爆発五郎、政治評論家としてデビューす(爆)日本国憲法第七条により衆議院を解散する!万歳~!

2012年11月16日

講演「元行動右翼に聞く日本の歩むべき道」(要旨)

 佐久間五郎でございます。本日はお招き頂きまして、また多くの皆様方の御参会を賜りまして誠に有難うございます。自分の講演に合わせたかの様な野田総理の解散表明で、愈々自民党が政権を奪還する訳ですが、安倍総裁らは政権奪還で満足しててはダメなんです。政権を取り返したら何を成すべきなのかなんです。今日は自民党青年部主催ということですから自民党がやるべきことというものを憲法問題を中心に分かり易く話して行きたいと思っています。政治で大事なのは「教育」であり「国防」です。「子ども手当」や「児童手当」など政治家がカネの分配ではなく将来を担う子供達に如何にして誇りの持てる教育をするか、自民党新綱領にも在る様に志の高い日本人を創るかが大事なんです。国防とは単に領土を守ることではありません。領土を守ることだけなら共産党でも出来ます。領土だけなら自民党などより共産党の方がまともですよ。北方領土も歯舞、色丹、国後、択捉の四島ではなく、全千島列島と南樺太の領土主権の正当性を訴えていますからね。国防とは三島由紀夫はこう言っています。「それを亡くしてしまったら日本ではなくなってしまうものを守り抜くこと」。それは日本という国柄であり、歴史伝統文化であり、未来の子供達であり、そして何より皇統なのです。 まぁ普段なら酔っぱらってる時間なので酒でも飲みながらやればペラペラ喋れるんですが、まぁそれでも安倍総裁よりは滑舌はいい方だと思いますので、どうか最後までお付き合いの程を宜しく御願い申し上げます。
 私が政治に興味を持ったのは、死んだ親父の影響で中学校二年生の頃でしょうか。親父も自民党員でありまして、親父の持ってくる自民党の機関誌「月刊・自由民主」を何気に読み出し、当時はハッキリしたことは分かりませんが、「自主憲法制定」だとか「憲法改正」「日米安保条約」「靖國神社」「北方領土」或いは「日教組は如何に悪いか」といった言葉に興味を抱いたのが最初でしょうか。また、中学校時代の担任が高橋寅彦、副担任が遠藤四郎と、名うての日教組組合員。遠藤四郎は退職後、日本共産党公認で出馬し二本松市議になったことを見ても自分が右翼に傾倒して行くのは当然と言えば当然だったんです。そんな環境で中学校時代を過ごした訳ですが、「自由民主」に書かれていることや親父の言うことと先生が言うことが違うんですね。こうした疑問を抱いたのが益々政治に興味が湧いたんだたと思います。ある日、担任の寅彦が突然、「オメら、天皇は自分のことを何ていうか分がっか」と言うんで、「朕だべ!」と応えると、褒めるのかと思いきや「そうだ、チンポコのチンだ」と言ったんです、クラス中大爆笑。或いは天覧相撲が行われると、日教組ってのは日本の歴史や伝統・文化というものを否定しておりますから、「相撲ってのはバカが取って悧巧が見るっていうが、あんなのはバカが取ってバカが見るんだ」。他にも陛下や皇室への罵詈雑言ばっかでして、まぁ今ならブっ飛ばしますがね。こうした「反天皇制運動」というのをちょくちょくやってたのが日教組なんです。
 中学校三年生なった春、珍しく機嫌よく教室に入って来た寅彦が、「今日はめでたい日だな、何でか分かるか」と言うんで、新聞に「ベトナム戦争終結、米軍撤退」と書いてあったのを思い出し、「アメリカ軍撤退がそんなに嬉しいか」と言うと、「オメ~はおかしいんだ、バカヤロウ」と怒られたのを覚えています。因みにベトナムは元々「清」に朝貢してた国なんですね。清が日清戦争で敗れますとベトナムをフランスにくれてやるんです。そこで、ベトナムの愛国者・ファン・ボー・チャウという人物が日本を訪れるんです。対応した犬養毅にファンは「助けてくれたら朝貢する」と申し出るも、その頃、日本はロシアと戦ってる最中ですからそんな余裕もない。犬養はこう言うんです。「自分たちで何もせずに助けてくれなどとは都合が好過ぎるのではないのか。自分の国はどんなに犠牲を払おうとも自分たちの手で守るものだ。自分たちでどうにかするというのであれば協力は惜しまない」。