2012年02月20日
愛犬・陽太(ヨーダ)逝く!

愛犬・陽太(ヨーダ)ことジャンダーム・オブ・コーサイ・JP。来月12日で17歳の誕生日だったが、惜しらくも昨日永遠の眠りに就いた。
寿命の短いパグ犬にしては大往生だったと思う。ホント世話のかかるヤツだったが、陽太の御蔭で色々と愉しい生活を送れた、本当に有難う。
倅が小学校時代にペットを飼うことにした。今でも譲って貰った日の光景を思い出す。乳離れもしていない様な二匹のパグの内の、大人しそうな一方を気に入り抱き上げると「俺の方がイイぞ」と猛アピールしてきたのが「陽太」だった。
何故に五月蝿い方を選んだのか。それも運命だったのだろう。当時は市営住宅に住んでいて、勿論だがペット禁止。散歩に行くのも一苦労。隠そうと思っても近所にはバレバレで、それでも倅が高校へ入る迄の約5年間を団地で過ごした。
大槻公園や逢瀬公園ではよく遊んだが、怪我もしょっちゅうで、1歳の頃だったか遊んでて爪が剥がれ、近所の動物病院へ運んだが、ここがとんだヤブ医者で、その後の爪切りは寝たきりになる迄ホント大変だった(笑)
倅が高校に入り、通学が楽な様にと引越した。ペットOKだと思って契約した借家も、後になってペットがダメだと知るも、大家に隠れて飼うことにした。
他の犬と違って余程のことがないと吠えることはないので迷惑を掛けることは無かったと思うが、周りの住人も知って知らないフリをしていたのだろう(笑)
元気だった陽太だったが、三年ほど前から歩くのが困難になり、東日本大震災の頃からは寝たきりになった。地震の時も愚生と一緒に炬燵に入ってた。
大きな揺れに炬燵を覗くと、見えなくなった目で愚生の方をジッ~と見ていたのを思い出す。陽太を抱えて外に出ようと思ったが、外には大家の息子夫婦らもいるし、部屋で揺れの収まるのをジッと待った。今でもその光景は忘れない。
二年前に倅夫婦に子供が出来て、その孫が遊びに来ると、彼方此方と遊び回るので、陽太の方は孫が嫌いだった様だ。先日、孫が久しぶりに遊びに来たが、陽太はもうライバル意識も逃げ回る体力もなく、孫にされるが儘にしていた。
そんな孫が陽太を見るなり「師匠」と呼んでいたのには思わず笑った。その後は陽太の体調が徐々に芳しくなくなった。その頃に愚生も所属団体を辞したのだが、今考えると愛犬・陽太の介護に専念する為に辞めた様にも感じる。
歩けないから当然トイレも自分じゃ出来ない。定期的に腹を押して尿をや糞を出させ、水や食事なども吠え方で何をして欲しいのか分かる様になった。
半年前くらいからはその声も出なった。介護はホント大変だったが生きてるというだけで嬉しかった。だが、2、3日前から食も細くなったというか食べない。
昨日はワカサギ釣りに出掛けたが、その前にシッコさせて、水も飲ませたが、飲むことも出来ず、愈々かなぁと覚悟は決めていたが別れは突然やって来た。
夕方、陽太に「帰って来たぞ!」と頭を撫でると、出ない声で「ホーッ」と二回吠えると、眠る様に息を引き取った。「ホー」という掠れた声は、「今までホントに有難う」と言ってる様にも感じたが、感謝するのはこっちの方だ。
「何れの道にも別れを悲しまず」とは剣豪・宮本武蔵の言葉だが、酒を嫌いな人が「我、酒を絶つ」或いはタバコを吸わない者が「タバコを絶つ」などと書かない。
武蔵は寧ろ、人一倍感情豊かで熱血漢だっただろう。男は斯く在るべきだと常々思っていたが、ペットとはいえ家族を失った悲しさは余りにも大き過ぎる。
陽太、享年16歳11ヶ月。色々とホントに有難う!合掌。
cordial8317 at 07:26