2023年12月17日
「喪に服する」とは門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず・・・
「喪中はがき」というのは実に便利。故人を利用した都合の好い慣習でしかない。「喪中はがきを出したのに年賀状を寄越すとは無礼千万。来年からは付き合い方を考えなければ」とか、「喪中なので初詣には行かない」という様な声を聞いた。
喪中の相手を気遣うという意味では、その相手に年賀状を送ったのは思慮不足だったのかも知れないが、相手も悪気が在る訳でもないだろうし、喪中と言っても慣例に過ぎず、年賀状如きにそれほど目くじらを立てる様なことではないと思うがなぁ。
近親者が亡くなった場合、一定の期間、その死を悼み、身を慎むことを「忌服」「服喪」と言う。「初詣」にしても神道なら50日を過ぎていれば問題はないし、仏教は抑々「死」は「穢れ」という教えではないから初詣に参じても問題はない。
古くは、忌服(服喪)期間には門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという様な仕来たりがあった様だが、今日ではそれらの都合のイイ部分だけが慣例として受け継がれているだけなのだ。
現在はここまで喪に服することはないし、そこまでしている人を見たことも聞いたこともない。一等親の身内(両親や妻や夫)が亡くなられた場合でも、一週間も仕事を休んでたら会社から「もう、君は来なくてイイ」と誹られるだろう。
日本では、喪中の規定に関する法律は奈良時代の「養老律令」には既に見られ、江戸時代になると「服忌令)」という法律によって喪中の規定が記され、これらによると父母の喪は12ヶ月~13ヶ月(旧暦で一年間)であると制定されている。
明治7年の太政官布告の「忌服令」では、父母、夫、50日、13カ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日などと忌(忌中)と服(喪中)の期間を定めている。 明治42年制定の「皇室服喪令」では「12か月」との期間が決められている。
「忌」と「服」は、謹慎の深さに拠って分けられるが、大まかには「忌」は自宅で謹慎する期間であり、法要(四十九日)が終わる期間とされる。一方で「服」は、一般には喪服を着用する期間であり、死者を偲ぶ期間と考えられている。
「忌中」とは、神道の「穢れである死を忌む期間」との考え方で、忌中時(五十日)は「出仕を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としている。 現在では、こうした「忌服」「服喪」法令は全て撤廃されている。
仏事の慣例としては今もこの太政官布告が一つの目安にされていて、喩えば父母の死亡に際しては七七忌(四十九日)までが忌中、一周忌までが喪中とされることが多い。国内では仏教徒が多いからどうしても「喪中につき」を出したがる(笑)
「喪」は抑々儒教から生じているもので、父母の死については、13ヶ月間喪に服するということになっている。この13ヶ月の数え方だが、昔は「0」という観念がないので、父母が亡くなった月が1ヶ月目となり、丸1ヶ月なくてもその月が終われば1ヶ月と数え、翌月は2ヶ月目になる。年齢の「数え年」で例えると分かるだろう。
明治6年、日本で「ハガキ郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人にも挨拶状を送る習慣が広まっていく。「年賀郵便」の制度は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売されると年賀状が普及にして行った。
服喪期間という個人の故人への思いはそれはそれでイイが、年賀状如きに、亡くなった人まで巻き込んで一喜一憂などする必要はないと思うがなぁ(苦笑)
尤も「喪中だから」と門戸を閉じて家に閉じ籠り、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だが、そんな人はいない。
日本人の宗教観ってのは、仏教徒なのにキリスト生誕のクリスマスを祝ったり実に好い加減なもの。そんな日本人が何故か「喪中」にだけ拘るのは何でなの(笑)
愚生の場合は、「葬儀告別式」や「年忌法要」や「偲ぶ会」も「やる必要なし」と身内や友人らに念を押している。だから喪に服する必要はない。人間死んだら「無」だと思う。若し、愚生のこの思いを無視する様なら化けて出るつもりだ。呵呵。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援の御願い》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円。法人120000円。協賛会員300000円~。