そう言うとベトナムから若者らを受け容れ、世界を教え、そして戦い方を教えるんですね。結果、ベトナムはフランスを追い出しますが、その後、米国が侵攻して来るんです。その米国も追い払うと、次には中国人民軍が侵略をして来るんですね。ベトナムはこの「中越戦争」にも勝利を収める訳です。軍事力に乏しいベトナムが戦争で負けたことがないというのは、ベトナム人の士気の高さも在るでしょうが、日本の教えが好かったからなんですね。中越戦争で敗戦した中共の最高指導者の鄧小平はその後、ベトナムでの失敗を教訓に軍事大国化の道を選ぶんですが、チベットやウイグルなどでの弾圧や尖閣や南沙諸島への侵略・威圧行為は、別な意味で、日本がベトナムへ「戦い方」を教えなければアジアの勢力地図も変わっていたかも知れません。「自分の国はどんなに犠牲を払ってでも自分たちの手で守らなければならない」と教えた日本でしたが、今や「国防」という国家の大本を米国に委ね、まやかしの平和や繁栄に現を抜かしているというのは皮肉なことです。
 そんな中学時代を過ごし、高校は二本松工業高校、大学は国士舘大学。何故国士舘に入り右翼団体に入ったのか、この辺りを話していますと時間が足りませんので割愛します。タイトルにも在りますが、「行動右翼」とか「右翼」っていうのはと、右翼の実態を知らない人も多いでしょうし、興味のある人もいるでしょうから、そういうことを少し話そうと思います。抑々「右翼」「左翼」というのはフランス革命で保守が右側の席に革新派が左側に座ったことから出た言葉で、まぁ日本の幕末に当て嵌めれば徳川幕府が右翼、薩長土肥の討幕派が左翼ということでしょうか。 現在「右翼」というのは蔑視、侮辱の言葉ですが、左翼というのは自分達が進歩的で自分達こそ革新的だと勘違いしてるから「恥」どころか自慢なんでしょうね。
 右翼というと大日本愛国党とか赤尾敏や社会党の浅沼稲次郎を刺殺した山口二矢などを思い浮かべる人もいるかと思いますが、自分が所属していた団体は「防共挺身隊」という団体で、福田進という人が昭和29年に設立した政治結社です。防挺は昔、愛国党の城南支部も兼任していましたが「赤尾は完全な資本主義」だと袂を分かちます。山口二矢もやはり「愛国党の運動では日本を救えない」と吉村法俊さんと中堂利夫さんといった先輩らと脱党し「全アジア反共青年連盟」を結成するんですが、如何せん生活費もありませんからその面倒を福田が見てたんですね。 山口二矢は犯行時は17歳で大東文化大学の学生、日本を救うには左翼の煽動者や阿る連中に天誅を加えなければと、先ず日教組委員長の小林武、日本共産党・野坂参三、日本社会党・浅沼稲次郎、自民党・鳩山一郎、石橋湛山、社会党・松本治一郎の6人を狙うんです。「紀元節反対」を論じている三笠宮殿下に対しても御反省を求めています。浅沼は三番目でしたが、日比谷公会堂で立会演説会が行われると聞き急遽向かうんですが、入場するには入場券が必要で、諦めようかと思っていると、学生服を着た若者が可愛そうだと、受付にいた人が余ってたチケットを渡す訳です。結果、テロということになる訳ですが、運命というのは偶然と偶然が重なりあって必然になるものだと私は思っています。
 供述調書を取り終えた山口二矢は収容先の練馬鑑別所で「七生報国」「天皇陛下万歳」そして辞世の句を残して従容として自裁するのですが人としても立派だったと思います。この事件は昭和35年、自分が生まれた年でありますし、感慨深いものがあります。人間とは「どれだけ生きたかではなく、短くともどう生きたか」だと思います。尊敬する人物は、アドルフ・ヒトラー、児島高徳、吉田松陰、山鹿素行、西郷隆盛でして、皆さんは、まぁヒトラーとか吉田松陰、西郷隆盛なんかは知ってるでしょうが、山鹿素行とか児島高徳という人は知らない人も多いのではないでしょうか。時間があれば説明しますが、そういった時間がありませんので詳しいことは各々調べて下さい。
