安倍新総裁に期待するものは第九条改正ではないところで、拉致問題担当大臣の田中慶秋って誰よ・・・

2012年10月02日

中学校時代の担任だった寅(高橋寅彦)さんが亡くなった・・・

 先日、釣友であり小中学校の同級生の哲ちゃんと強か飲んで、仕上げに本宮市の洋食レストラン「かなざわ」へピザとナポリタンを食べに立ち寄った。

「今度、寅さんを呼んで『罵詈雑言を浴びせる会』をやりたいねぇ」と話してたら、ママが「寅彦先生、亡くなったって聞きましたよ」と神妙な表情を浮かべた。

「寅さん」とは愚生の中学時代の担任だった高橋寅彦のことで、この店のママも寅彦の教え子。そんなこともあってこの店で寅さんの話題でよく盛り上がったものだ。

 寅彦は名うての日教組組合員で、「オレが国会に出した法案で成立したのが二つあるんだ」が自慢だった。一つは昔は何処の学校にも在った「特殊学級」(ひまわり学級)を廃止させたらしく、もう一つは何だったか忘れてしまった(笑)

 自分が右翼活動家になった要因は、中学時代の担任である高橋寅彦と副担任の遠藤四郎というバリバリの日教組組合員と共産党員の影響が大きい。

 遠藤四郎は教員退職後に日本共産党の市会議員になったことでも何かを況や。その所為か「日教組大会」での抗議活動の際には特に力が入ったものだ(笑) 

 その昔、実家に帰っていた際に、他の学年の同級会に出席していた寅さんと遠藤四郎に遭遇し、雑談やら政治談議をしたことがある。酔っ払ってた遠藤四郎がいきなり、「五郎、オメエは天皇制は絶対だと思ってんのか」と聞いてきた。

「天皇は制度でもないし、天皇は天皇だよ。日本人として生まれ、日本人として恩恵を享けていながら、天皇や皇室を否定する理由はない。それなら、共産主義とはなんだ。矛盾だらけだべ。こないだの『赤旗』の値上げは、労働価値観じゃなく、売上げ低迷からの資本主義の論理だし、ソ連なんてのは絶対崩壊するよ」と応じた。

 序に、「共産党のくせに公務員の給与で家を建てて、安住しながら『革命』もないっての」と愚生。この一言に遠藤四郎は激怒して、「五郎、にしゃとは話しになんねぇ」と席を立ち去ってしまった。残った寅さんは、「五郎、オメエは大したもんだな。俺は退職してから建てたが、遠藤四郎は現役時代に建てたからな(笑)」

 この数年後、愚生の予想通りソ連が崩壊したのは言うまでもない。中学校時代の寅さんは、職員会議での結果如何で様子が分かった。海軍上がりの根本三郎校長と遣り合った時は機嫌が悪く、そのとばっちりをよく受けたものだ。

「おまえら天皇は自分のことを何て呼ぶか知ってるか?」。この質問に同級生はちんぷんかんぷん。そこで愚生は、「朕ですよね!」と応えた。寅彦は唖然とし、褒めるどころかすかさず「そうだ、チンポコのチンだ」というとクラスメイトは爆笑。こういうことを平気でやっていたのが日教組組合員の寅彦だった。

 中間テストが終わり午後から映画鑑賞というある日、給食の食器を片付けていたら、「今、食器を投げたのは誰だ!」と言うなり、ビンタを10発以上打たれたことがあった。教室の前から始まって後ろの席までずっと殴られぱなし(笑)

 今なら生徒への虐待でクビになってたかもな。打たれた愚生はさっぱり意味も分からず、「貴様、帰れ!」というので、「じゃ帰ります、皆さん、さようなら!」と教室を後にし、職員室に寄ってラーメンの出前の注文を取って帰宅した。

 帰り際に寅さんは、「親父じゃねぇ、母ちゃん来る様に言え」と一言。帰ったってそんなこという訳はない。「母ちゃん、中学校の出前の注文貰って来たよ(笑)」

 実家は大衆食堂で、昔の先生方はよく出前を取ったものだった。愚生が小学校時代には、中学校へ出前に行くとおつりを駄賃としてくれた。その先生の一人は、それこそ寅さんと体育の担任だった原先生くらいだったと記憶している。

 職員室に立ち寄っても先生らは何ら不信感を抱くでもなく、「なんだ五郎、帰って出前の手伝いか」と実に大らかな時代だった。帰宅して店の手伝いをしていると突然寅彦が訪れた。親父が「何だ寅さん、顔色悪いが何か用か(笑)」と徐に口を開く。「五郎君の件で・・・」と神妙な顔の寅さんに、親父は忙しい中でも対応した。

「で、何だい、五郎のことってのは」と親父が聞くと、「すいません。最近の五郎君は投げやりだったのでチョッと殴ってしまったんです」の台詞に、親父は「別に五郎が悪いことしたなら殴ればいいが、『すいません』と謝ったところを見ると本当は違うんじゃないのか、寅さんよ(笑)」。流石、町会議員もやってるから返しが巧い。

 これを聞いて寅彦は「すみません」を繰り返すばかり、その後は寅さんの要望通り学校へ戻り映画観賞会。くだらない文部省指定の映画だったと記憶している。

 中学時代に入ってた囲碁将棋クラブも寅彦が担当だった。諍いは多かったが、卒業してからはなんだかんだと言いながらも馬が合ったのも事実。囲碁を再開したし、寅彦に教えを乞おうと思っていただけに突然の訃報は返す返すも残念。

 そういや数年前、寅彦から突然連絡を貰ったことがあった。何やら実弟との遺産相続を巡って土地絡みの諍いがあるらしく、「五郎、アノおっかないのは今もやってんだろ。チョッと若いの使って嚇かしてくれないか」という相談だった。

「寅さんよ。若いのを使えばカネも要るし、俺がちゃんと話してやってもいいが、日教組で共産党員の先生が右翼の教え子を使ったとなったらシャレにならないんじゃね~の」と笑った。その後、寅さんからの相談事は途絶えた(笑)

 副担任の遠藤四郎も一年前に亡くなり二本松の斎場で告別式を行ったという。無神論の共産党員が御経を上げるってのも不思議で、所詮は信念もクソもなかったのだと軽蔑もしたくなるが、寅彦は葬儀も挙げず、戒名も要らず、ひっそりと亡くなったことに「先生、敵ながら天晴!」だったと褒めてやりたい心境になった。合掌。

cordial8317 at 07:13│Comments(2)

この記事へのコメント

2. Posted by 男は狼   2012年10月04日 08:07
合掌
1. Posted by 求道者   2012年10月03日 22:20
こんにちは。
小生の出た小学校も担任教師が全員、ゴリゴリの日教祖か共産党でした。
偏向教育もさることながら「学力低下」にかける執念は凄まじい物がありました。
 好みのアカ児童文学者の作品だけを一年中読ませて教科書は無視、おかげで卒業生の多くが中学の授業内容を理解できず、人生を狂わされました。
 私立・国立中学受験者には「抜け駆けはよくない。地元の公立に行け」と因縁をつけて断念させていましたが、
 卒業した後に年賀状を見て仰天しました。
一人は「息子二人を國學院の付属高校から國學院大学に進ませた」
もう一人は「娘を学習院女子高校から学習院大学、さらに大学院の修士課程にまで進ませた」
と嬉々として自慢しているのです。同窓会会報にまで大はしゃぎで書いているのです。一体どういう了見なのかと思いましたね・・・。
入れるほうも入れるほうですが、確かにこの人たちには信念は無かったと言わざるを得ません。付き合わされた者は悲惨ですが。

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