2013年01月31日
全日本女子柔道でもパワハラに見る今や一億教育評論家時代(笑)
大阪市立桜宮高校での体罰問題を機に、今や一億総教育評論家になってしまった感は否めない。「暴力はけしからん」との非暴力主義的意見が大半で、我が国も愈々「ガンジー主義時代」に突入したのだろうか。せめて、新約聖書の「左の頬を殴られたら、右の頬を出しなさい」くらいで好いと思うがなぁ(笑)
だが、多くの意見は「教育や指導とはどう在るべきか」という根本からかけ離れ、興味本位で<体罰=暴力=悪>という図式だけが先行し、クソもミソも一緒になった軽佻浮華な意見が目立つ。「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺がある。「少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にしてしまう」という意味だ。
<体罰=暴力=悪>というレッテルというか、何かキレイゴトばかりが語られて、そうした偽善に踊らされてる人を目の当たりにすると、根本とは程遠く、枝葉に係ずらわって肝心な根本を損ってしまうのではという危機感を覚えるてしまう。
人というのは「好き」か「嫌いか」のどちらかだという。「生理的に合わない」とか「以心伝心」という言葉もそうだが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいるヤツは、大概、向こうもこっちと同じ様に感じているもので、要は桜宮校のバスケ部顧問にしろ女子柔道の園田監督にしろ、生徒や選手から嫌われていたということだ。
教員や指導者はある意味で人気商売の様なもので、生徒や選手に好かれて、尊敬されてこそ、初めて本当の意味での「教育」や「指導」が出来るものだと思っている。企業経営者でもそうだろうが、金儲けというのは容易なことだと承知しても、人材を育てるというのは実に難しいものだと感じている人は多いことだろう。
「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えるが、意見される側や指導される側が、それを受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」でしかないのだ。
大方の人は、人の失敗や欠点に対し、好まれない言い難い事を言ってやるのが親切心だと思っているが、それはややもすれば徒に人に恥をかかせ、悪口を言う結果になってしまっている場合も多いということを気付いてはいない。
意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、自分を信用し受け容れる状態になってからでないと意味はない。
食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても相手に思い当たる様に仕向けたり、相手の長所を褒めながら、その上で欠点を指摘し直すというのが本当の親切心であり、意見や指導とは斯く在るべきなのだ。
何よりも、人というのは好きか嫌いかであって、嫌われてるのに幾ら熱く語ったところで、相手には受け容れられることはないということ。言うことを聞かない、受け容れる態度が悪いからと体罰やヤキを入れる悪循環になっているのだろう。
「そうか、好きか嫌いかか」。なるほど、そういや愚生の如き右翼風情が喩え正論を吐いたところで、世間から忌み嫌われるのはそういうことか。呵呵大笑。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員は300000円~。
だが、多くの意見は「教育や指導とはどう在るべきか」という根本からかけ離れ、興味本位で<体罰=暴力=悪>という図式だけが先行し、クソもミソも一緒になった軽佻浮華な意見が目立つ。「角を矯(た)めて牛を殺す」という諺がある。「少々の欠点を直そうとして、反ってそのもの自体を駄目にしてしまう」という意味だ。
<体罰=暴力=悪>というレッテルというか、何かキレイゴトばかりが語られて、そうした偽善に踊らされてる人を目の当たりにすると、根本とは程遠く、枝葉に係ずらわって肝心な根本を損ってしまうのではという危機感を覚えるてしまう。
人というのは「好き」か「嫌いか」のどちらかだという。「生理的に合わない」とか「以心伝心」という言葉もそうだが、自分が嫌いだとか苦手だなと思ってるいるヤツは、大概、向こうもこっちと同じ様に感じているもので、要は桜宮校のバスケ部顧問にしろ女子柔道の園田監督にしろ、生徒や選手から嫌われていたということだ。
教員や指導者はある意味で人気商売の様なもので、生徒や選手に好かれて、尊敬されてこそ、初めて本当の意味での「教育」や「指導」が出来るものだと思っている。企業経営者でもそうだろうが、金儲けというのは容易なことだと承知しても、人材を育てるというのは実に難しいものだと感じている人は多いことだろう。
「人に意見や指導をしてその人の欠点を直す」ということは大切なことであり、親切心であり、慈悲の心だとも言えるが、意見される側や指導される側が、それを受け容れる気持ちが無ければ単なる「余計なお世話」でしかないのだ。
大方の人は、人の失敗や欠点に対し、好まれない言い難い事を言ってやるのが親切心だと思っているが、それはややもすれば徒に人に恥をかかせ、悪口を言う結果になってしまっている場合も多いということを気付いてはいない。
意見というものは先ず、その人がそれを受け入れられるかどうかを見極め、相手と親しくなり、自分を信用し受け容れる状態になってからでないと意味はない。
食事や痛飲しながら相手に心を許し、自分の失敗談を話し、意見を言わなくても相手に思い当たる様に仕向けたり、相手の長所を褒めながら、その上で欠点を指摘し直すというのが本当の親切心であり、意見や指導とは斯く在るべきなのだ。
何よりも、人というのは好きか嫌いかであって、嫌われてるのに幾ら熱く語ったところで、相手には受け容れられることはないということ。言うことを聞かない、受け容れる態度が悪いからと体罰やヤキを入れる悪循環になっているのだろう。
「そうか、好きか嫌いかか」。なるほど、そういや愚生の如き右翼風情が喩え正論を吐いたところで、世間から忌み嫌われるのはそういうことか。呵呵大笑。
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cordial8317 at 06:58│Comments(0)
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