「ノーベル平和賞」にフクシマがノミネート!?酒を以て真を養うというが・・・

2011年10月06日

「驕る平家は久しからず」

「陸山会事件」の初公判が今日東京地裁で行われる。厚顔無恥な小沢は当然無実を訴える魂胆らしいが、政治資金規正法は議会制民主主義の根幹を成す法律であり、政治資金の実態を偽ることは、国民を欺いて政治判断を歪めることに他ならない。

 法律を作る側の国会議員が、その法律の抜け道を巧妙に掻い潜り、不動産購入や蓄財に充てるなど言語道断、政治家として万死に値する破廉恥行為だ。

「裁判の場で無罪を明らかする」と常々宣っていた小沢だが、その千載一隅のチャンスがやって来たのだから、存分に堅白同異の弁を垂れ流して頂きたいものだが、言い訳は実に見苦しい。思想家・徳富蘇峰は「言い訳は見苦しいばかりではなく、同じ過ちを繰り返す」と訓えたが、小沢にぴったりな名言だと思う。

 小沢の師・田中角栄も金丸信も晩年は「政治とカネ」で失脚した。小沢は政治力や人間力では遠く田中に及びはしないが、政治家としての末路は田中や金丸と同じ道を辿りそうだ。歴史は繰り返されるというが、実に面白いものだ。

 昭和51年、米国上院外交委員会で、ロッキード社による航空機売り込みの国際的リベート疑惑が浮上。同年7月、田中は、5億円の「受託収賄罪」と「外国為替・外国貿易管理法違反」の容疑により、秘書の榎本敏夫などと共に逮捕された。

 それでも田中は終生無罪を主張した。 7年にも及ぶ裁判の末に、昭和58年10月、東京地裁は田中に対し、懲役4年、追徴金5億円の有罪判決を下し、田中は即日控訴した。田中が逮捕された時は愚生は未だ高校生だったが。大学に入り、右翼団体に入ってからは、裁判所前の田中批判集会に参加する為に何度も通ったのを思い出す。

 田中の公判日には地裁前で、今は亡き大日本愛国党・筆保泰禎書記長や当時先輩だった對馬則政らと共に団扇太鼓を叩き、国賊・田中の極刑を願ったものだ。

 58年の判決当日は、筆保書記長や大日本誠流社の面々や横浜の言論同志会の平沢次郎会長、当時、大日本坤龍社だった伊藤満(現瑞穂塾)、故・瀬野寿夫といった友人らと参加したのを思い出す。今日も本来ならば参上し、小沢の政治家としての欠落を指弾したいと思っているが、出来ない自分に対し隔靴掻痒の感は否めない。

 今回問題とされている政治資金規正法など、田中のロッキード疑獄や日華国交条約の蹂躙、金大中事件の揉み消しに韓国政府から貰った裏金問題に比べればちっぽけなもので、小沢の小者ぶりを示すものだろう。小沢への期待など幻想に過ぎない。

 小沢が法の抜け穴を駆使し、政治資金を蓄財したことなど、本人の特異な金銭欲を示す様なもので笑ってしまうが、小沢が目指す「永住外国人地方参政権付与」は、田中の行った日華平和条約破棄同様、断じて容易出来るものではない。

 小沢の蓄財がこうした売国法案を成立する為に小沢シンパを募り、それらの愚策を実行させるものならば、我が国の政治家として万死に値する。

 逸話が在る。田中は日中共同声明を出し、浮かれ序でに周恩来から一枚の色紙を渡され喜んだ。色紙には「言必信行必果 硜硜然小人哉」と書かれて在ったという。

 これを見て思想家・安岡正篤は、この言葉の意味も知らないで喜んでいる田中角栄を見て、教養の無さと中共の強かさを周りの人に指摘したという。 今、安岡先生を始めとした思想家や哲学者が居ないことは日本にとっての不幸であろう。

 安岡は「言必信行必果 硜硜然小人哉」の意味について、「その言葉は必ず真実であり、やるべきことは必ずやり遂げる。それは士として持つべき資質。しかし、もしそれだけの人だとしたら、人間として小さい」と訳されると教えている。

 田中は見下されていたのだ。田中が日華国交条約を蹂躙し中共の御先棒を担いで以来、日本の政治家は中共に阿諛追従する大馬鹿者ばかりになってしまった。

 小沢はその大馬鹿者らの民主党議員を大挙動員して、胡錦濤に臣下の礼で忠誠を誓ったことは政治の失墜を示すものだった。小沢も田中同様に、胡錦濤や習近平から送られた読めもしない漢文の色紙を大事に飾っているのではなかろうか(苦笑)

 日本国憲法98条には、締結した国際条約の遵守が明記されており、如何なる理由が有ろうとも破棄してはならない。況してや国際条約締結は天皇の国事行為だ。

 絶対的権力者だった田中角栄が堂々と憲法違反を犯したのだ。中華民国と断行せずとも日中国交は結べたし、日中国交を結ぶというのなら、憲法改正を断行すべきだった。若しあの時に絶対的権力者で国民的人気を博した田中が、憲法改正や自主憲法制定を行っていれば現在の我が国の安全保障や外交も変わっていただろう。

 田中の裁判では、「政治とは最高の倫理、道徳だ」として、「政治倫理の確立」を訴えると共に、国際法規であった日華国交条約の蹂躙に対する憲法問題も提起したが、我々右翼団体からの抗議や主張はマスゴミから完全に無視された。

 昭和60年、田中角栄は脳梗塞で倒れるも総選挙でトップ当選。無実を訴え続けるも62年控訴棄却。地盤をバカ娘の真紀子に譲り、脳梗塞の身ながら選挙カーに乗り、涙を流し支持者に訴える姿は過去の栄華を極めた者とは別人だった。

 田中も金丸も晩年は実に淋しいものだったが、小沢一郎の栄華も間もなく終焉を迎えるだろう。歴史は繰り返されるのだ。驕る平家は久しからず。

cordial8317 at 08:32
「ノーベル平和賞」にフクシマがノミネート!?酒を以て真を養うというが・・・