2012年09月17日
石破茂よ、それでも靖國には参拝しないのですか!
その昔、「政治倫理の確立」を訴え、理路整然と憲法を語り、国防を論じる石破茂に衝撃を覚え、こうした国家観を持った政治家の出現を嬉しく思った。だが、その後に自民党を離党し、改革の会に参加した辺りからメッキが剥がれ始める。
「新党みらい」「自由党」「自由改革連合」を経て、「新進党」の結成に参画したものの、自民党に復党する。小沢一郎との確執とも言われてはいたが、石破と小沢と共通する部分も多い。中共に阿ることに於いては小沢を凌ぐのではなかろうか。
「田母神論文」では、田母神俊雄元幕僚長に対しての異常ともいえる反論は記憶に新しい。回りくどい物言いをよくよく聞けば戦後民主主義の自虐史観そのもの。
石破は、第二次世界大戦は日本による「侵略戦争」と断じて、大東亜共栄圏が「侵略戦争遂行の為の詭弁でしかなかった」との歴史認識を幾度となく示している。
「今迄に靖國神社には参拝したことがないし、これからも参拝するつもりはない」と公言して憚らず、内閣総理大臣の靖國神社参拝に反対を表明し、更には「A級戦犯の分祀」を主張している大バカ者で性悪な左翼のクソどもと大して変わらない。
石破は、靖國問題について「分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などと、畏れ多くも陛下を利用し詭弁を弄するが、抑々、我が国には「A級戦犯」「B・C級戦犯」とか「戦争犯罪人」は存在しないことすら理解していない。
我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日に開催された第十六国会の議決に由り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正されたことを以て法的に復権されている。
連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称されるべき方々である。靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。石破よ、何が「戦犯」か、政治家として国会決議を無視するのか。
今迄にも中曽根康弘や小沢一郎ら曲学阿世の大馬鹿者が、韓国や中共の内政干渉に屈して、A級戦犯と呼称した挙句、英霊を戦争犯罪人と断じ、「分祀論」を提言して国民を撹乱しているが、「分祀論」こそ国を誤る最も危険な愚論である。
こうした主張が左翼陣営や共産党ではなく、保守を標榜する議員から発せられること自体が実に悪質且つ危険なものであると危惧する国民は少なくない。
最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等になる様な行為をいう。つまり、「A級戦犯分祀論」こそ靖國神社への圧迫干渉である。
石破らの分祀論こそ政教分離規定の「憲法20条・第3項」違反である。国会議員として平然と憲法を蹂躙していながら何が日本再生か、何が保守か、恥を知れ。
昭和54年(1979年)4月19日、朝日新聞社ら報道各社はA級戦犯が合祀されていたと一斉に報道する。これは、大平正芳総理大臣(当時)の靖國神社春季例大祭への参拝を牽制しようと問題にしたのが始まりである。これらの騒動を中韓が便乗しただけで、靖國問題は中韓の事情ではなく実は国内事情によるものなのだ。
石破と同じクリスチャンの大平総理は、記者から靖國参拝について問われると、「人がどう見るか、私の気持ちで行くのだから批判はその人に任せる」と述べている。大平首相の見識の高さは分祀論を唱える石破とはエライ違いだ。
同年6月5日、参議院内閣委員会で大平総理は靖國神社参拝の道義について、「A級戦犯、或るいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史が致すであろうという様に私は考えております」と述べ、同年8月15日に、靖國神社に参拝した。
歴代続いた靖國参拝を中止に追い込んだ張本人は中曽根康弘である。靖國神社公式参拝というパフォーマンスに中共から抗議が来ると直ぐに撤回して謝罪した。
その後、中曽根は「就学生10万人計画」を打ち出して中共に媚びを売ると、シナ人留学生への優遇政策を謀った。その結果、我が国を不良シナ人の犯罪天国にして、日本国内の刑務所をシナ人犯罪者で満員にしたのだが、その元凶は中曽根である。