 福田進総隊長の父親は福田素顕、本名「狂二」、元社会主義者で軍部から弾圧を受け、支那に亡命するも国家社会主義に転向し「防共新聞社」を創刊します。この防共新聞社の行動隊が防挺でした。この防挺の名前を初めて知ったのは高校二年の時でありまして、当時、福島市で日教組大会が行われるというので、授業を抜け出して態々見に行ったことがありました。当時は宣伝車の上に乗るのが禁止されていませんでしたので、宣伝車の上からビラは撒くは爆竹は投げつけるはそれはもう凄いものでした。その為に街中に防護ネットが張り巡らされて、街中が騒然となっていました。その中で異彩を放っていたのが防挺で、当時は新聞雑誌などで「総会屋右翼」と呼ばれていまして、自分も「総会屋」にも興味があったし、入るなら此処だなと思っていました。人生は邂逅の一言に尽きるといいますが、ある人物に出会いそうした道に入る訳ですが、この辺も割愛します。
 初代総隊長の福田進を一躍有名にしたのが、国会議事堂での「人糞事件」です。共産党員と共産党被れの国会議員5、60人にクソ塗れにした事件なんですが、これはやられた方は屈辱ですよ。刺されたり、撃たれたり、殴られたりなら未だ「男子の本懐」ってな具合でしょうが、クソ塗れですからね。この事件で、懲役3年ほど務め上げ、出所すると三菱商事に顔を出したといいます。担当に「オヤジ今日はナンボ欲しいんだ」と言われた福田隊長は逮捕前には1、2万円程度でしたから本人は五万円のつもりで片手を出したそうです。するとその担当が持ってきたのが50万円。今から50年ほど前の50万ですから相当な額だと思います。福田は「よし、俺の価値が上がってる。ウンコ撒いたら運が付いた」 ってな具合で企業を回るんですね。企業にしてみれば当時は「べ平連」やら「中ピ連」など左翼や胡散臭げな連中が一株株主として騒いでいましたから、防挺の様な右翼団体を利用した訳です。警備会社なんてその頃はないし、民間企業を警察が一々警護する訳には行きませんからね。企業防衛ですが、その後、福田進はマスコミからは「右翼総会屋」と言われる様になって行く訳です。
 この福田進の若さと行動力を認め寵愛したのが隣町の本宮出身の「政財界の黒幕」と言われた児玉誉志夫です。戦前は海軍航空部門の物資調達を任された人物で、「児玉機関」、右翼の大物と言われた人物で、GHQに逮捕され「A級戦犯」。GHQは占領下に日本国内の右翼を潰そうとする訳ですが、大東亜戦争が終わりますと、各地で共産党による革命や暴動が起こるんですね。日本国内でも同じ、GHQは方向転換し、右翼を「反共」の為に利用するんです。同じA級戦犯だった笹川良一も同じです。児玉は戦後、関東軍の闇資金を日本へ持ち帰ったとされています。児玉は鳩山一郎の「日本民主党」の設立資金を提供。その後、「日本民主党」と吉田茂の「自由党」が合併し「自由民主党」が誕生する訳ですが、この自民党の結党資金にも児玉誉志夫の闇資金が使われています。自民党が結党するに当って、児玉が突き付けた条件は唯ひとつ、「自主憲法の制定」だったのです。
 日本国憲法は「平和憲法」と言われますが現在の憲法は実に矛盾だらけで国の基本法としては機能しておりません。この日本国憲法を共産党や社会党、九条の会などの「護憲派」は「世界で唯一の平和憲法」だとよく言いますが、「平和主義」というのは第二次世界大戦後に国連で可決された「不戦条約」が基となっています。米英を始め多くの国が可決し、80か国以上の国が憲法で「平和主義」を謳っています。 イタリア、スペイン、エクアドル、フィリピンには日本と同じ規定がありますし、誤憲派がいう「世界で唯一の平和憲法」というスローガンは誤憲派の驕りであり、単なる無知に他なりません。
 大体、前文では「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して生命の安全と財産を守ろうと決意した」などという下手くそな日本語が書かれていますが、平和を愛する諸国民の公正と信義が本当に全ての人にあるのならば「警察」なんかいらないですね。しかし、現実には警察が存在していますから治安は守られ、生命の安全と財産が護られ公共の福祉が守られているんです。 現憲法というのは前文から意味不明でありまして、また有名な第9条第一項には、「日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または行使は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」と書かれています。国際紛争を武力による威嚇や使用では解決しないという理想は理解出来ます。しかし第2項で、在る筈の軍事力や交戦権という権利を否定しまっているんですね。「前項の目的を達成する上で陸、海、空の戦力は保持しない。また国の交戦権これを認めない」、これに従えば、自衛隊は本来は認められず、憲法違反の存在ということになってしまうのは小学生でも理解出来ます。ならば、改正すればいいんです。憲法を見直し、自衛隊を国軍としての地位を確立させるべきなんです。「集団的自衛権」の憲法解釈以前の問題です。
