2011年11月16日
北朝鮮のプロパガンダに利用されたW杯サッカー予選
「サッカーW杯ブラジル大会アジア3次予選第5戦」という長ったらしい試合が、北朝鮮平壌の「金日成競技場」で行われ、日本チームが北朝鮮に1-0で敗れた。
拉致問題が解決の兆しすら見えない中で「政治とスポーツは別」と言わんばかりに、日本人サポーターの北朝鮮への出国を許可し、挙句に北朝鮮に敗北してりゃ世話ないっての。出場をボイコットすることは出来なかったのだろうか。
「政治問題をスポーツに絡めるのは止めるべき」との声を聞くが、昨日の試合こそ北朝鮮の政治的デモンストレーションであり、プロパガンダそのものだろう。
日本人同胞が拉致されて、北朝鮮内で塗炭の苦しみを強いられていることを歯牙にも掛けない様なスポーツマンシップなどんぞ必要ないし、国益さえ害すものだ。
1980(昭和55)年、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や西側諸国がモスクワオリンピックのボイコットを決め、我が国もそれに同調した。
ボイコットで当時金メダル確実と言われた柔道の山下康裕やレスリングの高田裕司、マラソンの瀬古利彦、水泳の長崎宏子、男子体操といった選手が涙を呑んだ。
山下選手は涙を流し、「個人ででも出場したい」とインタビューで答え、その言動は批判を招いた。スポーツが政治に利用されることは往往にして在ることだ。
有名なのが、1936年のドイツのベルリンオリンピックだろう。「オリンピックはユダヤの祭典だ」と開催に難色を示していたヒトラーだが、オリンピックがプロパガンダに利用出来ることを知ったヒトラーはオリンピックを開催を実行する。
米国や英国はヒトラーのナチスドイツの人種差別などを批判し、ボイコットを示唆していたが、「政治とスポーツは別」だとして最終的には出場を決めた。
結果、ベルリンオリンピックは成功裏に終わり、ヒトラーの政治的パフォーマンスとプロパガンダはまんまと成功した。オリンピックを成功裏に終れば、ヒトラーも大人しやかになるだろうとの米英の思惑は脆くも崩れ去ったのである。
オリンピック後、ヒトラーはラインラントへ侵攻し、スペインへ大量の爆撃機を送り、2年後にはオーストリアを併合し、ズデーデン地方へも侵攻。その翌年の1939年9月にはポーランドに侵攻し、終に第二次世界大戦が勃発するに至った。
歴史家の間ではドイツのポーランド侵攻とされているが、歴史家で元駐日大使のライスシャワーは、このポーランド侵攻の2年前の1937年の上海での中国軍による日本海軍への全面攻撃こそが第二次世界大戦の始まりだと主張している。
条約上の権利の下に上海に駐留していた2500人の日本海軍「上海特別陸戦隊」に対し、1936年8月13日、12万以上の中国軍は全面攻撃を行なった。これこそが第二次世界大戦の始まりとの主張は蓋し正鵠を射ている。この1936年8月13日というのは、実はベルリンオリンピックが開催されていた時期と重なるのだ。
「政治とスポーツは別」だとの主張こそ「平和ボケ」の象徴であり、こうした世論誘導は、マスコミが放映権や放送権を欲しいが為の我田引水的詭弁であろう。
拉致問題が解決せずして北朝鮮との国交など言語道断である。W杯予選で北朝鮮戦をボイコットし、それにより日本チームが失格になろうとも、それに拠って世界に北朝鮮による拉致問題や人権問題が提起された方が好かったのではないか。
北朝鮮に行ったサポーターの一人は、「日本が勝っていたらどうなっていたか」と会場の異様な雰囲気を怖がった。日の丸はダメ、鳴り物や横断幕もダメ、君が代にブーイング、そんなことは行く前から判ってることだろっての(爆)
拉致問題が解決の兆しすら見えない中で「政治とスポーツは別」と言わんばかりに、日本人サポーターの北朝鮮への出国を許可し、挙句に北朝鮮に敗北してりゃ世話ないっての。出場をボイコットすることは出来なかったのだろうか。
「政治問題をスポーツに絡めるのは止めるべき」との声を聞くが、昨日の試合こそ北朝鮮の政治的デモンストレーションであり、プロパガンダそのものだろう。
日本人同胞が拉致されて、北朝鮮内で塗炭の苦しみを強いられていることを歯牙にも掛けない様なスポーツマンシップなどんぞ必要ないし、国益さえ害すものだ。
1980(昭和55)年、ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議して、米国や西側諸国がモスクワオリンピックのボイコットを決め、我が国もそれに同調した。
ボイコットで当時金メダル確実と言われた柔道の山下康裕やレスリングの高田裕司、マラソンの瀬古利彦、水泳の長崎宏子、男子体操といった選手が涙を呑んだ。
山下選手は涙を流し、「個人ででも出場したい」とインタビューで答え、その言動は批判を招いた。スポーツが政治に利用されることは往往にして在ることだ。
有名なのが、1936年のドイツのベルリンオリンピックだろう。「オリンピックはユダヤの祭典だ」と開催に難色を示していたヒトラーだが、オリンピックがプロパガンダに利用出来ることを知ったヒトラーはオリンピックを開催を実行する。
米国や英国はヒトラーのナチスドイツの人種差別などを批判し、ボイコットを示唆していたが、「政治とスポーツは別」だとして最終的には出場を決めた。
結果、ベルリンオリンピックは成功裏に終わり、ヒトラーの政治的パフォーマンスとプロパガンダはまんまと成功した。オリンピックを成功裏に終れば、ヒトラーも大人しやかになるだろうとの米英の思惑は脆くも崩れ去ったのである。
オリンピック後、ヒトラーはラインラントへ侵攻し、スペインへ大量の爆撃機を送り、2年後にはオーストリアを併合し、ズデーデン地方へも侵攻。その翌年の1939年9月にはポーランドに侵攻し、終に第二次世界大戦が勃発するに至った。
歴史家の間ではドイツのポーランド侵攻とされているが、歴史家で元駐日大使のライスシャワーは、このポーランド侵攻の2年前の1937年の上海での中国軍による日本海軍への全面攻撃こそが第二次世界大戦の始まりだと主張している。
条約上の権利の下に上海に駐留していた2500人の日本海軍「上海特別陸戦隊」に対し、1936年8月13日、12万以上の中国軍は全面攻撃を行なった。これこそが第二次世界大戦の始まりとの主張は蓋し正鵠を射ている。この1936年8月13日というのは、実はベルリンオリンピックが開催されていた時期と重なるのだ。
「政治とスポーツは別」だとの主張こそ「平和ボケ」の象徴であり、こうした世論誘導は、マスコミが放映権や放送権を欲しいが為の我田引水的詭弁であろう。
拉致問題が解決せずして北朝鮮との国交など言語道断である。W杯予選で北朝鮮戦をボイコットし、それにより日本チームが失格になろうとも、それに拠って世界に北朝鮮による拉致問題や人権問題が提起された方が好かったのではないか。
北朝鮮に行ったサポーターの一人は、「日本が勝っていたらどうなっていたか」と会場の異様な雰囲気を怖がった。日の丸はダメ、鳴り物や横断幕もダメ、君が代にブーイング、そんなことは行く前から判ってることだろっての(爆)
cordial8317 at 06:18