2011年11月23日
今日は「新嘗祭」収穫を祝い神に感謝を捧げよう!
今日11月23日は「勤労感謝の日」。祝日法には「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」となっている。
旧くは「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」として、11月下旬の卯の日に斎行され、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。
GHQの「神道指令」などもあって、昭和23年に名称を「勤労感謝の日」に改められた。因みに天皇の即位後初めて行うものを「大嘗祭(だいじょうさい)」という。宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行う。
県内でも「山ノ神講」として収穫を祝う行事が各地で行われるが、要は仲間同士が集まっての飲み会だ。俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様も奥様も同じだろう。
農水省の発表では、一等米比率が年々低下し、コメ農家の収入に深刻な影響を及ぼしているという。今年は米価が下落し人気のコシヒカリは随分と安価になった。
価格が下がったことで、量販店や外食産業からの引き合いも増えていると言うから消費者とっては嬉しい限りだが、生産者農家にしてみりゃ喜んでもいられない。
今迄、安い不味い古米や輸入米を購入していた人が、福島や新潟などの一等米の味を覚えて、それ消費拡大になれば御の字だが、生産者にしてみれば米価安での減収は、戸別所得保障制度で補填されるとはいえ気の毒と言う他はない。
米というのは手間暇を考えればそんなに高いものではない。多少高くても地元の米を購入することが延いては地域活性に繋がると言うことを知るべきなのだ。
政府はTPP参加を表明し、農水産業や農山漁村関係者が死活問題だとして反対するのは理解出来るが、如何に日本のものが安全で美味しく、且つ「地産地消」こそが地域を活性化させるものだとの認識を共有し啓蒙する事こそが大事である。
今迄にも安易に中国などから農産物の輸入し、色々と問題が発覚しているが、TPP参加に因って、益々日本の農業は衰退の一途を辿るであろうことは火を見るより明らかで、日本人が当り前に食べている日本の米が消えるかも知れないのだ。
そういう意味でもTPP参加は「百害あって一利なし」。国策としての農業振興と食の安全保障や食料自給率の向上は急務だが、政府や国会議員など頭の中は景気対策やその場凌ぎの偽善ばかりで、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。
「農業」とは愛郷心や祖国愛に繋がるもので、作り手も愛情がそこには無くてはならないのだ。世界各国も「農業」に対しては保護政策が行われているが、こうした対策は「農は国の本」ということを自覚しているからである。
ところが我が国は、戦後GHQに拠り「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国である米国の戦略に嵌った農業をカネ儲けと考える様になってしまった。更に今、米国主導のTPPに参加しようなどとは狂気の沙汰と言う他はない。
国防という国家の大本を米国に委ねた儘で軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず真の独立国家といえるのだろうか。国造りと農業の関係を経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したものと誹られても仕方ないだろう。
我々は「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し自給率向上を真剣に考えるべきだ。「TPP問題」や「東日本大震災」は、戦後の魂無き経済的繁栄に終止符を打つべき天佑神助なのかも知れない。
本日は、「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」であり、豊穣の秋に感謝しつつ、家族や仲間と一献やりつつ、我が国の生い立ちと将来の郷土の在るべき姿を語り合っては如何ですか。
旧くは「新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)」として、11月下旬の卯の日に斎行され、明治6年以降は11月23日に執り行われることとなった。
GHQの「神道指令」などもあって、昭和23年に名称を「勤労感謝の日」に改められた。因みに天皇の即位後初めて行うものを「大嘗祭(だいじょうさい)」という。宮中では天皇陛下が新穀を神々に供え、厳かに儀式を執り行う。
県内でも「山ノ神講」として収穫を祝う行事が各地で行われるが、要は仲間同士が集まっての飲み会だ。俗に、口喧しくなった愚妻を「山の神」とも揶揄するが、頭が上がらず、いつも感謝しているという意味では神様も奥様も同じだろう。
農水省の発表では、一等米比率が年々低下し、コメ農家の収入に深刻な影響を及ぼしているという。今年は米価が下落し人気のコシヒカリは随分と安価になった。
価格が下がったことで、量販店や外食産業からの引き合いも増えていると言うから消費者とっては嬉しい限りだが、生産者農家にしてみりゃ喜んでもいられない。
今迄、安い不味い古米や輸入米を購入していた人が、福島や新潟などの一等米の味を覚えて、それ消費拡大になれば御の字だが、生産者にしてみれば米価安での減収は、戸別所得保障制度で補填されるとはいえ気の毒と言う他はない。
米というのは手間暇を考えればそんなに高いものではない。多少高くても地元の米を購入することが延いては地域活性に繋がると言うことを知るべきなのだ。
政府はTPP参加を表明し、農水産業や農山漁村関係者が死活問題だとして反対するのは理解出来るが、如何に日本のものが安全で美味しく、且つ「地産地消」こそが地域を活性化させるものだとの認識を共有し啓蒙する事こそが大事である。
今迄にも安易に中国などから農産物の輸入し、色々と問題が発覚しているが、TPP参加に因って、益々日本の農業は衰退の一途を辿るであろうことは火を見るより明らかで、日本人が当り前に食べている日本の米が消えるかも知れないのだ。
そういう意味でもTPP参加は「百害あって一利なし」。国策としての農業振興と食の安全保障や食料自給率の向上は急務だが、政府や国会議員など頭の中は景気対策やその場凌ぎの偽善ばかりで、真剣に「農」を考える言葉は発せられない。
「農業」とは愛郷心や祖国愛に繋がるもので、作り手も愛情がそこには無くてはならないのだ。世界各国も「農業」に対しては保護政策が行われているが、こうした対策は「農は国の本」ということを自覚しているからである。
ところが我が国は、戦後GHQに拠り「農本主義」的国家観は排除され、大輸出国である米国の戦略に嵌った農業をカネ儲けと考える様になってしまった。更に今、米国主導のTPPに参加しようなどとは狂気の沙汰と言う他はない。
国防という国家の大本を米国に委ねた儘で軍事的安全保障でも自立出来ず、食料安保でも自立出来ず真の独立国家といえるのだろうか。国造りと農業の関係を経済論で語ることは、国家や郷土愛を放棄したものと誹られても仕方ないだろう。
我々は「平成の農本主義」を構築する為にも、安易な輸入物の購入を拒否し、国産物を購入し自給率向上を真剣に考えるべきだ。「TPP問題」や「東日本大震災」は、戦後の魂無き経済的繁栄に終止符を打つべき天佑神助なのかも知れない。
本日は、「神々の加護と人々の勤労によって可能になる万物の生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」であり、豊穣の秋に感謝しつつ、家族や仲間と一献やりつつ、我が国の生い立ちと将来の郷土の在るべき姿を語り合っては如何ですか。
cordial8317 at 07:24