 現憲法というのは何より、第一条が酷いんですね。「主権在民」「象徴天皇制」を謳っているんですが、「天皇は日本統合の象徴であって、それは主権の存する国民の総意に基づく」と在る訳です。日本共産党は天皇の存在を否定していますから、この第一条は「我々が反対しているのに総意ではないだろう。よって天皇は憲法違反の存在なんだ」という屁理屈を抜かすんですね。無礼にも国会が開催されますと天皇陛下が御臨席遊ばされ、お言葉を述べられる。その際共産党は必ず欠席します。衆参の議長も総理大臣も、こうした共産党の無礼を咎めたこともないんですが、しかし、この共産党の屁理屈は法治国家という日本で、憲法上は正論なんです。だったら、直せばいいんですよ。私は憲法改正派でもなく自主憲法制定派でもなく「第日本帝国憲法復元改正派」なんですが、欽定憲法第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と在るんですが、大日本帝国を「日本国」に代え「日本国は万世一系の天皇が統治する」とすればいいんです。
 政治家が靖國神社への参拝することは第20条違反に問われるものです。しかし、何処の国に国家の為に尊い命を投げ出された英霊に、国民の代表である政治家が感謝の誠を捧げるのは当たり前で、「憲法違反」になってしまうバカげた国が在るでしょうか。靖國神社というのはGHQの統治下で行われた「神道指令」で解体されそうになった訳ですが、智慧で一時的に御祭神を変えGHQの目を逸らす訳です。本来なら昭和27年4月28日、主権が恢復した日に靖國神社や全国の護国神社は宗教法人ではなく国家で管理する様にすべきだったのですが、そうしたことも怠ったのは政治の怠慢、自民党の無能なんです。また、所謂「A級戦犯分祀論」なる問題が度々聞かれますが、これも靖國神社側への政治介入であり威圧行為ですから憲法20条違反になるのです。中曽根を始め「A級戦犯分祀論」を唱える政治家は後を絶ちませんが、最近では前原誠司や石破茂がこの条文に抵触しない様に、畏れ多くも天皇陛下の御親拝という尤もらしい理由を述べています。靖國神社側が自ら静謐な環境をつくることが望ましい」などと言っておりますが、こうした政治介入や威圧行為に靖國神社側が応じることはないでしょう。
 先日、田中真紀子が秋田公立美術大学、札幌保健医療大学、岡崎女子大といった三大学への認可に待ったをかけました。てっきり営利に狂奔する現在の大学の在り方や憲法違反の「私学助成金制度」や、文部省官僚の天下りの構造にメスを入れるのかと思いきや、結局はいつもの通りの単なる思い付きで、大騒ぎになったら直ぐに撤回。尤も朝鮮学校の無償化を謀る田中真紀子だものそこまでの知恵などあるはずはありません。 「公金その他の公の財産は公とは異なる団体や教育に拠出してはならない」と憲法89条にあります。国とは係わり合いに無い私立学校や、或いは朝鮮学校へ血税を投入すること、所謂「私学助成金制度」はこの89条違反なんです。カトリック系の大学では公然と「国旗は侵略の旗だ」とか「君が代は天皇賛美だ」という教育が施されていますが、こうしたことをチェックせずに、なし崩し的に公金を流入して行くというのは如何なものかと思います。
