」と諭した。

 ファンは、犬養の言葉に甚く恥入り、ベトナムから多くの若者を呼んで日本で学ばせ、世界の情勢や学問を知り​、そして戦い方を知った。ベトナムの悲運とも言える抵抗運動は当時の根底に在るのは当時の日本に学んだところが大きい。日露戦争で有色人種の日本が勝利したことに因って自信が確信に変わったのだ。

 世界の各地では「日本大勝利」に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持つこととなった。各地で独立運動が湧き上がり、米国内でも黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなるきっかけを作ったのだった。

 黒人誌「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。

「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」

 日露戦争勝利から15年後、我が国の全権使節団はパリ講和会議に於いて、国際連盟規約に「人種平等の原則」の項目を入れる提案を行う為に現地のパリに向かった。

 途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者4人が「世界の人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を全権団に提出する。だが、議長を務める米国大統領ウイルソンに「全会一致」との詭弁を弄され拒絶されてしまう。

 結局、日露戦争が齎した歴史的課題であった「人種平等の原則」の本格的実現は、大東亜戦争後に漸く実現し、その歴史的大使命が果たされるのだった。

 世界史にとっても日本史にとっても重要な「日清戦争」や「日露戦争」の意義と大勝利という輝かしい出来事が何故か余りにも軽く扱われているのは、GHQの謀った戦後民主主義教育の洗脳であり、国家の危機と断罪しても過言ではないだろう。

 先人が決然たる態度で一戦を決した日清・日露の大英断を、民族の魂の記憶として、誇り高く、永く後世に継承して往かければならない。すめらぎいやさか

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cordial8317 at 04:27│Comments(0)

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