2012年02月10日
世界的大偉業だった「日露戦争」
明治37年(1904年)2月10日、日本は当時世界最大の軍事大国だったロシアと民族の生死を賭けた戦いを開始した。一年半にも及ぶ強国との大戦に我が国は奇跡的とも言える勝利を収め、極東小国日本の存在を世界に知らしめた。
日本大勝利の報は、戦いを固唾を呑んで見守っていた世界の人々を驚嘆させたのは言うまでもない。日露戦争での日本の勝利は、ロシアから占領・弾圧されていたフンランド、トルコ、ポーランドといった国々や、有色人種と差別されていた民族に、国と民族の存在を決定的に変える影響を齎したのである。
15世紀の大航海時代以来、白人による世界制覇の滔々たる流れが、日露戦争の勝利によって大きく変化し、全世界の有色人種に与えた影響は強烈なもだった。
印度のガンジー、ビルマのオマッタ、フィリピンのリカルテ、ベトナムのファン・ボイ・チャウ、エジプトのムスタファ・カミール、トルコのケマル・パシャなど挙げれば限が無いが、世界の各地で日本の勝利に狂喜し、有色人種が白人に劣らないことに確信を持ち、各地で独立運動が湧き上がった。
米国でも、日露戦争後に黒人に人種平等の自信を与え、黒人解放運動の支えとなり、黒人誌「インディアナポリス・フリーマン」は当時、次の様な社説を掲げた。
「東洋のリングで黄色い男達のパンチが白人を打ちのめし続けている。事実ロシアは繰り返し何度も日本人にこっぴどくやられて、セコンドは今にもタオルを投げ入れ様としている。有色人種がこの試合をものにするには、もう時間の問題だ。長く続いた白人優位の神話が、遂に今突き崩され様としている」
それから15年後、パリ講和会議に於いて我が国は、国際連盟規約に「人種平等の原則」を入れる提案を行うこととなった。日本の全権使節団が、パリに向かう途中、ニューヨークに立ち寄った折に、黒人指導者4人が「世界のあらゆる人種差別と偏見を無くす事に尽力して欲しい」という嘆願書を日本の全権団に提出した。
だが、こうした黒人の願いも米国大統領ウイルソンが議長を務めるパリ講和会議で拒絶されてしまう。日本人を始めとした有色人種への偏見が原因。日露戦争が齎した歴史的課題の本格的実現は、大東亜戦争を待たなければならなかった。
先の大戦で我が国は敗れはしたが、大東亜戦争後「人種平等の原則」という歴史的使命は果たされる。如何に大東亜戦争が「聖戦」であったかが理解出来よう。
世界史にとっても日本史にとっても重要な出来事が、何故か日本では余りにも軽く扱われているが、先人の「誠心」こそ、民族の魂の記憶として、誇り高く永く後世に継承して往かなければならない。すめらぎいやさか。
cordial8317 at 08:44