 真紀子の父、田中角栄が日中国交回復をした際、「日華国交条約」を一方的に破棄したんですが、これは明らかな第98条違反です。98条には「如何なる理由があろうとも我が国が締結した条約は破棄してならない」と明記されてます。田中角栄はこれを平然と蹂躙した訳ですが、マスコミからも他の政治家からも誤憲派からも、これを追及されたことはありません。抑々日本が戦ったのは中華民国であり、戦後の昭和24年11月に建国した中華人民共和国ではありません。戦勝国側のカイロ会談には当然蒋介石が出席してるんですね。中華民国とは主権が恢復した27年4月28日の「日華国交条約」を締結し和解が成立しているんです。田中は「日中共同声明」で、「先の大戦では中国国民に甚大な被害を与えた責任を痛感し深く反省する」と述べるんですが、これが歴史認識の悪しき前例になってしまってるんです。安倍総裁は河野談話の見直しを表明していますが、日本の歴史認識の元凶となった田中のこの発言も見直さなければならないと思います。
 憲法の改正要綱が第96条に在ります。日本国憲法は改正出来るんです。しかし、「国会議員の3分の2以上が発議し、国民の過半数の同意」と在りますが現実的には非常に面倒な手続きを要するのです。96条に基づき国会議員が発議すれば「天皇及び摂政、国務大臣、全ての公務員は憲法を遵守しなければならない」との第99条違反に問われます。今迄、国会で憲法論議がされないのは、護憲派がこの条項を楯に抵抗し、他の予算や法案を優先する余り、「私の内閣では憲法を順守します」などといった国民不在の議論が繰り返されて来たのです。 因みに欽定憲法には改正条項はこう書かれて在ります。「国会議員の三分の二の出席且つ三分の二の可決」で憲法は改正出来るんです。国民の代表である国会議員が決めればいいんですよ。国民の同意など必要ありません。
 憲法を見直す絶好の機会は、主権の恢復した昭和27年4月28日だったのですが、25年に「朝鮮戦争」が勃発するんですね。周知の通り、日本が敗れますと、朝鮮半島は38度線より南側を日韓併合前より反日活動をし、大東亜戦争時には米国で反日活動をしていた李承晩が米国の意向で初代大統領に就任、北朝鮮は抗日活動家だった金日成がソ連の傀儡として支配されます。長くなるので近代史は割愛しますが、昭和25年、朝鮮戦争が勃発しますとマッカーサーから吉田茂に手紙が届くんですね。「日本も再軍備を急ぐべし」という内容の手紙です。所謂「マッカーサー文書」。日本の対応は早く、この手紙から一ヶ月後に自衛隊の前身である「警察予備隊」が発足、その後「保安隊」が創られて行くんです。吉田茂はこのままずるずると米国の要請を受け入れれば戦争に巻き込まれるのではと危惧し、ここで日本国憲法を利用するんです。「我々には貴方方が創ってくれた憲法が在る。この憲法は非武装を謳い、武力による国際紛争の解決を否定しているんですよ」とマッカーサーの要請を拒否したんです。朝鮮戦争が停戦するのは昭和28年11月ですから、主権回復した日に憲法改正が出来なかったのはこうした理由です。
 成分憲法のある世界の国の中で最も古いのは1789年の米国ですが、ノルウエー、ルクセンブルグ、スイスと続き、1946年発布の日本は15番目ですが、一字一句改正されていませんから日本国憲法は今や世界で最も古い憲法なのです。大日本帝国憲法は「3分の2以上の出席、且つ3分の2以上の可決」で改正は出来るとしていますが本来ならこれでいいんです。何処の国でも時代の流れに応じて憲法を変えて行くもので、環境問題、情報公開、プライバシー保護、国家の安全等々、憲法を施行した時代からは想像もしなかった程社会は激変している今。一刻も早く現憲法を破棄し、日本国民の手による日本国民の為の憲法制定を急がなくてはならないのです。
 安倍さんは前回の政権時に憲法改正に必要な「国民投票法案」を成立させています。自民党が政権を奪回して先ず安倍総理が目指すものは憲法改正なんですが、今話した様に現憲法は矛盾だらけですから、改正するにも労力も時間も要るんです。石原慎太郎が「現憲法無効論」を主張していますが強ち間違いではありません。
 現在、国会では憲法議論や教育論は語られることなく、「選挙制度改革」やら「国債特例法案」などが尤もらしく議論されていますが、国債法案にしても結局は国債発行の利息を賄うための国債発行では悪循環を売り返すだけなんです。日本の税収は今や40兆円程度。にも拘らず約100兆円の予算を計上しています。医療費だけで約35兆円、残り5兆円では社会保障費も教育費も国防費や公共事業費も、そして年間20兆円という国債の利息分はどうするのか。今や国防費より生活保護費の方が多いということはどう見たって異常なんです。目先の改革をしたところで日本の悪循環を断ち切ることは出来ないんですね。