石破もまた中曽根同じく「保守」を自任しているが、こうした似非保守が世論を攪乱し、我が国を亡国へと導いて行く。「国防」とは領土を守ることだけではない。国體や皇統、国柄は当然ながら「それがなくなれば日本ではなくなってしまう」ものを守ることが「国防」である。軍事オタクの石破には理解し難いか(苦笑)
「新党みらい」「自由党」「自由改革連合」を経て、「新進党」の結成に参画したものの、自民党に復党する。小沢一郎との確執とも言われてはいたが、石破と小沢と共通する部分も多い。中共に阿ることに於いては小沢を凌ぐのではなかろうか。
「田母神論文」では、田母神俊雄元幕僚長に対しての異常ともいえる反論は記憶に新しい。回りくどい物言いをよくよく聞けば戦後民主主義の自虐史観そのもの。
石破は、第二次世界大戦は日本による「侵略戦争」と断じて、大東亜共栄圏が「侵略戦争遂行の為の詭弁でしかなかった」との歴史認識を幾度となく示している。
「今迄に靖國神社には参拝したことがないし、これからも参拝するつもりはない」と公言して憚らず、内閣総理大臣の靖國神社参拝に反対を表明し、更には「A級戦犯の分祀」を主張している大バカ者で性悪な左翼のクソどもと大して変わらない。
石破は、靖國問題について「分祀が実現すれば天皇陛下が御親拝出来る環境が整う」などと、畏れ多くも陛下を利用し詭弁を弄するが、抑々、我が国には「A級戦犯」「B・C級戦犯」とか「戦争犯罪人」は存在しないことすら理解していない。
我が国が主権を恢復した昭和27年4月28日に開催された第十六国会の議決に由り「戦傷病者戦没者遺族援護法」が改正されたことを以て法的に復権されている。
連合国側が定めた、A、B、C級の区分に関係なく、刑死・獄中死された方は「法務死」と称されるべき方々である。靖國神社では「昭和殉難者」として御祀りしている。石破よ、何が「戦犯」か、政治家として国会決議を無視するのか。
今迄にも中曽根康弘や小沢一郎ら曲学阿世の大馬鹿者が、韓国や中共の内政干渉に屈して、A級戦犯と呼称した挙句、英霊を戦争犯罪人と断じ、「分祀論」を提言して国民を撹乱しているが、「分祀論」こそ国を誤る最も危険な愚論である。
こうした主張が左翼陣営や共産党ではなく、保守を標榜する議員から発せられること自体が実に悪質且つ危険なものであると危惧する国民は少なくない。
最高裁が示した憲法の禁止する「宗教的活動」の定義は、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫等になる様な行為をいう。つまり、「A級戦犯分祀論」こそ靖國神社への圧迫干渉である。
石破らの分祀論こそ政教分離規定の「憲法20条・第3項」違反である。国会議員として平然と憲法を蹂躙していながら何が日本再生か、何が保守か、恥を知れ。
昭和54年(1979年)4月19日、朝日新聞社ら報道各社はA級戦犯が合祀されていたと一斉に報道する。これは、大平正芳総理大臣(当時)の靖國神社春季例大祭への参拝を牽制しようと問題にしたのが始まりである。これらの騒動を中韓が便乗しただけで、靖國問題は中韓の事情ではなく実は国内事情によるものなのだ。
石破と同じクリスチャンの大平総理は、記者から靖國参拝について問われると、「人がどう見るか、私の気持ちで行くのだから批判はその人に任せる」と述べている。大平首相の見識の高さは分祀論を唱える石破とはエライ違いだ。
同年6月5日、参議院内閣委員会で大平総理は靖國神社参拝の道義について、「A級戦犯、或るいは大東亜戦争というものに対する審判は歴史が致すであろうという様に私は考えております」と述べ、同年8月15日に、靖國神社に参拝した。
歴代続いた靖國参拝を中止に追い込んだ張本人は中曽根康弘である。靖國神社公式参拝というパフォーマンスに中共から抗議が来ると直ぐに撤回して謝罪した。
その後、中曽根は「就学生10万人計画」を打ち出して中共に媚びを売ると、シナ人留学生への優遇政策を謀った。その結果、我が国を不良シナ人の犯罪天国にして、日本国内の刑務所をシナ人犯罪者で満員にしたのだが、その元凶は中曽根である。
石破もまた中曽根同じく「保守」を自任しているが、こうした似非保守が世論を攪乱し、我が国を亡国へと導いて行く。「国防」とは領土を守ることだけではない。国體や皇統、国柄は当然ながら「それがなくなれば日本ではなくなってしまう」ものを守ることが「国防」である。軍事オタクの石破には理解し難いか(苦笑)
cordial8317 at 08:22│Comments(0)
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