2012年09月26日
歴史から消された「通州事件」を知っていますか?
日本人は、何故か「南京大虐殺」は知っているが、「通州事件」についは殆ど知らない。北京から東に18キロほど下ったある通州という場所で起きたこの「通州事件」は今迄全く語られることはなく、学校の教科書や歴史書や年表にも載っていない。
「通州事件」は、GHQによって消された歴史と言っても過言ではない。戦後の東京裁判で弁護団は、盧溝橋事件の約三週間後に起こった「通州事件」について、外務省の公式声明を証拠として提出を図るが、ウェッブ裁判長に却下された。
この事件を取り上げることは、日中戦争での日本悪玉論の論拠を失うばかりか、東京裁判を進める上で「通州事件」は実にやっかいで不都合な事件だった。
この通州での虐殺事件を知らずして、この後に日本軍の執った行動は理解出来ないだろうし、日本人にとっては決して忘れてはならない歴史の真実なのだ。
「通州事件」は昭和12(1937)年7月29日に起きた。北京から東に18キロほど下った通州は、明朝時代に城壁が築かれ天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街である。 通州は当時には、日本軍が駐屯しており治安も比較的安定していた。
規律正しく人民に対しても公正な日本軍は、当時の支那の何処の街でも庶民から歓迎されていた。ところが、治安の良いはずのその通州で、昭和11年頃から不穏な空気が漂い始める。最初に騒ぎ始めたのが朝鮮人らだったという。
朝鮮人らは、「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」とか言い触らす。そして、「次は支那を領土にして支那人を奴隷にしようとしている」などと根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴し始める。
昭和12年になるとその流言飛語は益々酷くなり、「日本軍と日本人を追い出さなければならない。いや日本人は皆殺しにしなければなない」と言い出す迄になり、そうした風評は止まることはなく、益々エスカレートし民衆は殺気立った。
そうした仄聞は、現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入ってはいたというが、現地の日本軍は「その様な根も葉もない噂など相手にする必要はない」と問題にしなかった。多くの日本人は物事を客観的に捕らえ様と努力する。
こうした対応は日本人にとっては至極当たり前のことで美徳とも言えるものなのだが、何も反論もせず、怒らないことで朝鮮人や支那人を付け上がらせる結果になってしまうということは、現在の対中、対韓外交でも言えることだろう。
興奮し易く、直ぐに舞い上がり、感情的になるのは古来変わらぬ朝鮮人の特徴であり、支那の工作員にとってこれほど利用し易い民族はいなかっただろう。
昭和12年7月29日午前3時、突然、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊(第一総隊と第二教導総隊)合わせて3000人が、通州にいた日本軍を襲撃する。
通州にいた日本人は380名、内軍関係者は110名、残りは全員が婦女子だった。不意を突かれた日本兵は防戦一方。襲撃開始と同時に日本兵30が死亡した。
必死で日本軍が防戦をしている間に、支那人の学生や朝鮮人が日本人の居留区を襲撃し、日本人居留民26名をたった一日で極めて残虐な方法で虐殺するに至った。
東京裁判で参考人として出廷した、支那駐屯歩兵第2連隊小隊長・桜井文雄証人の証言に由ると。守備隊の東門を出ると、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、同胞の惨たらしい死骸に一同悲憤の極みに達した。
小隊長らが「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査して行くと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が其処彼処のゴミ箱の中や壕の中から続々出てきたという。
ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は14、5歳以上は悉く強姦されており、全く見るに忍びなかった。旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部に箒を押し込んである者や口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。
東門近くの池には首を縄で縛り両手を合わせて鉄線を貫き通し、一家6人数珠繋ぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した。証言した桜井小隊長は事件後に現地に調査に入った人物だが、文中にある旭軒での出来事を全て目撃した女性の体験談もあるが筆舌に尽くし難い。
日本国内では、未だ「日中戦争は日本による侵略戦争」だという自虐史観が蔓延しているが、我が国は「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのであって、支那大陸の侵略が目的ではなかったことは歴史が証明している。
「盧溝橋事件」にしても日本軍が攻撃したのではなく、中国共産党の謀略であることは今や明らか。上海に駐留していた日本海軍陸戦隊への事件も、中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は日本軍ではなく中国共産党だったのだ。
日本人は「日中戦争は日本の侵略だった」などと鵜呑みにしないで、戦争の発端となったこの事件の真相や日中戦争が泥沼化していく事実を知ることは大事だ。
「日中戦争も第二次世界大戦も日本の侵略戦争だ」と言って憚らない石破茂が次期自民党総裁に就任する勢いだが、自虐史観逞しい石破総裁じゃ自民党崩壊だろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
《会費&御支援》みずほ銀行 郡山支店 普1464729 ニッポンロンダンクラブ。年会費一般30000円(月2500円)。法人120000円。協賛会員300000円~。