 昔、薩摩藩に調所笑左衛門という人物がおりました。元々は茶坊主なんですが経理に長けてたということで勘定方に取り入れられるんですが。江戸時代末期、薩摩藩主の島津茂秀は「西洋かぶれ」で有名な殿様で、今でも鹿児島に行きますと「天文館」という地名が在りますが、そうしたものやら「博物全書」など、こういうものにカネを湯水の様に使うんです。そこで出来た借金が500万両、藩の税収はたったの15万両、年間の利息だけで50万両ですからもうどうしようもない訳です。そこで笑左衛門は「借用書を確認したいので登城する様に」債権者に通知を出すんですね。債権者というのは商人、大店です。笑左衛門は借用書を預かると火鉢に中へポンと捨ててしまうんです。驚いたのは商人の債権者、相手は侍ですから怒る訳にもいかない。笑左衛門は藩の事情を説明し、「もう利息は払えない。500万両を年2万両で250年で支払いする」という条件を出し、商人も承知するんですね。その後藩主に就いた島津斉彬が産業を起こし藩の財政を立て直すのですが、その後に薩摩藩は明治維新の主役に躍り出て明治維新の大業が成される訳ですが、笑左衛門のこうした機転がなければ薩摩藩は破綻し、日本の開国も成されなかったかも知れないと思うと、やはり笑左衛門こそ薩摩藩どころか日本を救った英雄ではなかったのではと私は思うんです。因みに年2万両の支払いは約30年間約束通り支払われましたが、廃藩置県で反故されるに至ったのは言うまでもありません。
 また財政再建で有名なのは米沢藩第九代藩士上杉鷹山ですが、鷹山は逼迫する藩の財政を改革に立ち上がりますが、その際、次の言葉を詠んでいます。「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘れまじきは 民の父母」そして鷹山が、先ず手を付けようとしたのが領民の心。「単に帳簿上の赤字を克服すれば財政再建が出来るという訳ではない。今は困窮の余り、この国の人々は目先の利益のことしか考えず、他人のことを思い遣れなくなっている。人々の心にも赤字が生じてしまったのだ。此れを克服しなければ、喩え帳簿上の赤字を克服したとしても、また同じことを繰り返すだろう」 どうですか、現代にも当て嵌まると思いませんか。 二宮尊徳も、「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と訓えていますが、政府が今やるべきことは財政再建も当然ながら、同時に「道徳教育」の徹底を図るべきなのです。道徳教育の第一歩は幼年期の「躾」。そして、日本の道徳教育の根本は「教育勅語」に示されている忠孝の道を確立することです。
 政治家が尊敬されない国は潰れるといいます。日本の政治が三流と言われるのは進歩の無いマスコミに原因が在るんです。オチョクリに乗って何でも腐す。そいいう冷笑的な態度を執ることが真のジャーナリズムだと思っているんですが、こうした低能ジャーナリズムを糺すことは大事なんです。TVが普及して来た際に「一億総白痴化時代が来る」と揶揄されましたが、テレビはなるべく見ないで、新聞や本、今はネットが普及していますから確かな情報を自分自身で読んで、自分自身で判断するということが大事なんです。次の総選挙で自民党が政権の座に就くのは間違いない訳ですからどうか、今日言った憲法の問題を大いに語り、そして自民党綱領に在る志の高い日本人を創ることが大事です。政治でやるべきことは「国防」と「教育」なのです。

 まだまだ話したいことは尽きないのですが、時間になりましたので終了させて頂きます。本日は皆様方の御参会と御静聴を心より感謝申し上げ、私の拙い講演とさせて頂きます。御静聴ありがとうございました。(※文字数に限りがありますので一部削除させて頂き要旨を纏めてみました。御参考に!)

cordial8317 at 07:12│Comments(0)

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