「喪中につき年末年始の挨拶はご辞退させて頂きます」というがその昔は「冬至」からが一年の始まりだった

2020年12月17日

「進め社」や「日本労農党」代表・福田狂二の「狂」とは陽明学の「狂」

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 愚生が所属していた団体「防共挺身隊」の創設者は福田進。その父親は「進め社」や「日本労農党」代表の福田狂二。画像を拝しても好い面構えだ。

 極左・中核派の「前進社」も「進め社」のパクリだろうが、狂二は国権から弾圧を受け支那に亡命するなど伝説の革命家で左翼にも信奉者は少なくない。

 日本に帰国すると名を「素顕」と改め、国家社会主義者に転向し、「防共新聞」を創設し主幹となる。防共新聞の行動部隊が長男・進の防共挺身隊である。

 破天荒な父から生まれた息子もその血は争えない。福田進を一躍有名にしたのが、国会議事堂の玄関前での「人糞事件」だろう。一斗缶にクソを詰め、共産党員と共産党被れの国会議員ども5、60人にクソをぶっかけた。

 クソをぶっかけられた連中の屈辱を思えば気の毒としか言い様がない。刺されたり、撃たれたり、殴られたりなら「男子の本懐」ってな具合で納得もするかも知れないが、なんせクソ塗れなんだから恥ずかしかっただったろうよ(爆笑)

 この事件で懲役3年を喰らう。出所すると福田はツキまくり、次から次と活動資金が舞い込んだ。「ウンコ撒いたら運が付いた」という福田は「右翼総会屋」として企業防衛に一役買い、高度成長を陰で支えたのは言うまでもない。 

 この福田進の父の名の狂二の「狂」という字を、単に「気が狂った」という意味に捉える人が殆どだろうが、本来この「狂」は、陽明学の「狂」の教えであり、「狂」の思想とは、王陽明が「伝習録」で訓えたものと言われているものだ。

 陽明学は「知行合一の教え」ということを知ってる人は多いだろう。言葉にしたことは必ず実行するという「知行合一」は極めて陽明学的思考だ。陽明学は「志を立てる」ところから始まり「行動に昇華する」ことで終結する。

 逆を言えば「実行できるかどうか分からないことは言葉にしない」ということでもあり、己の発言に責任を課していることを意味する。最近の政治家の言葉が軽いのは、この陽明学を学ぶことがない故に行動に責任も持てない輩が多い。

 つまり、例えば政治家や起業家を志すにしても、自分の言葉に責任を持ち、自らが率先垂範して国民や社員の模範となることが大事で、そして何よりその志は「親に対する孝」と「国に対する忠」が源でなければならないのだ。

 陽明学は人間の格位を「聖賢」「狂」「狷(けん)」「卿愿(きょうげん)」の四つに分けており、孟子はこれを注釈し「聖賢」とは、知識・人格に優れた人物。「狂」は理想主義。「狷」は不潔を潔しとしない者。「郷愿」は世俗と歩調をあわせた風俗とし、徳の賊(道徳家を装って郷里の評判を得ようとする俗物)だとした。

 要するに、陽明学派の「狂」とは「気が狂う」というのではなく、理想を高く持ち、何の虚飾も隠し立てもなく、一途に率直に行動することであり、「狂」とは、一つの信念に向かって脇目もふらずに突進する仁侠の精神とも言える。

 福田狂二の生き方もその名の通り、理想を高く、心の赴くままの正義感からの行動だったのだろう。因みに福田進の実弟は「狂介」という名だ。第三代、第九代内閣総理大臣に就いた山県有朋も自らを「狂介」と号している。

 また「狂」は、キリストの「悔い改めよ」ではないが、「もし過失があれば改めさえすれば好い」とする臨機応変的なものでもあり、世俗社会の常識に対し果敢に挑戦する「実践的理想主義」とも言える思想だとも言えよう。

 自らの行動を「狂挙」と敢えて言える為には、歴史を見つめる「冷静な目」が必要であり、この陽明学的「狂」の精神こそが、幕末の混乱期を凌ぎ、明治維新への道と切り開く転換点となったと言っても過言ではない。

 旧来の思想や社会構造を打破しようとする時に生まれる常軌を逸した行動こそが「正気」の「狂気」であり「狂挙」である。山口二矢や三島由紀夫、森田必勝、野村秋介などのこの狂気の狂挙こそが混沌たる現状打破の大きな力となり得るのだ。

 愚生的には「狂」といえば無頼の徒「眠狂四郎」を思い浮かべる。高い理想と率直な行動力は無理でも、狂四郎のあのドSぶりは見倣いたいものだ。呵呵。

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cordial8317 at 08:41│Comments(1)

この記事へのコメント

1. Posted by 求道者   2012年12月19日 22:33
・・・クソ投げというのはいわば最終兵器ですね・・・。
そういえば初期の三里塚闘争で反対同盟
(当時は極左のプロ村民ではなく本物の農婦)が
「クソ袋」を投げたら機動隊の精鋭部隊が後ずさりした・・・という話を聞きました。
 個人的には小生も
「タワーマンションに住み、享楽にふけりながらクリスマスを祝う連中」
に投げつけたい・・・と思っておりました。バブル期です。(今もですが)

 なお日本における草創期の社会主義運動家について何冊か本を読みましたが
ある意味で牧歌的というか、人間臭い魅力も、明治人の気骨も感じます。今の薄っぺらい連中とは違うものです。
 先輩で昔社会党の活動家だった人とこの件で話しましたら同意見でしたが
 「ソ連の指示が本格化し、試験の能力に長けた東京帝大の理論家らが幅を利かせ始めてから官僚的体質になって行ったのではないかな」
 と言ってました。確かにその極め付けが現在
「100人中100人が何についても金太郎飴のごとく同じ見解を述べる
日本共産党」
 ではないかと思います。

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