2012年11月20日
石原慎太郎と橋下徹こそ究極の「天皇制廃止論者」!
石原慎太郎という男は作家故に言葉の持つ過激さを利用する。多くの国民はその蛮勇を称え、「石原なら何かやってくれるのでは」という錯覚に陥る。
石原はよく三島由紀夫と比べられることがあるが、石原には武士なら在るべき「礼節」や「尚武の精神」というものが備わってはいない。そこが武士道に通じる三島との大きな違いだろう。というか、三島と石原を比べることが無意味だわな。
石原を右翼であり石原こそ保守だと勘違いしている人も多いが、譬えば、天皇観に関して石原は、「天皇が国家の象徴などという言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だという言い分と同じ程度、笑止千万で理の通らぬ戯言だということになる」と、天皇を「彼」呼ばわりしているのをみても保守というより国賊だろう。
石原自ら提案した「オリンピック誘致活動」でも、皇居のライトアップなどという前代未聞の提案を公表したが、直ぐに宮内庁に咎められ、これに対して石原は「宮内庁如きの木っ端役人が決める問題ではない」と宮内庁を批判し、更に皇族の協力を要求し、皇族が協力するのは当然であるかの無礼も働いている。
「宮内庁の木っ端役人」発言云々で思い出すのは、習近平の陛下との拝謁を画策した小沢一郎を思い出すが、石原も小沢と同じく、日頃から天尊皇精神に乏しく皇室を軽々しく思っているからこそこうした言葉がつい口を吐くのだ。
東日本大震災後の記者会見で「戦前の日本は天皇を現人神と崇めるなど可笑しな国だった。今の北朝鮮と大差がなかった」とトンチンカンな自説を述べ、「天皇や皇太子、秋篠宮夫妻を名代として被災地への見舞いに差し向けるべきだ」と具申した。
石原は日頃から「陛下や両殿下」ではなく共産党員ばりに呼び捨てしているが、こんな尊皇精神が欠落してる男が、愛国者であるいうのは実に烏滸がましい。
陛下は大震災後、御心を痛め国民に向かって御言葉を述べられ、被災した各地を巡幸遊ばされたのは言うまでもないが、態々、石原が具申することでもあるまい。
石原はその後、「陛下はその身の危うさを顧みることなく見事な君主として、そして見事な男として、その責を果たされたものだと思う」と取り繕うな発言をしているが、これもまた傲岸不遜な発言だ。 昔なら天誅されて終わってただろうな。
国旗、国歌についても「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ」と、毎日新聞のインタビューに答えているが、これが石原慎太郎という政治家の本音であり、正体である。
譬え「滅私奉公」だとして、それの何が悪いのか。今や「滅私奉公」という言葉は死語だ。自己犠牲を中心にした無理な生き方より自分本位の生き方が優先される時代に於いて、滅私奉公を想像させるのであれば結構なことではないか。
三島由紀夫は石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」で、「日本のアイデンティティーとして三種の神器、宮中三殿を守らなくてはならない」と発言すると、これに対し石原は、「またそんなことを言うの」と、三島を小馬鹿にし、国體や皇統を否定しているが、これを以てしても保守とは真逆の輩といえよう。
三島はこの対談の終わりで、「(共産主義者が謀った開かれた皇室論などで)天皇の本質というものが誤られてしまった。だから石原さんみたいな、つまり非常に無垢ではあるけれども、天皇制廃止論者を創っちゃった」と厭きれている。
石原を「べ平連の小田実と全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな」と言い放ち、石原の天皇に対する無理解を痛烈に批判しているが、蓋し正論だろう。
橋下徹と石原慎太郎は国歌斉唱での起立強制などで如何にもタカ派的言行で国民を誑かすが、この二人こそ究極の「天皇制廃止論者」であり、確信的左翼より始末が悪い。国民はこうした似非保守に騙されていることすら気付いていない。
石原はよく三島由紀夫と比べられることがあるが、石原には武士なら在るべき「礼節」や「尚武の精神」というものが備わってはいない。そこが武士道に通じる三島との大きな違いだろう。というか、三島と石原を比べることが無意味だわな。
石原を右翼であり石原こそ保守だと勘違いしている人も多いが、譬えば、天皇観に関して石原は、「天皇が国家の象徴などという言い分は、もう半世紀すれば、彼が現人神だという言い分と同じ程度、笑止千万で理の通らぬ戯言だということになる」と、天皇を「彼」呼ばわりしているのをみても保守というより国賊だろう。
石原自ら提案した「オリンピック誘致活動」でも、皇居のライトアップなどという前代未聞の提案を公表したが、直ぐに宮内庁に咎められ、これに対して石原は「宮内庁如きの木っ端役人が決める問題ではない」と宮内庁を批判し、更に皇族の協力を要求し、皇族が協力するのは当然であるかの無礼も働いている。
「宮内庁の木っ端役人」発言云々で思い出すのは、習近平の陛下との拝謁を画策した小沢一郎を思い出すが、石原も小沢と同じく、日頃から天尊皇精神に乏しく皇室を軽々しく思っているからこそこうした言葉がつい口を吐くのだ。
東日本大震災後の記者会見で「戦前の日本は天皇を現人神と崇めるなど可笑しな国だった。今の北朝鮮と大差がなかった」とトンチンカンな自説を述べ、「天皇や皇太子、秋篠宮夫妻を名代として被災地への見舞いに差し向けるべきだ」と具申した。
石原は日頃から「陛下や両殿下」ではなく共産党員ばりに呼び捨てしているが、こんな尊皇精神が欠落してる男が、愛国者であるいうのは実に烏滸がましい。
陛下は大震災後、御心を痛め国民に向かって御言葉を述べられ、被災した各地を巡幸遊ばされたのは言うまでもないが、態々、石原が具申することでもあるまい。
石原はその後、「陛下はその身の危うさを顧みることなく見事な君主として、そして見事な男として、その責を果たされたものだと思う」と取り繕うな発言をしているが、これもまた傲岸不遜な発言だ。 昔なら天誅されて終わってただろうな。
国旗、国歌についても「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ」と、毎日新聞のインタビューに答えているが、これが石原慎太郎という政治家の本音であり、正体である。
譬え「滅私奉公」だとして、それの何が悪いのか。今や「滅私奉公」という言葉は死語だ。自己犠牲を中心にした無理な生き方より自分本位の生き方が優先される時代に於いて、滅私奉公を想像させるのであれば結構なことではないか。
三島由紀夫は石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」で、「日本のアイデンティティーとして三種の神器、宮中三殿を守らなくてはならない」と発言すると、これに対し石原は、「またそんなことを言うの」と、三島を小馬鹿にし、国體や皇統を否定しているが、これを以てしても保守とは真逆の輩といえよう。
三島はこの対談の終わりで、「(共産主義者が謀った開かれた皇室論などで)天皇の本質というものが誤られてしまった。だから石原さんみたいな、つまり非常に無垢ではあるけれども、天皇制廃止論者を創っちゃった」と厭きれている。
石原を「べ平連の小田実と全然同じ人間だよ、全く一人の人格の表裏ですな」と言い放ち、石原の天皇に対する無理解を痛烈に批判しているが、蓋し正論だろう。
橋下徹と石原慎太郎は国歌斉唱での起立強制などで如何にもタカ派的言行で国民を誑かすが、この二人こそ究極の「天皇制廃止論者」であり、確信的左翼より始末が悪い。国民はこうした似非保守に騙されていることすら気付いていない。
cordial8317 at 06:17│Comments(0)
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