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2011年09月17日

政治家に求められるのは「正心誠意」の四文字

 野田総理は所信表明演説で、「政治家に求められるのは『正心誠意』の四文字が在るのみ」と強調した。誠心誠意の真心を以て物事を行うのではなく、自らの心を正しくし、政治家としての良心に忠実にすることだと、その意味を説明した。

「正心誠意」は、勝海舟の談話集「氷川清話」からの引用で、元々は儒教の古典「大学」の一節だ。「其の身を修めんと欲する者は、先ず其の心を正しくす」を、海舟は政治家の秘訣として、「政治家は、唯唯正心誠意在るのみ。

 この四文字に拠りて遣りさえすれば、譬え如何なる人民でも心服しない者はいない。何事も知行合一でなければならない」と訓えた。

「氷川清話」は日本人の名著の一つには違いない。海舟が出会った幕閣や歴史上の人物、時事評論まで縦横無尽に語られた思想書というより談話集だ。維新史や人物月旦とし超一級の作品とされている。だが、どうも愚生にはイマイチ海舟という人物を尊敬出来ない。人物月旦が面白いというが、殆どは己の自慢と相手を誹る話しばかり。

 その一部を端折って書けば。<横井小楠と西郷隆盛> 俺は今迄、天下で恐ろしい者を二人見た。それは横井小楠と西郷南洲だ。その横井に西洋の事を俺が教えてやった。西郷と面会したら、その意見や議論は寧ろ俺の方が優る。

 <佐久間象山> 佐久間象山は物知りで、学問も博し、見識も多少持っていたが、どうもホラ吹きで困るよ。

 <藤田東湖> 俺は大嫌いだ。あれは学問も有るし、議論も強く、また剣術も達者だったが本当に国を思うという赤心がない。書生を大勢集めて騒ぎ廻るとは、実にけしからぬ男だ。

 <桂小五郎(木戸孝允)> 西郷に比べれば非常に小さい。余り用心し過ぎるので、大事には向かない。

 <山岡鉄舟と大久保一翁> この二人は共に熱性で、切迫の方だから、可哀想に若死にしたよ。

 これ以外にも偉人、傑物との逸話は在るが、海舟の人となりが分かりそうなものばかり。この「氷川清話」が纏められたのは明治30年頃で、海舟の最晩年75歳前後のことなので、老人に有りがちな妄想的言い回しが多い。

 妄想症ではとの疑いと迄は言わないが、海舟の自己顕示欲の強さを割り引いて読めば、幕末維新史としては貴重な本なのは確かだ。
 
 福沢諭吉は、100年前「痩せ我慢の記」という一文を発表した。

「一片の痩せ我慢こそ百千年後に至るまで、国の独立を維持する上で大切である」と説き、福沢翁は、嘗て幕臣だった勝海舟が、敵方である薩摩・長州中心の新政府から優遇を受け、大臣に昇りつめた出世を厳しく批判している。

 その諭旨は「勝海舟は只管講和を主張し、官軍と一戦も交えず開城したのは、要素たる士風を損なった。譬え、内乱が国家にとって無益大害の極みであっても、抵抗するのが武士の意気地ではないか。敵味方のケジメを付け、野に下ることこそ取るべき道であった」という。愚生も激しく同意する。

 海舟は「人間の元気を減らすに一番力の在るものは内輪の世話や心配事だ。外部の困難なら大抵の人が辛抱もするし、此れによって益々元気が出ると言うことも有る。どうも大抵物事は内より破れますよ」と訓える。

 野田総理も党内融和を優先するが、烏合の衆の民主党故、挙党体制を維持するのは困難の極み、内から崩壊するのは必至だろう。海舟の請売りも良いが、三代続けての政権維持は頂けない。

 福澤翁が海舟を断じた様に、自ら進んで国民に真を問いケジメを付け、それに拠って譬え下野しようともそれを諒として享け入れるべきだ。だが、野田には海舟同様、そんな意気地は持ち合わせてはいない。

cordial8317 at 09:14
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