「通州事件」は、GHQによって消された歴史と言っても過言ではない。戦後の東京裁判で弁護団は、盧溝橋事件の約三週間後に起こった「通州事件」について、外務省の公式声明を証拠として提出を図るが、ウェッブ裁判長に却下された。
この事件を取り上げることは、日中戦争での日本悪玉論の論拠を失うばかりか、東京裁判を進める上で「通州事件」は実にやっかいで不都合な事件だった。
この通州での虐殺事件を知らずして、この後に日本軍の執った行動は理解出来ないだろうし、日本人にとっては決して忘れてはならない歴史の真実なのだ。
「通州事件」は昭和12(1937)年7月29日に起きた。北京から東に18キロほど下った通州は、明朝時代に城壁が築かれ天津からの集荷の拠点として栄えた運河の街である。 通州は当時には、日本軍が駐屯しており治安も比較的安定していた。
規律正しく人民に対しても公正な日本軍は、当時の支那の何処の街でも庶民から歓迎されていた。ところが、治安の良いはずのその通州で、昭和11年頃から不穏な空気が漂い始める。最初に騒ぎ始めたのが朝鮮人らだったという。
朝鮮人らは、「日本は悪い国だ、朝鮮を自分の領土にして朝鮮人を奴隷にしている」とか言い触らす。そして、「次は支那を領土にして支那人を奴隷にしようとしている」などと根拠のないデタラメを半ば公然と吹聴し始める。
昭和12年になるとその流言飛語は益々酷くなり、「日本軍と日本人を追い出さなければならない。いや日本人は皆殺しにしなければなない」と言い出す迄になり、そうした風評は止まることはなく、益々エスカレートし民衆は殺気立った。
そうした仄聞は、現地に駐屯していた日本軍にの耳にも入ってはいたというが、現地の日本軍は「その様な根も葉もない噂など相手にする必要はない」と問題にしなかった。多くの日本人は物事を客観的に捕らえ様と努力する。
こうした対応は日本人にとっては至極当たり前のことで美徳とも言えるものなのだが、何も反論もせず、怒らないことで朝鮮人や支那人を付け上がらせる結果になってしまうということは、現在の対中、対韓外交でも言えることだろう。
興奮し易く、直ぐに舞い上がり、感情的になるのは古来変わらぬ朝鮮人の特徴であり、支那の工作員にとってこれほど利用し易い民族はいなかっただろう。
昭和12年7月29日午前3時、突然、通州にいた冀東防共自治政府の保安隊(第一総隊と第二教導総隊)合わせて3000人が、通州にいた日本軍を襲撃する。
通州にいた日本人は380名、内軍関係者は110名、残りは全員が婦女子だった。不意を突かれた日本兵は防戦一方。襲撃開始と同時に日本兵30が死亡した。
必死で日本軍が防戦をしている間に、支那人の学生や朝鮮人が日本人の居留区を襲撃し、日本人居留民26名をたった一日で極めて残虐な方法で虐殺するに至った。
東京裁判で参考人として出廷した、支那駐屯歩兵第2連隊小隊長・桜井文雄証人の証言に由ると。守備隊の東門を出ると、殆ど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっており、同胞の惨たらしい死骸に一同悲憤の極みに達した。
小隊長らが「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査して行くと、鼻に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が其処彼処のゴミ箱の中や壕の中から続々出てきたという。
ある飲食店では一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されていた。婦人という婦人は14、5歳以上は悉く強姦されており、全く見るに忍びなかった。旭軒では7、8名の女は全部裸体にされ強姦刺殺されており、陰部に箒を押し込んである者や口中に土砂をつめてある者、腹を縦に断ち割ってある者など、見るに耐えなかった。
東門近くの池には首を縄で縛り両手を合わせて鉄線を貫き通し、一家6人数珠繋ぎにして引き回された形跡歴然たる死体があった。池の水が血で赤く染まっていたのを目撃した。証言した桜井小隊長は事件後に現地に調査に入った人物だが、文中にある旭軒での出来事を全て目撃した女性の体験談もあるが筆舌に尽くし難い。
日本国内では、未だ「日中戦争は日本による侵略戦争」だという自虐史観が蔓延しているが、我が国は「北京議定書」に基づき在留邦人保護の為に軍隊を駐屯させていたのであって、支那大陸の侵略が目的ではなかったことは歴史が証明している。
「盧溝橋事件」にしても日本軍が攻撃したのではなく、中国共産党の謀略であることは今や明らか。上海に駐留していた日本海軍陸戦隊への事件も、中国共産党が仕掛けた戦争であり、つまり侵略者は日本軍ではなく中国共産党だったのだ。
日本人は「日中戦争は日本の侵略だった」などと鵜呑みにしないで、戦争の発端となったこの事件の真相や日中戦争が泥沼化していく事実を知ることは大事だ。
「日中戦争も第二次世界大戦も日本の侵略戦争だ」と言って憚らない石破茂が次期自民党総裁に就任する勢いだが、自虐史観逞しい石破総裁じゃ自民党崩壊だろう。
※コメントは返信するのも煩わしいので会員のみにさせて頂いております。コメント及びメッセージ、御意見御感想、近況報告などは mr.cordial@live.jp へ。
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cordial8317 at 06:10│Comments(2)
この記事へのコメント
2. Posted by 一般人 2012年09月30日 03:43

自分達がやったことを日本軍のせいにして、今なお強請とたかりの材料にする
内容も…壮絶で、でも中韓の性根が分かった今では、獣の肉を日常的に食べてきた民族ならやりかねないと納得 魚を食べる農耕民族にこの残虐さはないと思う
米国も戦後日本が力を付けないよう、隠れて検閲し言論統制をしいた 許せない
竹島も尖閣もこの通州事件も米国が記録を示して事実を言える立場にあるのに知らんふり
在日朝鮮人が戦後国内で暴れても好きにさせてたとか
嘘の歴史を教え込まされ、自虐で自信を無くした私達が、日本人の為の日本を取り戻す事が出来ますように
1. Posted by 男は狼 2012年09月26日 10:14
中国には怖くて旅行できませんね。
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