喪中の相手を気遣うという意味では、その相手に年賀状を送ったのは思慮不足だったのかも知れないが、相手も悪気が在る訳でもないだろうし、喪中と言っても慣例に過ぎず、年賀状如きにそれほど目くじらを立てる様なことではないと思うがなぁ。
近親者が亡くなった場合、一定の期間、その死を悼み、身を慎むことを「忌服」「服喪」と言う。「初詣」にしても神道なら50日を過ぎていれば問題はないし、仏教は抑々「死」は「穢れ」という教えではないから初詣に参じても問題はない。
古くは、忌服(服喪)期間には門戸を閉じ、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲をなさず、嫁取りをせず、財を分かたずという様な仕来たりがあった様だが、今日ではそれらの都合のイイ部分だけが慣例として受け継がれているだけなのだ。
現在はここまで喪に服することはないし、そこまでしている人を見たことも聞いたこともない。一等親の身内(両親や妻や夫)が亡くなられた場合でも、一週間も仕事を休んでたら会社から「もう、君は来なくてイイ」と誹られるだろう。
日本では、喪中の規定に関する法律は奈良時代の「養老律令」には既に見られ、江戸時代になると「服忌令)」という法律によって喪中の規定が記され、これらによると父母の喪は12ヶ月~13ヶ月(旧暦で一年間)であると制定されている。
明治7年の太政官布告の「忌服令」では、父母、夫、50日、13カ月。妻、兄弟姉妹、20日、90日などと忌(忌中)と服(喪中)の期間を定めている。 明治42年制定の「皇室服喪令」では「12か月」との期間が決められている。
「忌」と「服」は、謹慎の深さに拠って分けられるが、大まかには「忌」は自宅で謹慎する期間であり、法要(四十九日)が終わる期間とされる。一方で「服」は、一般には喪服を着用する期間であり、死者を偲ぶ期間と考えられている。
「忌中」とは、神道の「穢れである死を忌む期間」との考え方で、忌中時(五十日)は「出仕を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、神社に参拝しない」としている。 現在では、こうした「忌服」「服喪」法令は全て撤廃されている。
仏事の慣例としては今もこの太政官布告が一つの目安にされていて、喩えば父母の死亡に際しては七七忌(四十九日)までが忌中、一周忌までが喪中とされることが多い。国内では仏教徒が多いからどうしても「喪中につき」を出したがる(笑)
「喪」は抑々儒教から生じているもので、父母の死については、13ヶ月間喪に服するということになっている。この13ヶ月の数え方だが、昔は「0」という観念がないので、父母が亡くなった月が1ヶ月目となり、丸1ヶ月なくてもその月が終われば1ヶ月と数え、翌月は2ヶ月目になる。年齢の「数え年」で例えると分かるだろう。
明治6年、日本で「ハガキ郵便配達」が始まったのを機に、遠方以外の人にも挨拶状を送る習慣が広まっていく。「年賀郵便」の制度は明治39年に始まり、昭和24年には「お年玉付き年賀はがき」が発売されると年賀状が普及にして行った。
服喪期間という個人の故人への思いはそれはそれでイイが、年賀状如きに、亡くなった人まで巻き込んで一喜一憂などする必要はないと思うがなぁ(苦笑)
尤も「喪中だから」と門戸を閉じて家に閉じ籠り、酒肉を断ち、弔せず、賀せず、音曲を成さず、嫁取りをせず、財を分かたず、出仕(仕事)を控え、殺生をせず、髭や髪を剃らず、自らを厳しく律している方なら別だが、そんな人はいない。
日本人の宗教観ってのは、仏教徒なのにキリスト生誕のクリスマスを祝ったり実に好い加減なもの。そんな日本人が何故か「喪中」にだけ拘るのは何でなの(笑)
愚生の場合は、「葬儀告別式」や「年忌法要」や「偲ぶ会」も「やる必要なし」と身内や友人らに念を押している。だから喪に服する必要はない。人間死んだら「無」だと思う。若し、愚生のこの思いを無視する様なら化けて出るつもりだ。呵呵。
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cordial8317 at 08:06│Comments(0)
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