2012年02月10日
今日は日露戦争の「開戦記念日」
今日2月10日は「日露戦争」の開戦記念日。民族の生死を賭けた戦いが行われた日だ。明治天皇の御遺徳と明治人の気概と誇りに感謝せずにはいられない。
明日は「紀元節」。國士舘大学時代の右翼現役の頃から、紀元節には明治神宮へ参拝したものだが、平成16年に明治神宮が神社本庁から離脱し、一宗教法人となった以降は明治神宮参拝を取り止め、靖國神社にて建国祭を行っていた。
現在は団体を引退し、紀元節には近所の神社で神武肇国の精神を偲んでいる。明日は、安積国造(あさかくにつこ)神社で「建国祭」が挙行され、奉祝パレードも行われるというし、参加してみようとも思っているが、熟慮中だ。
明治神宮は、神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしているが、神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのは明らかだ。
明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であり、それを私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態といえよう。
本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神(かんながら)の道だ。宗教法人の規定では、教祖と経典と布教活動の三条件が必要で有るが、明治神宮はその何れも該当していないのに宗教法人になるのは如何だろう。
神社本庁から離脱し一宗教法人となることは、神宮建立の趣旨から鑑みても逸脱しており、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るものである。
それにも況して問題なのは神職に携わる者が営利に奔っている事実で、神社庁に属さなくても独立採算出来るというその姿は実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては実に不謹慎過ぎると断じざるを得ない。
明治神宮が一宗教法人となることは、現在宗教法人となっている靖國神社や護国神社の立場とは違う。靖国神社や護国神社が宗教法人となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った智慧でである。
本来ならば昭和27年4月28日に主権快復した折に、国として護持すべき施設であったのだ。明治神宮の神社庁離脱は神道指令や占領政策を容認するもので、営利主義は蔓延する拝金主義を助長するものだ。明治神宮へは猛省を促したい。
明日は「紀元節」。國士舘大学時代の右翼現役の頃から、紀元節には明治神宮へ参拝したものだが、平成16年に明治神宮が神社本庁から離脱し、一宗教法人となった以降は明治神宮参拝を取り止め、靖國神社にて建国祭を行っていた。
現在は団体を引退し、紀元節には近所の神社で神武肇国の精神を偲んでいる。明日は、安積国造(あさかくにつこ)神社で「建国祭」が挙行され、奉祝パレードも行われるというし、参加してみようとも思っているが、熟慮中だ。
明治神宮は、神社庁からの離脱の理由として、平成16年4月、陛下の御親拝なされる際の関係者への案内状に「陛下」を「殿下」と誤記してしまった責任を取って離脱したとしているが、神社庁での主導権争いや確執の末の離脱というのは明らかだ。
明治神宮は周知の通り、国民の総意により、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲び創建された神社であり、それを私物化し、営利至上主義に奔っている現状は正に憂慮すべき事態といえよう。
本来、神社=神道とは宗教ではなく、日本人の心に清む惟神(かんながら)の道だ。宗教法人の規定では、教祖と経典と布教活動の三条件が必要で有るが、明治神宮はその何れも該当していないのに宗教法人になるのは如何だろう。
神社本庁から離脱し一宗教法人となることは、神宮建立の趣旨から鑑みても逸脱しており、先人の努力も、国民の総意も踏み躙るものである。
それにも況して問題なのは神職に携わる者が営利に奔っている事実で、神社庁に属さなくても独立採算出来るというその姿は実に醜く、明治天皇と憲昭皇太后の御遺徳を偲ぶ神社としては実に不謹慎過ぎると断じざるを得ない。
明治神宮が一宗教法人となることは、現在宗教法人となっている靖國神社や護国神社の立場とは違う。靖国神社や護国神社が宗教法人となっているのは、戦後GHQの「神道指令」を免れる為に已む無く採った智慧でである。
本来ならば昭和27年4月28日に主権快復した折に、国として護持すべき施設であったのだ。明治神宮の神社庁離脱は神道指令や占領政策を容認するもので、営利主義は蔓延する拝金主義を助長するものだ。明治神宮へは猛省を促したい。
cordial8317 at 08:38